古いものを手放すと、新しい流れに変わる

私がはじめて「大きな流れ」を感じたのは、病気になったときでした。仕事ができないくらい、体調が悪くなってしまい、転職活動を始めると再び悪化してしまう負のループにハマっていた頃です。そして、ある日スコンと諦めたのです。「今は休めってことか」と。
 

「大きな流れ」って何?と思われるかもしれません。人によっては「運」だとか「運気」だとか呼び方はありそうですが、私は「流れ」と言った方がしっくり来ます。これから、上向きになっていきそう、しばらく低迷しそう、そう予感した経験は、誰でも一度はあるのではないでしょうか。
 

流れに逆らおうとしても、無駄だから受け入れてしまおう。今、働こうとしても、魚が川を逆走するようなものだ。きっと、自分の体が傷つき消耗するだけで、思う方向へ進むことはできない。流れに逆らわなくても、きっと、最終的にはあるべきところに収まるはず。「大きな流れ」を感覚的に捉えることで、いい意味で諦めることができました。
 

これは体調を崩したときだけでなく、失恋をしたときにも、職場で居づらくなったときにも有効でした。現在の状況の責任を全て自分で引き受けると、罪悪感や後悔に飲み込まれそうになります。「自分の意思が及ばないもの」「変えられないもの」の存在を認め、ある程度を手放したら、心が軽くなりました。
 


 

私は、流れを変えるには二つの方法しかないと思っています。
 

ひとつは、今あるものを手放すこと。これは、物を捨てたり、習慣を捨てたり、仕事を辞めたり、人付き合いを止めたりすることも含まれています。
 

もうひとつは、新しく出会うこと。人との出会いだけでなく、例えば行ったことのない場所へ行ってみることもそうです。気になっていたことに挑戦するとか、新しい仕事をしてみるとか、未知との出会いは「新しく出会う」に含まれます。
 

個人的に「手放す」よりも「出会う」ばかりを求めている人が多いような気がしています。ただ、自分の時間もキャパシティーも限られている中では、順番としては「出す」方が先ではないでしょうか。空きスペースを作らなければ「入れる」ことはできません。
 

正直に言って、手放すことは怖いです。手放すことによって、大切なもの、今の自分を支えている存在がなくなってしまうかもしれません。そこから生まれる喪失感は、何度味わっても慣れることはありません。辛いときは、辛いです。
 

しかし、私は手放すことが必要だと信じています。どんなに今がベストな状況であっても、永久にベストであり続けることなんてありません。時間が経てば、どこか一部が古くなって機能しなくなったり、不要になったりします。現状を維持するためにだって、メンテナンスは必要です。手を入れなければ、劣化してしまいます。
 

だから私は、手放さざるをえない兆しが訪れたとき、寂しさや不安とともにワクワクがやってきます。「ああ、もう今までと同じではいられないのか」という寂しさと「これからどうなっていくんだろう」という一抹の不安に加えて「もっと今に合った形になるのかもしれない」という期待。同じ職場で働き続けるにしても、同じ人たちと生きていくにしても、人は何かしらを手放して、少しずつ変化していきます。
 

自分の意思の及ばない存在があると身構えていると、心に余裕が生まれます。予想外のことが起きても、どこまでは対応ができて、どこからは諦めざるをえないのか、一歩引いた目線で判断することができます。どんなに入念に準備してタイミングを見計らってもうまくいかないこともあれば、なんてことなしに試したことがうまくいくこともあります。予想なんてつきません。
 

流れに逆らって進み続けることはできないけれど、完全に身を任せるのもちょっと違う気がする。未来を自分だけで決めることはできませんし、思い通りにならないこともあります。ただ、一つだけ、どんな状況でも「こういう自分で在りたい」ということだけは自分で決められると思います。そして、その決意が、流れに身を委ねたときの、よりどころになるのではないでしょうか。
 

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この記事を書いた人

森本 しおり

1988年生まれ。「何事も一生懸命」なADHD当事者ライター。
幼い頃から周りになかなか溶け込めず、違和感を持ち続ける。何とか大学までは卒業できたものの、就職後1年でパニック障害を発症し、退職。障害福祉の仕事をしていた27歳のときに「大人の発達障害」当事者であることが判明。以降、少しずつ自分とうまく付き合うコツをつかんでいる。
自身の経験から「道に迷う人に、選択肢を提示するような記事を書きたい」とライター業務を始める。