コロナウイルスが出てから取材やイベント、打ち合わせが軒並み中止になって出かける理由がなくなりました。「不要不急の用」しかないので、家にいることにしていますが、先週末あたりからマジで人恋しい……
数年前に結婚生活に関わるメディアを手伝っていたけれど、耳にタコができるぐらい聴いたのが「独りのほうが楽」。旦那さんでも、奥さんでも「あんな人いないほうがいい」。
でも……だんだんと独りを耐えられるなんて稀だし、普通じゃないことなんじゃないか、と思えてきたんです。
僕もそうなんですけど「自分は独りでいいんだ!」って強がれるのは、周りに誰かがいるからなんじゃないか。親兄弟姉妹とか、友だち、職場の人、お客さん、近所の人とか。
つまりは「独りじゃない」んです。
僕はフリーランスだからほぼ在宅勤務。10年前に離婚して、彼女さんも4年ぐらいいないし、「いらない」とすら思っており。婚活もしてみているけれど、根本的には「いなくても良い」と思っているせいか上手くいかない(それ以外にも理由はきっとある)。
でも、先週あたりからハッキリ「壊れたな」と実感。
コロナ離婚なんて言うのもあるらしいんですけど、普段、家にいない人が家にいたら、不満も出てくるでしょう。ムカつくでしょう。でも「ムカつける」って僕から見ると「うらやましい……」。
独りだと「ムカつく」なんてできませんッ!!
(閃いた!的に眼鏡が光っている画像でも入れてください)
「独りなら感染リスク低いじゃん」
そんなことを言ってくれる人もいました。
でもね、感染しても心配してくれる人がいないけど、感染しなくても喜んでくれる人もいないんです。極端な話ですけどね(笑)。
西川美和さんの「永い言い訳」を読んで「独り者じゃダメだな」と思ってきていたところだったんですが、このウイルスでその気持ちが「ダメだな」から「脱出しないと!」という焦りに変わったのは確か。さすがに一週間、会話をしないでいるとぶっ壊れる。おかしくなってくる。
だ、だ、だ、だれかと、会話を、したい……
「良いお天気ですね」
「ねー!ホントに!」
「お風呂冷めちゃうから入って!」
「わかったー!後で入る!」
「いっつもそう言って追い炊きするんだから!」
そんな会話したーーーーーーーーーーい、
オンライン飲み会っていうのも流行っているらしいけど、ちょっとこわーーーーーい。
自宅で飲むから、酔いも早いし、そのまま寝られるし、社会不安な空気だからアルコール依存に陥りそう……
直接会って、終電を考えながら飲むほうが僕は良いですが、いまはできません。それに、好き嫌い言っている場合じゃない。とにかく誰かと会話しないと修理不可能になる。
ここ数年、「フリーランス」はトレンドになっていますけど、意外と弊害も出ている気がしているんです。ソーシャルでも「嫌なら見なければいい」「嫌なことはやらなくていい」って話が流れてきますけど、「それでいいのかな」って思っちゃう。
最初の話に戻すと、旦那や奥さんの嫌なことって目に付きやすいんです。会社勤めだって通勤があるし、”嫌な”上司や同僚、お客さんとも付き合わないといけない。でも、逆に「それがあるからできていること」もあるような気がするんです。
嫌なことは多すぎると愚痴や怒りを減らすんじゃなく、聞いてくれる人、ぶつける先を増やしてしまって、自分も周りもしんどくなる。反面、少なすぎると心の踏ん張りが利かなくなって、少しのつまずきがあると投げ出してしまったり……
「嫌なことを削っていく」ことも大事なんですけど、「ゼロにはできない」と割りきって、少々の嫌なことを甘受できるぐらいの「余裕を作る」を考えてもいいんじゃないか。それに文句を言える、言わせてくれる、そういう環境は独り者より数倍良いってことも知って欲しい。
河合隼雄さんの「子どもの宇宙」だったか。
冒頭に「楽しいことばかりだと飽きてしまうから、神様は悲しいことも作っているんじゃないか」なんて一節が出てきますが、良い仕事、良い人生には「嫌なこと」も混ざってくるものなのかもしれないなと。
今日書いたことは「僕は大丈夫だ」と思っていたんですが、外出自粛で「なるまい、なるまい」と思っていたのに、気づいたらそうなっていたと痛感したという話。これを良い機会として、一緒に「強がっていたこと」を振り返ってみませんか。