APFSで活動を始めるまで―ロンドンで「差別」に気づく
特定非営利活動法人APFS(ASIAN PEOPLE’S FRIENDSHIP SOCIETY)では、日本に暮らす外国人から日々相談を受け、共に問題の解決を目指しています。私は2003年10月(当時:大学4年生)から、ボランティアとして関わり始めました。
なぜ私が外国人支援に関わるようになったのか。時は2001年2月(当時:大学1年生)にさかのぼります。英語習得のためにロンドンに語学留学をしたのです。留学前には「ロンドン」「ホームステイ」という単語から、「金髪の白人」「英国庭園」「お父さんが切ってくれるローストビーフ」などをイメージしていました。しかし、実際お世話になったのは、初老のアフリカ系移民女性の家。家庭にお父さんはいませんでした。英国庭園はありませんでした。メインディッシュは鶏肉でした。私がイギリスに対してイメージしていたものは、その家には何もなかったのです。そして、街にいるのは99%が黒人でした。ロンドンは多民族の街であり、民族によってある程度住み分けがなされている事実を知るところとなったのです。
ホームステイ先ではとても良くしていただきました。英語もさほど話せず、色々と深く聞いたわけではありませんが、子どもの教育や結婚などにおいて、移民女性家族がロンドンで様々な苦労をしてきたのだろうなという様子が垣間見られました。この移民女性家族もロンドンの住民なのです。私はロンドンに勝手な固定観念を持っていた自分を戒めました。そして、英語の勉強の合間にロンドン都心部に繰り出すと、人種差別が歴然と残っている様子を目の当たりにしました。「人種って何だろう」という問いを抱えたまま日本に帰国しました。
以後、人種差別、外国人の人権問題に関心を持つようになりました。大学の卒業論文執筆のためのヒアリングをしたく、たまたま本を読んでいて知ったAPFSの事務所を訪れました。団体の創設者は威厳があって怖そうな面持ちでした。「ここに来たの、まずったかも。」と思いつつ、気が付けばボランティア登録をさせられていました。APFSは、確固たる理念を持って、外国人と日本人が共に生きられる社会を目指して活動していました。理念に段々と共鳴し、7年間ボランティアを続け、その後5年は代表理事として、気が付けば計12年も活動をするようになったのです。
なぜ、非正規滞在外国人「支援」が必要なのか
APFSが、外国人の中でも、今も昔も最も重点を置いて支援をしているのが、非正規滞在外国人です。非正規滞在外国人とは正規の在留資格を有さずに、日本に留まっている外国人を指します。支援に携わるようになった当初は、私の中にも疑問がありました。なぜ「法を冒している人」を支援する必要があるのか。しかし、ボランティアに通い始め、非正規滞在外国人が書いた陳述書などを翻訳する中から、徐々に状況を想像できるようになりました。
人を国外へ送り出している国には、国外で働いている労働者からの送金が、国家予算の1割に相当する国もあります。産業が未発達で、大学を卒業しても仕事がありません。にもかかわらず、兄弟が10人近くいるという例もあります。「病気の親の命を救いたい」「弟・妹を学校に行かせたい」。そういった動機から国外での出稼ぎを決断します。アジア諸国にとって、一番地理的に近い先進国は日本です。彼/彼女らが日本を目指すのはある意味必然とも言えます。しかし、日本は過去から現在に至るまで「外国人労働者」の受け入れには一貫して否定的な立場を取っています。よって、外国人が来てしまうけど、受け皿はないという矛盾が生じ、非正規滞在外国人が生まれてしまったのです。
一方、バブル景気に沸いていた日本では、3K(きつい・きたない・きけん)労働において、深刻な労働者不足となっていました。六本木で深夜まで若者が踊り狂い、財テクのためにあちこちでビルが建設される、そんな時代が確かにありました。そして、日本は、非正規滞在外国人を見て見ぬふりして労働者として使ってきたわけです。非正規滞在外国人の数がピークに達した1993年時点では、30万人近くもの非正規滞在外国人が日本にいました。外国人の5人に1人は、在留資格を持っていないという時代が現に存在したのです(1993年の外国人登録人口は1,320,748人,法務省)。
