発達障害ってなんだ?判断基準が貧相な社会が発達障害を生む

皆さま、ごきげんよう。矢辺です。
 

私は、ゴールデンウィークも何も、いつも休日みたいに仕事をしているので、いつもと変わらない日々を過ごしています。これは良いのか悪いのか。。。
 

さて、先日、こんなツイートをさせていただきました。

このツイートの真意を詳しくお伝えするとともに、言葉は広がってきましたが、なかなか理解されにくい発達障害のリアルについて考えてみたいと思います。
 

政府広報によると発達障害とは、下記の通りです。
発達障害の詳細は、下記URLをみてもらえればと思います。
 

発達障害の特性
政府公報より
http://www.gov-online.go.jp/featured/201104/contents/rikai.html

 

私は、これまで障害のある方の相談に対応してきました。身体の障害の方は、欠損であったり、できないことが物理的なのでとてもわかりやすいです。そのため、企業にお伝えする際にも「これはできない」と伝えやすいです。そして、現実に体の一部が「ない」「動かない」などとわかりやすいので、企業も配慮を準備しやすくなります。
 

しかし、発達障害は、目に見えません。実際に私が、働きたいと言う発達障害と呼ばれる人がしてほしい・必要な配慮を実際に聞いたところで言えば、下記の通りです。
 

・下り階段を手すりなしで降りられない
・行間が読めない
・具体的な指示が必要
・高所恐怖症
・人の目をじっと見てしまう
・後ろに人や物があっても気づけない
・人と仲良くなるのに時間が掛かる
・「自分らしさ」と言われてもわからない
・こそあど言葉が理解できない
・人の顔が覚えられない
などなど
 

皆さんはこの発達障害の人が必要な配慮を聞いてどう思いますか?
 

私は障害者雇用の営業をずっとやっていた感覚で言うと、企業の人事担当者からすればこう言いたいと思うのではないかと感じます。
 

いやぁ努力したら改善できるようになることじゃないですか?

 
もしくは、
 

それを理解しているなら、できるようになってから来て下さい

 
もしくは
 

それを理解しているなら、自分で職場で対処したら(障害者雇用枠じゃなくてもいいのでは)?

 
と言いたいのがホンネではないのかと言うのが実感です。
 

つまり、これは私もそうですが、発達障害が障害者雇用枠に「ならなければならない」理由がわからないのです。
 

これは、発達障害の人を否定したい訳ではありません。
 

人間は、誰しも凸凹があります。その凸凹が顕著な場合は、発達障害の傾向があり、凸凹が極端な場合は、医学的に発達障害と判断されるのです。そのため、発達障害と認定されて、自分の生きづらさに気付いて、安心できた人も知っています。
 

言いたいことは下記のことです。
 

前回お伝えした就職と言う出口がせまくなっていること
・就職と言う出口に特に入れない人が発達障害と認定されている
 

就職という出口がせまくなっていることは、前回の記事でお伝えしました。
 

「就職と言う出口に特に入れない人が発達障害と認定されている」ということは、これからご説明します。
 

ビルの写真

前で、凸凹が極端な場合に発達障害と認定されると伝えました。じゃあ、「凸凹が極端」の場合という基準の具体的な根拠って、何でしょうか?
 

これまでお伝えしてきたように、発達障害の人に必要な配慮が企業にとっては、理解できないものです。むしろ改善できるようになることと感じています。ですから、企業が理解できず、働けないからこそ、発達障害という診断がおりるのです。
 

企業で働くことが難しいだろう。

これが、凸凹が極端な場合の基準、つまり発達障害の基準なのです。
 

障害認定は、就職しやすくなるためにもあるにも関わらず、何と言う皮肉でしょうか。そして、自分の生きづらさの基準が「企業で働けるかどうか」で決まる社会とは、何と判断基準が貧相な社会でしょうか。
 

このように企業と発達障害の間には大きな隔たりがあります。
 

しかし一方で、発達障害の人が必要な配慮は、相手への興味・関心があれば配慮できることがほとんどだとは思いませんか。
 

下り階段を手すりなしで降りられないなら、両手で持つ荷物を運ぶ仕事を任せなければ良いし、行間が読めないなら、行間を説明すれば良いし、具体的な指示が必要なら具体的な指示をすれば良い。
 

今、日本企業はこの相手に合わせて対応すると言うことができないくらい余裕がないのです。だから発達障害の人が増えるのです。
 

ホーソン実験(諸説あるそうですが)によると、人は関心を寄せられれば力を発揮したいと思うそうです。それは誰でも一緒ですよね。
 

だからこそ、少子化がわかっていながら、発達障害だけではなく、わかものを含めて働けない人に見向きもしてこなかった日本社会や企業が活力がなくなるのは当然なのです。
 

発達障害は障害ではない。あくまで社会の相対として作られたものです。そして、発達障害の生きづらさは、人の判断基準を「企業で働けるかどうか」だけの判断基準から多様にすることで少しずつ減っていくと考えています。
 

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この記事を書いた人

矢辺卓哉

双子の妹に知的障害があったことが「生きづらいいね!」の始まり。彼女たちを恥ずかしいと思った自分の心を恥ずかしいと思い、大学3年時、障害のある人に関わる仕事を生涯の仕事にすると決める。障害者採用支援の会社で6年間働き、株式会社よりよく生きるプロジェクトを設立。現在は、障害のある人やニート・フリーター、職歴の多い人、企業で働きたくない人などに特化した支援を行っている。また、障害者雇用を行う企業へ退職防止、障害者が活躍できる組織づくりのコンサルティングを行う。「人生を味わいつくせる人を増やす」ことが一生のテーマ。