『精神』ー拡張待合室ー

こんにちは、新名庸生です。今回の映画は想田和弘監督のドキュメンタリー『精神』です。
 


 

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【ストーリー】(公式サイトより)
 

格差社会、ひきこもり、ニート、ネットカフェ難民、ワーキング・プア、無差別殺人…自殺者数が11年連続で3万人を超える現代日本。閉塞的で孤独感がただようこの国で、誰もが「生きにくさ」を感じたことがあるのではないだろうか。『精神』は、精神科にカメラを入れ、その世界をつぶさに観察。「正気」と「狂気」の境界線を問い直し、現代人の精神のありように迫った。同時に、心に負った深い傷はどうしたら癒されるのか、正面から問いかける。
 

外来の精神科診療所「こらーる岡山」に集う様々な患者たち。病気に苦しみ自殺未遂を繰り返す人もいれば、病気とつきあいながら、哲学や信仰、芸術を深めていく人もいる。涙あり、笑いあり、母がいて、子がいて、孤独と出会いがある。そこに社会の縮図が見える。

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このドキュメンタリーの前半で、ある患者さんが「鬱の辛さは経験した人じゃないとわからない」と語るシーンがありますが、まさしくその通りだと思います。以前の記事で、私自身鬱を患った経験があると書きましたが、そうなる前、まさかここまで辛いものだとは私も想像もしていませんでした。
 

鬱は精神的な病気だというイメージが強いと思います。もちろん酷い気分の落ち込みはありますが、それと同時に私の場合、原因の分からない物理的なリアルな痛みが頭を襲っていました。もし腕を骨折してそこが痛むのなら、自分自身で原因は把握できていますし、時間が経てば快方に向かうことも分かっており、多少の不便があってもそれで絶望することはないでしょう。しかし鬱による痛みは治療法が自分でもわからない上、時間が解決してくれるという保証もなく、もしかしたら一生このままなのかもしれないと思うと、恐怖が次第に絶望に変わり始めます。そして、この辛さに耐え続けるくらいなら死を選んだほうがマシなのではないかと本気で思えてきます。世界が一気に色褪せ、今まで楽しかったことが何一つ自分の感情を動かさなくなった時、それでも人が生きていかねばならない理由なんてないでしょう。
 

しかし、この辛さをいくら訴えても経験したことがない人には分かってもらえません。熱があるわけでも怪我をしているわけでもないのですから、当然といえば当然です。周りに理解者が居ない時、孤独という環境が鬱に更に拍車をかけます。理解してもらおうと頑張りすぎてかえって孤独になる場合もあります。
 

私の場合、この点では恵まれており、まとわりついて相当うざかったと思うのですが、それでも研究室のメンバーやバイト先の先輩がなんだかんだで付き合って話し相手になってくれ、一時的な安定を与えてくれていました。彼らには今でもとても感謝しています。
 

20151210
 

一時的な安定を与えてくれた場所がもうひとつありました。精神科の待合室です。通っていたのが大学病院だったため、予約時間に行っても2時間以上待たされることがざらにありましたが、苦になりませんでした。そこは自分を理解してくれ、許容してくれる環境だと思えたからです。数分間先生と話して診察を終え、薬を処方してもらった後、またあの自分の部屋へ帰りひたすら孤独と絶望と戦わなければならないのかと思うと、帰る気力も消え失せ、このままこの待合室で寝泊まりしたいと毎回思っていました。
 

鬱を患った人達は世間的にはまだまだ特殊な存在であり、偏見の目で見られ、隔離される傾向にあると思います。しかしこのドキュメンタリーに登場する人々はモザイクは一切かけられておらず、その人間味溢れる表情を、声を、感情をありのままに伝えてくれます。鬱と共に生きる人達がまだ他にも居るということを知らせてくれ、彼らのことを身近に感じさせてくれるこのドキュメンタリーはまるで「こらーる岡山」の拡張待合室のようでもあります。
 

DVDの特典映像には想田監督と山本医師との対談も収められており、想田監督自身も鬱に苦しんだ時期があったことを語っています。しかしそれは自分の人生を考えなおすチャンスであったとも語っています。私も二度と鬱に苦しみたくはありませんが、あの経験によって気づけたことがあったのも事実です。何とか乗り越えられたという結果があるから言えることではありますが、私の生涯の財産となった経験だといっても過言ではありません。
 

苦しい思いをすすんでする必要はないと思いますが、もし鬱を患ったとしてもそれは決して人生の選択を間違った結果ではありませんし、無駄な経験にはなりません。きっと新しい次の生き方を模索する、ひとつのチャンスになると思います。
 

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