情報化社会の「あたりまえ」がもたらす生きづらさ

 

はじめまして。ライターの「けーすけ」こと坂本啓介と申します。

「考えるって楽しい」をコンセプトに神保町大学という学び場を運営しています。

大学生をはじめとする若者と接する機会の多いということもあり、

イマドキの若者の事や、キャリアに関するあれこれを発信できればと思います。

それでは記念すべき第一稿です。よろしくお願いいたします。

 

情報化社会の「あたりまえ」がもたらす生きづらさ

1990年代半ば以降、パソコンとインターネットが急速に発展し、

「情報化社会」が幕を開けました。

Windows95、98。ADSLや光通信。スマートフォンにWi-Fi。

わずか10数年でOSやソフトは大きな進歩を遂げ、

それを追随するように通信環境も整いました。

さらには通信環境を簡単に持ち出すことが出来るようになっています。

 

今やインターネットの普及率の向上に伴い、低価格化も進み、

パソコンやモバイル端末を1人で2台所有していたとしてもても、

誰も驚くことはありません。

 

一家に1台のパソコンに憧れていた幼き頃の私が、

今の状況を目の当たりにしたならばどう思うのでしょうか。

 

 

さてさて、そんな私の話はさておき。

当時から考えると、信じられないほどの進化を遂げた情報化社会ですが、

生活に浸透しすぎていて、今ではあたりまえになってきています。

 

資料はメールで共有するのが「あたりまえ」

わからないことはgoogleで調べるのが「あたりまえ」

 

こんなに便利なあたりまえを支えているのは、

言うまでもなくインターネットの存在です。

しかしこのインターネットこそ、イマドキの若者を生きづらくしていると

思えてなりません。

 

みなさんは「情報弱者(以下情弱)」という言葉をご存じでしょうか。

情弱とは最新の情報に疎い人を揶揄する言葉です。

(注:本来的な情報弱者とここでいう情弱の意味は異なります。)

この情弱という概念は、前述のとおりインターネットで誰でも簡単に

情報を取得、共有することができるという前提のもとに成り立っている事は

想像に難くありません。つまり情弱とは、

「こんなに情報が溢れているにもかかわらず、そんな事も知らないのか?」

という意味が込められているわけです。

このような言葉が飛び交うということは、インターネットを駆使して、

一定以上の情報を有している事が求められている事の表れと言えるでしょう。

もしかすると現代の若者にとって、多くの情報を取得して少しでも

情弱から抜け出すことが、生きやすくなるための一因なのかもしれません。

 

一方でこれだけ情報を得ることが簡単になったということは、

自分で考えなくても答えが手に入るようになったことを意味しています。

調べれば誰でも、どこでも、簡単に答えがわかる訳ですから、

あえて自分で考える必要がなくなったと言えるのかもしれません。

つまり情報化社会があたりまえの若者にとっては、

答えがあることがあたりまえであり、調べればわかるがあたりまえなのです。

 

ところが答えなどない、道なき道を行くのが社会であり、人生。

こんな中で誰が答えを教えてくれるというのでしょうか。

誰も教えてやくれない。

だからこそ答えがあるなんて「あたりまえ」は捨て去って、

自分の体で感じて、考え、答えを導き出す必要があると思うのです。

 

たしかに情報化社会の発展で私たちの生活は豊かになりました。

しかしその反面で本当は生きづらくなっているのかもしれません。

あなたはこの発展した情報化社会でどのように生きていきますか?

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