先週、7年ぶり三度目の脳脊髄液減少症のブラッドパッチ(自らの血液を脊髄に注入)治療で入院・手術をしてきました。今回は、脳脊髄液減少症を巡る自らの気持ちの変化について書きます。
過去2回は腰と背中へのブラッドパッチ治療、今回はずっと痛み続けている頸への治療でした。首に色々なものを刺すということを想像しただけで、まずは不安に襲われます。でも、そんな不安は、『今回の治療でも症状が改善されなければ、根本的な打ち手がなくなるのではないか』という絶望に比べれば小さなことです。
むち打ち症や出産、サッカーボールやバレーボールが不意に頭に当たる、柔道の受け身を失敗する、トランペット演奏で力む等、日常のあらゆる場面で発症する恐れのある病気というか脊髄の膜に穴が開く怪我です。症状は様々ですが、私の場合は24時間365日の痛みにより生活も家庭も崩壊しました。見た目からは症状や苦悩が分からないことが特徴です。一説には毎年の潜在患者数10万人にも上るそうです(13/2/1発行 脳脊髄液減少症を知っていますか 著者 篠永正道)。
■入院・手術を決断するまでの状況
詳しくは、痛みに堪え切れず離婚を選ぶ【脳脊髄液減少症】という先日書いた記事にありますが、今回の入院は、唯一の理解者である妻との離婚、生活が崩壊していく私を見かねた友人の手配が後押しとなりました。正直なところ、私自身はもうどうにでもなれという状況で、7年間痛みに耐えながら送ってきた生活が崩壊し、失うものもなくなったので、半ばやけくそ的に治療を受けることにしました。
今春から痛みとそれに起因する症状が深刻に悪化したため、トラムセットという合法麻薬の新薬を処方して貰いました。結果的に痛みは緩和したものの、眠いけど中々寝られない、寝ても1~3時間で目が覚めてしまう日々がここ二月半ほど続きました。所謂睡眠障害に近い状況になっていたと思います。
痛みとは10年近く付き合ってきたので慣れていたといえば慣れていましたが、眠くても眠れないという経験はなく、これはこれで生活も仕事もままならずノイローゼ一歩手前でした。『痛みをとるのか、睡眠をとるのか』ある種究極の選択に心は折れ掛けました。
■入院前の心境
二月前のMRIとCT検査では、脊髄にまだ漏れがあるだろうとの診断でした。脳脊髄液減少症では、手術前日に造影剤を用いた精密検査を行い、手術の有無を判断します。つまり入院するまで手術をするか・しないか誰も分かりません。仮に入院後、検査をして脊髄からの髄液漏れが確認できなければ、希望する治療を受けることができません。それは、この先どうやって病気と向き合い、生きていけばいいのだろうかということに繋がります。
■ブラッドパッチ治療直前の不安
入院二日目の夜に無事?、髄液の漏れが確認され、三度目のブラッドパッチ治療が決まりました。過去7年で二度の治療で痛みは改善していなかったので、同時にこれで本当に治るのだろうかという不安が膨れ上がりました。
脳脊髄液減少症は、治療をして確実に治るという病気ではなく、時間経過とともに結果が判明していきます。ちなみに過去の2回の検査では、首の微小な髄液漏れは検出できませんでした。仮に過去の検査で漏れが分かっていたら、いまの人生は大きく違っていたと思います。生き方、家庭生活、仕事と。この分野の医療技術は、検査・投薬・治療法など日進月歩で進んでいます。今服用している薬も去年認可を受けた新薬です。ただ、それでも、人生の歩みに医療技術の進歩は追いついてはくれません。
■治療を終えて
20代半ばでの二度のブラッドパッチ治療では、「どんどん治療して治すぞ」という意気込み、治療後は「これでよくなるはず」という気持ちで一杯でした。ところが今回は治療を終えた後も消極的な気持ちで、未だに不安に苛まれます。むしろ三度目の治療で、漏れは塞がったのだろうか、塞がったとしても症状が改善しなかった場合、『自分とどう折り合いをつけるのか』が難しい状況にります。
同時に今は、奇妙な安堵感もあります。過去7年間治療と検査をし、もう漏れはないとされてきたので、脳脊髄液減少症患者を名乗っていていいのだろうか。そんな中でどうやって生きる道を探していけばいいのだろうかといった不安や悩みが解消されました。
脳脊髄液減少症に限ったことではありませんが、目に見えない病気は症状はそのものとは別に、今回まとめたように、常に不安を抱え、絶えず絶望と隣り合わせなのかもしれません。