私は、非正規滞在外国人が入国管理法を冒しているという状況を開き直ってしまって良いとは思いません。しかし、非正規滞在外国人一人を責め立てても問題は解決しないのではないでしょうか。非正規滞在外国人が生まれるのは、前述のような社会構造的な問題に起因する点を理解しなければならないのではないでしょうか。社会構造的な問題だからこそ、全世界で4000万人もの人が、非正規滞在になっているわけです(2005,国連)。
私が非正規滞在外国人支援を仕事にしようと決めた理由
私の相談現場には、日々多くのケースが持ち込まれます。一喜一憂していては、多くのケースをこなすことは出来ず、淡々とした対応が望まれます。しかし、そのような中でも、非正規滞在外国人に時に心をえぐられ「支援したい」という感情が芽生えるから支援をしてきたのです。
再び時をさかのぼります。2003~2008年にかけて、法務省―入国管理局において「不法滞在外国人半減政策」が掲げられました。非正規滞在外国人の摘発が強化されたのです。2009~2010年にかけて、ある非正規滞在外国人家族の支援に携わる中で、私はAPFSの活動を仕事にして頑張ってみようと決めました。俗にいう「脱サラ」をしたのです。
ある日の早朝、非正規滞在外国人の家に、入国管理局職員が押し掛けました。家族は、父親、母親、小学生の子ども2人という構成でした。父親、母親は東京入国管理局に連れて行かれ、そのまま収容されました。子どもたちは児童相談所に送られることとなりました。子どもたちは、親と強制的に分断されたこのタイミングで「自分が非正規滞在外国人である」という事実を初めて知ったのです。児童相談所で、いつ親と会えるのかも分からないまま不安な毎日を過ごすこととなったのです。
その後、APFSの支援の甲斐もあって、まず、母親の収容が解かれました(これを「仮放免」と言います)。母親は、子どもたちを児童相談所に迎えに行き、古いアパートを借りました。アパートを修復し、夫の仮放免を待ちました。そして、夫(子の父親)にも仮放免が認められました。一家は1年近い歳月を経て、再び一緒に生活できるようになったのです。ある時、一家のアパートに泊まる機会がありました。そのときに、父親が発した一言が今も私の胸には刻まれています。「もう絶対家族はバラバラにさせない。」
「自分にどれだけの力があるか分からないけれども、この家族を守ってあげたい。家族が一緒に日本で生活できるようしてあげたい。」そんな気持ちから、私は非正規滞在外国人支援に携わるようになったのです。
非正規滞在外国人に学ぶこと―広い関心が問題解決につながる
非正規滞在外国人が抱える問題はほとんどの人が知らないことだと思います。だから、ブラックボックスの中で物事が進み、なかなか問題が解決しません。
私は、多くの人に問題を知らせ、多くの応援があるのを社会に示していく中で、きっと在留が認められると信じ、支援をしてきました。支援の過程では、多くの日本人が手を差し伸べてくれました。入国管理局に同行してくれる人、署名活動を自主的にやってくれる人など、多くの応援を得て、一家は最終的に在留資格を得ることができました。問題を外に開く中でこそ、問題を解決できるのだという信念を持っています。
それから5年経った今も、非正規滞在外国人の支援は続きます。現在、親子のケースを重点的に支援していますが、親子の絆の強さには驚かされます。生まれながらに「非正規滞在」である事実を知ったとき、子どもはどのような感情を抱くのでしょうか。もし、私が同じような立場に置かれたら、親を責めずにはいられないと思います。
