「人が好きじゃないと福祉職は向いてないよ」と言われたんですが。

就活中、とある法人の施設見学に行ったとき、ふいに施設長さんに「人は好きですか?」と問いかけられた。
 

反射的に「あ、好きって言っといたほうがいいやつだ」と思って、できるだけ好印象でいたいし、私は笑顔で「はい」と答え、一緒に見学に来ていた2人の彼女たちも「はい」と答えた。
 

「笑顔で答えてくれて良かった。もし躊躇していたり答えられなかったりしたら、私は福祉職に向いていないから考え直しなさいって言うんです。」
 

と施設長さんは返事をした。彼の話は、人が好きでなければ、本当に利用者さんのことを考える事はできない。ある程度のラインで妥協したり、満足したりだと、本当に利用者さんのためになる支援はできない、と続いた。
 

福祉職
 

あ、だめかもしれない。というかだめだ。ここで私は働けない。
 

無条件で人を好きだと言える人を、私は怖いと思ってしまう。
 

「好き」という感情は脳死だ。簡単に相手のことを受け入れて、考えるのをせき止めてしまう感情だと思っている。
 

いいなと思う人と同じだけかそれ以上、苦手だな関わりたくないなと思う人が私にはいて、その人たち全員を内包して「好き」と私は言えない。それを蔑ろにして「好き」と言えてしまう人を私は信用できない。
 

おそらく「人に興味はありますか」と聞かれていたら、私はこんなに引っかからなかった。それは、好意と関心は全然違うから。
 

苦手な人について、苦手な理由とか今後どう関わっていけば楽なのかとか考えるときはある。それは嫌いだけれど、考えざるを得ないから。「いやよいやよも好きのうち」って言葉は大嫌い。嫌いなものは嫌い。これも脳死か。
 

とはいえ、実際に現場で働いている方からの言葉だからこそ、私が間違ってるのかもしれないと思い、果てしなく不安になった。もしかしたら、私は福祉職に向いていないのかもしれない。
 

半月引きずった後、大事な後輩にこの話をした。彼女は「じゃあ対偶を考えましょう」と唐突に言った。こういうところ本当に大好き。
 

対偶っていうのは中学とかでやった命題を証明するためのやつで、対偶が真ならば元の命題も真であるってやつ。詳しくはグーグル先生に聞いてください。
 

で、できたのがこれ。
 

対偶
 

対偶は「福祉職に向かない(向いていない)人は人が嫌い」。
 

おお、これはきっと「誤」だ。感覚として分かってもらえるのではないかと思うけれど、好きとか嫌いとかの感情面ではないところで、その仕事や役割に向かないということは誰だってある。
 

才能とか努力とかの話はまた別として、滑舌が悪い人はおそらくアナウンサーには向かないだろうし、遠くにボールを投げられない人が野球選手になるのは難しい。福祉職に向かない人は人が嫌いだったら、この世の大半は人嫌いじゃないか(笑)。
 

違う例えも思いついた。ワンピースのルフィ。
 

彼は確実に人のことが好き。異論がある人はいないと思う。ただ、彼が福祉職に向いているかというと…。ごめんルフィ、私はあなたのことが好きだけど、福祉職はあんまりオススメしないかな。
 

アセスメントとか個別支援計画とか不安。計画を壊していくのがルフィだし、行動・言動の一つ一つに意図を持って、説明することは難しそう。何たって彼は本能の人だから。
 

かくして、私の不安は少し晴れて、この話に対する意見も人に聞けるようになりました。今のとこ、私の全勝。完全にバイアスがかかっているからかもしれないけど。以下がそのとき聞いた他の意見。
 

①「人が好き、頑張って支援をしよう!」そういう人ほどバーンアウトになりやすい。

②まず、何をもって人を好きというのか。「好き」という感情はあまりにも個別的すぎる。

③そもそも、その解答だけで人を判別するのが間違っている(人はウソをつける)。

④実はその言葉がふるいで、逆にウソをつけるかとか、感情を表に出さないかとかがみられていたのでは?
 

個人的に怖かったのは④。
 

彼が何を思っての発言だったのかは本当に分からなかった。実は今も、そこはかとない不安が残っている。今後、私が働きだしたときに、繰り返し思い出す言葉になってしまったのではないか。もはや呪い。
 

これを書こうと思ったのは、呪いを解きたかったから。
 

あなたの意見を教えてください。施設長さんの意見に賛同する人の言葉も、私に賛同してくれる方の理由もぜひ聞いてみたいのです。対偶が間違っていたら、解法を教えてください。
 

どちらからの意見も聞いて、そして考えて、やっと私は呪いを解けるんじゃないかと信じています。
 

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この記事を書いた人

大竹結花