日本語が母国語だとなかなか納得してもらえません

改めて自己紹介させていただきます。父がアメリカ人、母が韓国人で、日本で生まれ育ったケイヒル エミと申します。顔はバリバリ白人ハーフです。
 

幼稚園に始まって、高校まで日本の学校に通っていたので、日本語ネイティブで、むしろ英語の方が若干アヤシイときがあるくらいなのですが、そこをなかなか納得してもらえません。
 

「君はやっぱり日本語がねえ・・・」
「だから、私、日本語が母国語なんですってば!」
 

これは私と、私がお手伝いさせていただいていた団体の職員の方とのやり取りの一部です。職員さんの発言の意味を捉え違えてしまった私にかけられた言葉で、実際には「国語力」を注意されている場面なのですが、「ハ―フ」もしくは「外国人」というイメージが強かったからか、「日本語が母国語だ」ということを覚えてもらうために上記のやり取りを5,6回は繰り返しました。
 

なぜこんなにも分かってくれないのか?私が推察するに、理由は大体以下の二つではないでしょうか。
 

1)日本社会には、まだまだ移民2世が少ない
 

「父と母は日本人ではないけれど、日本の学校にずっと通学していたので、日本語が母国語だ」という旨の話を、日本人にするときとアメリカ人にするときでは、アメリカ人にするときの方が断然納得されます。これは、アメリカ社会には移民2世が多いので、移民2世の言語力に対する「現地学校の影響力」が認知されているからだと思われます。
 

私自身の日本とアメリカでの経験から考えて、移民2世の言語の習熟度は「通っている学校で話されている言語>家庭内で話されている言語」と言い切って間違いないと思います。さらに言えば、家庭内で自分の出身国の言葉を使わない親も多いので、移民2世が親の出身国の言葉をしゃべれないということも特別不思議なことではありません。
 

子どもは学校で過ごす時間が圧倒的に長いし、子どもの人間関係も学校を中心に構築されるので、子どもが家庭内で話される言語より、学校で話されている言語に習熟することは当たり前といえば当たり前の話です。しかし、当事者でないとそこはなかなか実感できないのかもしれません。
 

2)ちょっと上の年代の方はハーフ/外国人に慣れていない
 

冒頭で上げたやり取りは、実は学生同士でのやり取りで一度も起こったことがありません。「最初会ったときは日本語しゃべれるのかな?って思った」だとか、「ふーん、日本の学校に通っていると、日本語の方が上手になるんだ。知らなかった」という声はよく聞きますが、毎日のように会話する間柄になってから「日本語が上手だね」もしくは「日本語がへたくそだね」と言われたことは一度もありません。
 

「日本語が母国語だとなかなか納得してもらえない」ことは、社会に半歩踏み出した最近になって始まったもので、なかなか納得してくれない人は、年代が割と高めの人に多いです。私の事例だけで結論付けるのは性急かもしれませんが、年代が高い人は若い人よりもハーフ/外国人に慣れていないがために、私の日々の言動よりも、私のハーフ/外国人的なルックスに注目してしまうのかもしれません。
 

最近は「ハーフ芸人」という切り口が流行り始めているようですね。
最近は「ハーフ芸人」という切り口が流行り始めているようですね。

 

さて、ここでお話ししている「日本語が母国語だとなかなか納得してもらえない」ことって、特別困ることではなかったりします。しかし、何回話しても納得してもらえない、となると、さすがに複雑な気持ちになります。なぜなら、たとえそこに悪意がなかったにしても、「日本語が、母国語だと納得してもらえないこと」って、私が日本の学校に通い、日本の友だちや大人に囲まれて過ごした20年近くを否定していることとそう変わらないからです。
 

あと数十年もたてば、日本社会も、より考え方が柔軟な世代へと代替わりしていくでしょう。そういう意味では、ハーフや移民2世が「日本語が母国語だと納得してもらえないこと」は時の経過とともに解決する現象だと思われます。
 

ただし、これはあくまでも私の肌感覚ですが、「日本語が母国語」のハーフ/外国人の子どもは、その世代交代が進むスピード以上に速いスピードで増えてきているのではないでしょうか?彼らが社会に進出するとき、はたして社会には彼らをニュートラルに受け入れる準備が整っているのだろうか?疑問に思う今日この頃です。
 

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この記事を書いた人

ケイヒル エミ

米韓ハーフ。日本で生まれ、小・中・高と日本の公立学校に通ったのち、アメリカの大学に直接入学。現在公共政策学部で、貧困・格差問題やジャーナリズムについて勉強している。「ハーフ」「外国人」の観点から情報発信をしたいと思ったのは、憧れの国だったアメリカで人種問題や移民問題に直面し、そこでの問題意識を、日本での自分の体験と照らし合わせるようになったことがきっかけ。今年中国への交換留学を控えており、大気汚染の影響を心配しつつもわくわく中。