『死の棘』ー或る生の記録ー

こんにちは。新名庸生です。今回ご紹介する映画は小栗康平監督の『死の棘』です。

 


 

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【ストーリー】(VHSパッケージより)

ミホとトシオは結婚後10年の夫婦である。二人には伸一とマヤという二人の子供がいる。
ある日、トシオの浮気が発覚してから、ミホの果てしない尋問がはじまる。古代さながらの島に育ったミホと、作家を志望して自我を追い続けるトシオの間に起きた、それは単なる夫婦のいさかいを超えた人生を問い直す闘いである。果たして復活の日は来るのか―。
自らのすさまじい夫婦の危機を体験した故・島尾敏雄の同名小説を、長年構想を温めた小栗康平監督が自らの脚本で映画化。一組の夫婦の赤裸な交信をみつめながら、その人間の精神的営為を詩的な映像に結実させている。1990年のカンヌ国際映画祭において、日本人のアイデンティティを基盤に、暗いテーマの底に潜む美しさを追求した演出が高く評価され、堂々グランプリに輝き、あわせて国際批評家連盟賞をも受賞。これは日本映画として初の快挙であり、この作品を不朽の名作と位置付けさせるものである。

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【原作ストーリー】(原作文庫版内容紹介より)

思いやりの深かった妻が、夫の「情事」のために突然神経に異常を来たした。狂気のとりことなって憑かれたように夫の過去をあばきたてる妻、ひたすら詫び、許しを求める夫。日常の平穏な刻は止まり、現実は砕け散る。狂乱の果てに妻はどこへ行くのか?―ぎりぎりまで追いつめられた夫と妻の姿を生々しく描き、夫婦の絆とは何か、愛とは何かを底の底まで見据えた凄絶な人間記録。

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前半、妻のミホが「頭に鉄のお釜がかぶさって締め付けてくるの」と言い、夫であるトシオに自分の頭を叩かせるシーンがあります。鬱を経験したことのある人ならわかるのではないでしょうか。鬱とは気持ちとか心がどうとかいう感覚ではなく、脳みそが物理的におかしいという感覚。この後、ミホがトシオに水を頭から浴びせてもらうシーンが続きます。脳みそが変なのに脳みそを直接触れることはできないから、兎に角何らかの衝撃を与えようとする行為です。
 

この話は原作者である島尾敏雄と妻ミホとの間に起きた実際の出来事の記録です。ミホはトシオ以外の男は知らず、トシオと結婚してからトシオと家族のことだけを思って必死に尽くしてきたと語ります。そしてその結果が夫の不貞でした。
 

自分は贈り物のひとつも貰ったこともないのに相手の女には色とりどりの下穿きを贈る。金を出して産婦人科に入れてやる。出会ったころは皆から尊敬を集める軍人であり、終戦後は文学活動を行う立派な人物だと思っていた夫が、こっそり隠れて自分には決してしてくれない施しを見ず知らずの女に与えている。トシオの日記を読んでこの事実を偶然知ったミホは一気に精神の平静を失います。
 

今まで絶対だと思っていた信念・価値観が一気に崩れる瞬間。自分が費やした長い年月が無駄なものだったと知った時。希望を否定された人間がそれまで通り生きていくことは不可能です。妻の異常に気付いたトシオはひたすらミホに詫び、ミホも何とかトシオを許し、前を向いて進もうとしますがふとした弾みに疑問が立ち上ります。
 

夫は女に何をしてやり、自分にはしてくれてないのか、もっと細かく、完全に知りたい。話していないことはもうないのか、女とは本当に関係を絶っているのか、自分のことをどう思っているのか。ミホは来る日も来る日も似たような疑問を次から次へと、何十回、何百回、何千回とトシオにぶつけます。原作小説は文庫で600ページを超える長編ですが、ほぼ全編がミホのこういった詰問とその答えに窮するトシオのやり取りであるといっても過言ではありません。
 

20160605
 

私がこの作品に愛おしさを覚えるのは、私自身の鬱の経験もありますが、まず私の母がどうしてもミホに重なってしまうからです。そして母やミホが特別不運な経験をしたわけではなく、人間として至極純粋な生き方を送ったのだと気づかせてくれるからです。
 

「生」そのものと対峙するのは非常につらく苦しいものです。その苦しさと直接向かい合わずに済むように、人は社会的価値観の中で生きます。社会における自分の役割・価値を果たすことを自分の生の意味と信じることで希望を持つことができます。しかし自分の社会的な役割や価値なんていつ崩れ去るかわからない幻のようなものです。
 

人はいつ何時、希望という支えを奪い取られるか知れない危険と隣り合わせです。何の寄る辺もなしに「生」というものを改めて見てみると、それはそのまま歩き続けるにはあまりにも果てしない。しかしそういう状況に陥ったときに何とか自力で自前の希望を、親や社会によって当然のように与えられたものとは違う本当の希望を模索し創出しようとする試みこそが人間本来の生きる姿であることをこの作品は伝えてくれます。そしてそう試みることこそが人間の生き様であり、それがうまくいくかどうかは問題ではありません。仮に新たな希望を見出したとしてもそれもまたいつ崩れ去るのかわからないのですから。
 

 

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