選挙権と成年後見制度。選挙権と知能指数。選挙権と判断能力。

2013年3月27日、成年後見制度で選挙権を失う規定を憲法違反とした
東京地方裁判所の判決に対し、国が控訴しました。
このニュースは非常に興味深いものです。

 

そもそも、事の発端は、成年後見制度にあります。
成年後見制度とは、簡単にいうと、病気や障害により判断能力が不十分な方を
後見人が保護し、支援する制度のことです。
認知症を患った方が、遺産の分割や福祉サービスの受給等の判断を下せない場合、
後見人が代理で判断を下すといったことがこの制度の事例となります。

 

判断能力。これがキーワードです。
成年後見制度も、本人の判断能力の状態によって「後見」「保佐」「補助」の
3つに分かれており、家庭裁判所へ申し立てることで手続きが始まり、
本人との面談や医者からの診断書によって鑑定されます。

余談ですが、申し立てには東京家裁では10万円程度かかるらしく、
医者の鑑定にも10万円程度かかるらしいです。

 

鑑定の結果、成年後見制度の適用が開始されれば、
本人の判断能力は不十分である事が定義づけられます。
したがって、誰に投票するのか判断する行為である選挙へ参加する権利はなく、
これは公職選挙法第11条に定められています。
今回の裁判はこの部分が違憲ではないかということで審理が行われました。

 

判決で東京地方裁判所の定塚誠裁判長は「選挙権は憲法で保障された国民の基本的な権利で、これを奪うのは極めて例外的な場合に限られる。財産を管理する能力が十分でなくても選挙権を行使できる人はたくさんいるはずで、趣旨の違う制度を利用して一律に選挙権を制限するのは不当だ」と言い渡したそうです。

 

原告はダウン症で知的障害と認定された障害者。
知的障害はIQ70〜75を境界とし、70〜75を下回った場合、
軽度・中度・重度と認定がなされています。
法律上の明確な定義はありませんが、目的に応じた法令によって定義されており、
多くの自治体で上記の数値を基準で認定されています。

 

IQ70未満。IQ100が一般的に多いと言われている中で言えば確かに低いです。
論理的な思考力や計算能力、読み書きや語彙が低いため、
適切な判断能力を有していないと考えることも理解できます。
政権公約やらマニフェストやらアジェンダやらが飛び交う選挙なんて
判断はもっと難しいでしょう。

 

しかし、人間は100%正しい判断を常に下せるとは限りません。
知能指数の高低は、判断の正しさの確率を表すだけのものかもしれません。
また、成年後見制度を申請した知的障害者に選挙権はありませんが
申請しなければ選挙権は有しており、投票に行く事ができます。
IQ70で成年後見制度を申し立てていれば選挙権はなく、
IQ40で成年後見制度を申し立てていなければ選挙権はあります。

 

知的障害者の選挙権が審理対象ではありますが
上記のように「一票の格差」が論点にもなっているため、
違憲判決に対する法改正が、地方選挙や今夏の参議院選挙に間に合わず
控訴やむなしとした国の対応には、唖然としています。
しかし、知能指数と選挙への判断能力の相関性について
議論が煮詰まったとは思えず、基準が定まっていない以上、控訴審によって
さらなる明確な基準作りが進めばいいのではないかとも考えます。

 

選挙権と成年後見制度に関係を持たせないというのは
判決から考えると実行されるでしょうし、
手間はかかりますが、制度整備も難しくないでしょう。
公平性からみても、選挙権を有する事は大切です。

 

ここで私が問いたいのは「判断能力」について。
ヒトの能力は可視化できるものではありません。
知能指数が基準であり、医師の判断が基準であることは確かです。
しかし、状況・環境によって適切な判断を下せない場合もあります。
何をもって判断能力があると言え、ないと言えるのか。
教育的な観点から見ても、難しい問題だなと感じます。

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。