一緒に幸せになりたかっただけなのに。

私は、最近、もっとも大切な人と離れることになりました。
 

3年前、私が苦しみの泥沼にハマっているときに、一緒にいてくれた恩人でもあります。寂しいときには、黙って甘えさせてくれる家族のような存在でした。
 

でも、私は彼が苦しんでいるときに、ただ見守ることがどうしてもできませんでした。耐えられなかったのです。だんだんと「私を必要としてほしい」という気持ちが強くなり、何とか力になろうしましたが、その想いは届きませんでした。
 

幸せ
 

彼と出会ったのは約3年前。当時の私はずっと「寂しい」とか「頑張っても誰もちっとも認めてくれない」とか、不平不満を言って駄々をこねてばかりでした。
 

そんなとき、彼は「いつまで、そうやっているの?」と真正面から向き合ってくれました。それでも本当にどうしようもないときには「仕方ないなぁ」と優しくふわりと包んでくれました。私は、彼といると猫のように丸くなって安心して休むことができました。
 

「一人ぼっちじゃないって、こんなに力が湧いてくるものなんだ」と不思議に感じたものです。自分のことを見守ってくれる人の存在は、私にとって何よりの励みになりました。
 

「自信をつけて、社会でのびのびと生きていってほしい」という言葉を彼は私によくかけてくれました。失敗するとすぐにしょげてしまう私に「自分の短所は、長所で埋めればいいんですよ」と教えてくれて「きっと、森本さんが生きていく道はあるはずだ」と励ましてくれました。
 

私は彼の期待に応えたくて、ずっと頑張ってきました。
 

助けてもらうばかりじゃなくて、もっと対等に話ができるようになりたい。彼が見ている景色を私も見たい。そして、いつか彼が与えてくれたものを、私も与えられるようになりたい。
 

まるでお母さんに誉めてもらいたくて頑張る子どもみたいに必死でした。
 

気持ちが届く
 

彼への気持ちを原動力にして、仕事でもいろいろと試していくうちに、職場で自分のことや自分の考えを話せる相手がポツリポツリと増えていきました。
 

少しずつ、物事が好転しはじめ、いつの間にか、私は楽に呼吸ができるようになってきたのです。
 

「自分が苦しいところを抜け出したら、今度は支える側に回ろう」と私の中で決めていたからこそ、遠慮せずに思う存分、甘えられました。
 

しかし、いざ彼が苦しんでいる姿を目の前にしたとき、私は余計なことばかりしてしまいました。
 

彼が夢中になって話をしているときに、私のトンチンカンな受け答えが原因で口をつぐませてしまうことが何度もありました。彼がサッと顔を曇らせて「ちっとも僕の気持ちがわからないんだね」と悲しそうに言うたびに、私は「また、やってしまった」と、絶望の淵へと突き落とされるような気分になりました。
 

自分の無力さをこれほどまでに呪ったことはありませんでした。悔しくて、もどかしくて、申し訳なくて、ぐしゃぐしゃに頭を掻きむしって。
 

「どうやったら彼は喜んでくれるだろう」と探してやってみても、どうでもよさそうにしていました。感謝されるどころか、疎んじられるばかりでした。
 

なぜだろう
 

多分、彼は放っておいてほしかったんだろうと思います。「一人の時間が欲しい」とよく言っていました。
 

彼にはどうしても叶えたい夢がありました。体を壊しても、食事を取らずに痩せても、睡眠時間を削っても、それこそ寿命が縮んでも。ありとあらゆる犠牲を払ってでも、夢のために勉強をしたいと言っていました。
 

でも、私は彼の健康が気がかりでした。それは彼が切り捨てたものだとわかっていても、完全に放っておくことはできませんでした。彼も、私のことを完全に無視して自分の夢に専念することは、気が引けてしまう人でした。
 

私の願いと彼の願いは両立しない。とても悲しいことだけれど、徐々にそれが明らかになってきました。
 

一緒に幸せになりたかっただけなのに
 

ちょっと美化して伝えすぎたかもしれません。私は彼の夢のことを考えて、とかではなく、単純に自分とちがう人に合わせることに疲れてしまったのです。
 

そのちがいがあまりにも大きかったなと思います。私にとっては見守ってくれる人の存在が力になるし、いろいろな過程を共有したかった。小さな幸せを感じる瞬間が大事だった。
 

でも、彼はいちいち共有する時間がもったいない、価値観さえ共有できれば小さなことはどうでもいい人でした。彼に言わせれば、幸せなんてものは刹那的な快楽に過ぎない。一瞬の感情なんて、なんの意味もない。そんなことより、今が苦痛でも夢に近づいていると感じられる方がいい。
 

どちらが正しいということもありません。ただ、全然ちがう人だからこそよかったのに、ちがいが苦痛になってしまったことは悲しいな、と思います。
 

振り返ってみると「二人で幸せになりたい」という夢を信じて努力をし続けていた頃の自分を「バカだったなぁ」と思います。それは、あまりにも自己中心的で、幼くて、それでいて力強い夢でした。
 

そもそも、彼は幸せなんてちっとも望んでいなかったのに。
 

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この記事を書いた人

森本 しおり

1988年生まれ。「何事も一生懸命」なADHD当事者ライター。
幼い頃から周りになかなか溶け込めず、違和感を持ち続ける。何とか大学までは卒業できたものの、就職後1年でパニック障害を発症し、退職。障害福祉の仕事をしていた27歳のときに「大人の発達障害」当事者であることが判明。以降、少しずつ自分とうまく付き合うコツをつかんでいる。
自身の経験から「道に迷う人に、選択肢を提示するような記事を書きたい」とライター業務を始める。