『ソナチネ』ーメメント・モリ(死を想え)ー

こんにちは。新名庸生です。第三回で取り上げるのは北野武監督の『ソナチネ』です。
 

 

【ストーリー】(VHSパッケージより)

村川は、ヤクザ稼業に嫌気が差している北嶋組幹部。そんな男が、親分の依頼で中松組の助っ人として、沖縄に飛んだ。村川を待っていたのは、敵対する阿南組の襲撃。――連れの子分が2人殺られた。「ドンパチでやばいとは聞いていたが、話が違い過ぎる……」。また2人、凶弾に倒れた。抜けるような青い空と海、照り付ける太陽の下で殺戮は続く。「ハメられた! 」逃げ場を失った村川は、ただひたすら〈死〉に向かって突き進むのだった。
 

躁鬱感、自殺念慮がひしひしと伝わってくる作品です。公開が1993年。北野武監督がバイク事故を起こすのが1年後の1994年。強い関連を感じてしまいます。
 

私は数年前に一度DVDで観ていたのですが、先日劇場のスクリーンで観れる機会がありました。『観ずに死ねるか!傑作絶望シネマ88』という本が最近出版され、その出版記念イベントとして、その本で扱っている作品を映画館のスクリーンで観るというイベントが新宿で開催されました。そのイベントで『ソナチネ』も上映され、上映後にはダイノジ大谷ノブ彦さん、樋口毅宏さん、松江哲明さんによるトークショーがありました。お三人とも並々ならぬ思い入れがあり、初めて観た時の思い出や作品のトリビア、北野武監督のことなど、様々な話題が出ましたが、そのひとつに、「観たあと何故か元気が出る」という話がありました。「絶望シネマ」に選ばれているように、決して明るい映画ではありませんが、確かに何か一種の爽快感を伴う映画です。
 

20150919①
 

『ソナチネ』に限らず、北野作品では割とよく人が死にます。しかも割と淡々と死んでいきます。あたかもそれが当然の流れのように。文明化された現代社会は「死」を徹底的に隔離し「生」のみが長く横たわっています。世の中には生活を「明るく」「楽しく」するもので溢れています。「楽しく生きなきゃ」とみんなが競って「充実した」生活を目指す世の中で「生」の本来の輝きに気づくのは難しいように思います。北野映画は、社会が隔離している「本当はその辺にある死」をそっと提示し、観客はその裏にある自らの「生」を意識することになります。
 

『ソナチネ』鑑賞後に想起された言葉があります。
 

「ママが死にたいなら死んでもいいよ」。
 

これはユニバーサルマナーの講師として活躍する岸田ひろ実さんが、病気で下半身の自由を失い、以前は当然のように出来たことが一人では出来なくなり、生きる希望を失って思わず「死んでしまいたい」と漏らしたときに娘さんが言った言葉だそうです。岸田さんは予想外の娘の言葉に驚きますが、「死んでもいい」という選択肢を与えられたとたん、気持ちが楽になり、吹っ切れたものがあったそうです。
 

 

命の「生」の側面しか見ないとき、あるいは見まいとするとき、人は知らず知らずのうちに長い人生を想定し、理想を描き、それを完成することに心血を注ぎます。そしてもしそれが達成しえないと知ったとき、人は絶望し、死を選ぶかもしれません。村川(北野武)は言います「あんまり死ぬの怖がるとな、死にたくなっちゃうんだよ」。
 

しかし「死」の裏返しとしての「生」を意識したとき、今自分が生きていることの偶然性・奇跡性に気づき、なりふり構わず自分が「今」本当にやるべきことをやれるようになる気がします。『ソナチネ』はまるで「死にたければ死んでもいいんだよ」と囁くように、圧倒的な死の予感でもって、その裏返しである「生」を間接的に体験させてくれるのです。『ソナチネ』のラストは唐突で、様々な憶測を呼び、北野監督自身も「一応最後死なないとお客納得しないかな」としか語っていませんが、はぐらかしでも何でもなく、この言葉は事実なのです。
 

この映画では偶然性を表象するシーンがたびたび出てきます。紙相撲、ロシアンルーレット、雨が降るか降らないか、エレベーターに乗って来るか来ないか。また、2012年、北野監督の個展『BEAT TAKESHI KITANO 絵描き小僧展』が開催されましたが、そこに「偶然の確立」と題された作品がありました。振動する台の上で、分解された時計の部品が転げまわっているという作品で、そこにはこう書かれていました。
 

地球に単細胞が誕生した確率は、この揺れている状況で時計が組み上がり、完成するのと同じ状況だ。

 

宇宙が存在し、地球があり、そこ生まれた人間がどれほど偶然的な存在か。今日を生きたように明日を生きることがどれほど偶然的であるか。それを意識し続けることは絶えず死を予感し続けることであり、同時に「生」を輝かせることでもあります。
 

5億円の製作費がかけられたらしいですが興行収入は8千万。4億2千万円の赤字で、当時監督自身も客が入らないとネタにしていたらしいという話を聞きました。一週間撮っては一週間休みというとてもゆったりしたペースで撮影していたらしいので人件費がかさんだらしいです。
 

>>映画レビュー一覧に戻る