『ラヴ・ストリームス』 ー流れ続ける愛ー

こんにちは。新名庸生です。今回ご紹介する映画は『ラヴ・ストリームス』です。
 


 

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【ストーリー】(公式サイトより)

離婚してロサンゼルスの屋敷で秘書や若い女たちと共同生活を送っている人気作家のロバート。そこへ夫ジャックと離婚協議中の姉サラがやってくる。サラは娘のデビーが同居を拒んだことにショックを受け、憂さ晴らしにパリへ旅行した帰りだった。一方、ロバートは離れて暮らす息子のアルビーを一晩預かることに。息子との付き合い方がわからないロバートは、アルビーをラスベガスへ連れていくがホテルに残したまま、夜を徹して遊びに出かけてしまう。
 

「ニューヨーク・インディペンデント映画の父」と呼ばれるジョン・カサヴェテスが、愛を失うことにおびえ続ける現代人の心の揺れを見事な演技とカメラワークで描ききった名作ドラマ。

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この原稿を書いている5月14日は母の日です。私の母は私が大学一年のときに亡くなったため、花束を贈ったり旅行に行ったりなどということもできず、毎年言いようのない寂しさを感じます。
 

母の心の変化は唐突で明白でした。2005年春、私は一浪の末大学に合格し、実家を離れる準備をしていました。それと同時に家族(父、母、弟)もその年の5月には父の仕事の都合でアメリカへ引っ越し、とりあえず3年ほどそこで暮らすことになっていました。浪人中に母からこの渡米の話を聞いた私は最初戸惑いました。海外旅行の経験もなく、英語もしゃべれない母が急にまったく異なる環境で生活していけるのだろうか。私の心配をよそに、そのとき母はとても楽しみにしているようでしたので、本人が嬉しいのならそれでよいかと別に止めるようなことはしませんでした。
 

しかし、私が一人暮らしの準備をし、家族も渡米の準備をやり始めたころから母はだんだんと内向的な性格になっていきました。それまでずっと続けていた看護師の仕事も引越しに備えて辞めたため、自分の核としている部分を失っていたのかもしれません。社会とのつながりも希薄になり、それまで暮らしを築いてきた家を空にして、言葉も通じない見ず知らずの環境でこれから生きていかねばならないというプレッシャーに、どんどん押しつぶされていっていたのだと思います。
 


 

3月末、私は家族よりも先に実家を出ました。一人暮らしを始めてしばらくしてから母から定期的に電話がかかってくるようになりました。家具はどんどんアメリカへ送られて家は空になっていき、さびしい。英会話のレッスンは受けているが、まったく使える気がしない。向こうには日本人もいると聞いているけど不安で仕方がない。とても弱気になっている母に私は行ってみたら意外となんとかなるんじゃないか、言葉なんてそのうち少しずつ喋れるようになるはずと励ましました。
 

しかし、アメリカでの住居は郊外の住宅地、車に乗らなければどこへもいけず、近くにはスーパーマーケットがあるだけ、言葉が通じないため近所の人と話もできないという環境でした。家族三人が暮らすという前提で住宅なども手配されており、一人だけすぐに日本に戻るということもできず、母は自分の選択をひたすら後悔し、毎日泣いてはアルコールで気を紛らわしていたそうです。
 

大学が夏休みに入る前、母は一時的に日本へ戻り、私が住む狭いアパートへやってきました。そのときの母はもう、私が知っている母とは別人でした。一日中ベッドでぼうっとし、ビールを飲み、私に八つ当たりしては、もう自分は死ぬしかないんだと決定事項のように呟いていました。
 

私が夏休みに入ると、母は私と一緒にアメリカへ戻ることになっていました。私は初の海外旅行で内心わくわくしていましたが、母はその日が近づくにつれ、行きたくない行きたくないと言いました。現地の空港に着いたとき、母が子供のように涙を流して泣いていたのを今でも覚えています。
 

私は一ヶ月ほど滞在して日本に戻りました。その後も何度か電話がかかってきて、寂しい、死にたいと呟いていました。そのころには私も疲れており、何とか話を聞き続けるのが精一杯でした。そして秋のある晩、母が自ら命を絶ったと父から電話で知らされました。
 

『ラヴ・ストリームス』を観ると、情緒不安定で思い込みが激しくなっているサラと当時の母の姿が重なります。異なるのは、サラには「愛は絶え間なく流れ続けている」という確信があり「愛」という概念にすがることができた点です。サラにとっての「愛」とは、生きていく上での拠り所となる信仰の対象的な機能を果たしていました。もし、私の母をはじめ自ら命を絶った人々に自分を責める以外の選択肢があったなら、精神的な拠り所があったなら…と思わずにはいられません。
 

愛という言葉は大仰で、劇中ロバートが言うように「少女が抱くファンタジー」のように感じてしまうことも少なくありません。しかし人々のつながりが希薄になると同時にすべての責任を自分だけで背負ってしまいがちな世の中で、それこそ少女のように「愛」の存在を信じて疑わないサラの姿は、現代に欠落しているものを必死に追い求めている私たちの化身のように思われてなりません。
 

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