しかし、多くの子どもが「親孝行をしたい」「大変な中頑張ってきた親を尊敬している」「親と離れ離れになりたくない」と言います。きっと、親の苦労を一番間近で見ているからこそ、これらの言葉が出てくるのだと思います。親が帰国することを条件に、子だけに在留資格を認めるという親子を切り裂くような判断を法務省―入国管理局からいただく場合もありましたが、私は、親子が共に日本にいたいと願うのであれば、共にいさせてあげたいです。
非正規滞在外国人を支援するにあたっては「居座ったもの勝ちになってしまうのを支援するのは良くない」とご批判をいただくこともあります。確かにおっしゃる内容は理解できます。しかし、非正規滞在外国人は社会構造から生み出されてしまった存在であると言えます。また、多くの非正規滞在外国人が労働者として働いてきた事実があるにもかかわらず、「外国人労働者」は受け入れないという政策や法律に問題はないのでしょうか。
家族関係が希薄になっていると言われる今日において「家族が一緒にいたい」という気持ちはとても貴重だと思います。非正規滞在外国人親子を見て、ある人は「昔の日本人の親子みたいだ」と言いました。非正規滞在外国人に日本人が学べる点もあるのではないでしょうか。私は親子を分断したくはありません。子どもが親の監護の元、安心して学び、親が責任をもって子が成人するのを見届けることを実現していきたいです。
「私たち」はどのような日本を望むのか―そもそも外国人を受け入れるべきなのか
日本には未だ、外国人をどのように社会に受け入れていくかを考える「移民政策」は存在しません。外国人をめぐる政策は、どう「管理」するかという「出入国管理政策」に留まります。
古くは非正規滞在外国人、そして現在は技能実習生が、一時的な労働力の調整弁として使われているきらいはないでしょうか。2015年より、建設分野の技能実習生の受け入れが拡大しています。これまで3年に限られていた受け入れ年数が最大5年に延長されました。2015年から5年後、何があるでしょうか。東京五輪です。技能実習生は国立競技場をはじめ、日本各地の様々なインフラを整備することが期待されています。
しかし、技能実習生はみんながみんな母国に帰るのでしょうか。いえ、そうではありません。減少の一途をたどっていた、非正規滞在外国人の数は2015年、再び増加に転じました。技能実習から非正規滞在になってしまう人の数が増えていることが想定されます。負の連鎖が始まろうとしているのかもしれません。日本社会から外国人全体へのまなざしが厳しくなるのを危惧しています。
外国人は「労働力」でもないし「ロボット」でもありません。「人」なのです。「不法滞在外国人半減政策」によって、前述の家族は心に大きな傷を負いました。そして、現在、私が支援している非正規滞在外国人親子も、将来の展望を描けずに苦しんでいます。不幸を増やさないためにも、一時的な労働力の調整弁として、外国人を「利用」するのではなく、そもそも外国人を受け入れるべきなのか否か、その是非を日本社会が考えていくべきです。
外国人を受け入れないというのも一つの選択肢ではないでしょうか。江戸時代にさかのぼって「鎖国」をすれば良いのです。人口減少に伴い、経済規模が縮小するのであれば、その身の丈にあった生活をすれば良いのではないでしょうか。
一方、もはや製造業だけでなく、サービス業も海外に展開していかなければ成り立たない時代になっています。世界とのつながりなくしては、日本も成り立っていかないのもまた事実です。
外国人をどのように受け入れ、どうすれば共に生きていけるのか。私自身ももう少し考えてみたいと思います。
人が怯えから解放され、その人らしさを取り戻すために
非正規滞在外国人から相談を受けていると、怯えから「その人らしさ」を一時的に失っているなと感じるときがよくあります。私は、人が生きるためには「その人らしさ」が必要だと信じています。なぜそのように思うのか、自分の中でもまだ答えは見つかっていませんが、私は「その人らしさ」を守れる存在になりたいです。決して簡単な仕事ではありませんが、もう少しだけ踏ん張ります。