先日書いた「障害者の自分を否定した果てとその回復」では、障害者としての自分を否定した果てに鬱病になり、退職したこと。そして、その後、発達障害のある彼女「あお」と出会い、「障害者」としての自分を回復させていったということを書きました。今回は、その回復の過程を詳しく説明し、再就職、そして今はどういう心境と工夫をしているのかを述べてみます。
退職した私は、失業保険を貰いつつ、障害者就労支援施設で復職訓練をすることになりました。しかし、一度壊れた精神と体調はなかなか回復せず、復職訓練すらままならない状態にありました。こんな自分が嫌で、睡眠薬を酒で流し込んで前後不覚になることも多々ありました。また、衝動的に首を吊ろうかとドアノブにロープをくくりつけて、でもそれに首を突っ込む勇気がなく、呆然として泣く夜もありました。
そんな私を支えてくれたのは「あお」でした。支えてくれたというのは「辛いだろうけど頑張って」という言葉で励ますとかでは全然なく、「あおを観察しているうちに障害に対する見識を深めていった」という意味です。
あおはたびたびパニックを起こします。酷いときはいっしょに外出するたびにパニックを起こして、街中で泣き叫んでいたりしました。正直、うつの酷いときで私自身も無理矢理外出してるときなどはこちらの精神的にもよろしくありません。それでも別れなかったのは、この頃は「惰性」の面が強かったのです。また、あおの突拍子もない言動を楽しむ余裕はまだあったということもあるのでしょう。
しかし、そんなあおを「介助」しているうちに、「障害を持つことは辛いこと」という当たり前の事を私は「改めて学ぶ」ことができました。また、あおが障害ゆえに「出来ないことがある」ということを「許す」ことを覚えました。今振り返ると、あおを「許す」うちに、自分の障害も同時に「許す」方法を自然に覚えてきたのではないかと思います。
具体的に「どうやって許すか」というと、語弊があるかもしれませんが「あきらめること」でした。「障害があるから仕方ない」という、あきらめです。普通なら「障害を持っているから仕方ない」というのは、障害者自身が発すると甘えと批判されるかもしれません。しかし、これは私にとっては「救い」だったのです。
「あおは障害があるからいろいろこちらに不都合があっても『仕方ない』」と最初に受けとめておく。ただし、「仕方ない」で済ましてしまっては、あおが辛い事が「私も」辛い。うつ病の身には、「精神的に辛い事」は避けたい。だから、「仕方ないけど、何か手はないかな」と考える。そのことが「自分の手で何かが出来る」という手応えとして私自身の認知療法的な手段になっていきました。
このような「あきらめ故の工夫」をSNSに書いていったら様々な反響があり、「俺の文章がポジティブな影響を人に与えることができる」という実感が、自分の精神の回復、精神的な土台の再構築に役だったのでしょう。そして、私自身の障害も「キツイのは仕方ない」と、「あきらめ」たからこそ「どうすればよいのか」と「障害と真正面に向き合うこと」が可能になったのです。
障害に向き合う。これは「辛い事に向き合う」という意味で使われることが多いです。実際、私もそう感じていましたからなかなか正面から向き合うことが出来なかった。これは「障害」というものを「乗り越えるもの」や「克服すべきもの」として捉えること、すなわちハードルが高いと思い込んでいたからです。
しかし、「しかたない」「あきらめよう」と「障害の無力化」に成功したとき、これは乗り越えるものでも嫌うものでもなく、「仕方ないけどどうするかなぁ」という条件として取り組むことが出来るようになったのです。そう気づいたあと、少しずつうつも改善してきて、安定して再就職プログラムに取り組むことが出来ました。「ボクの彼女は発達障害」を書いてみないかというお声もかかり、日々の充実感を味わうことが出来るようになったのです。出版、再就職と進み、うつの再発の危機も乗り越え(体調不良には悩まされつつ)、なんとか1年半、今の職場で踏ん張っています。
この1年半も「障害があること」で悩まなかった日はありません。いくら障害を受容しても、電話は出来ないし、聞き取りミスがあるのはどうしようもありません。しかし、この辛い間に学んだ「前向きなあきらめ」が自分を支えているのは間違いのないことです。
私は職場の皆様に「聞こえないことは聞こえないし、聞こえることは聞こえる。その境目は曖昧だから、臨機応変にやっていきます!」と伝えています。これは、「聞こえる」「聞こえない」にこだわっていた前の自分なら、不可能なお願いです。
筆談をして貰えるなら嬉しいけど、してもらう必要の無いときは「あ、今は筆談でなくても大丈夫です」と言えます。逆に「あ、すいません、今筆談してください」とも言えます。「支援を受けなければならない」でも「受けなくてもいい」でもなく、「受ける必要があるときはお願いするし、そうでないときは自分でやる」くらいのゆるーい気持ちで挑んでいます。
また、非常勤職員という立場で働く事が、「他の人に比べて待遇云々をいわなくていい」という安堵感があるのは事実です。これも「正社員だから他の人より頑張らなければ」という道を「あきらめた」からこその安堵感とも言えます。真っ正面からかなわないなら、障害を理由に逃げてみて、違う道を探してみる。これは処世術として使っていいんじゃないかなという実感があるのです。
「あきらめた」
これはある意味悪魔の言葉かもしれません。しかし、「あきらめた」ところから始まる道もある。「この道はあきらめよう、でも、なにか抜け道がないかな」というずるさも生きるためには必要なのではないでしょうか。
「あきらめ」の果てにたどり着いた融合。「聞こえない」ことも「聞こえる」ことも含んでの私。
この先、障害を理由に「あきらめること」が何回訪れるかは分かりません。それでもなお、「では、どうするか?」という問いの果てに「あきらめの先の光」を掴んでいく。そして、生き延びようと私は思うのです。障害を理由に「あきらめ」ても恥ではない。しかし、あきらめた道のすぐ横に本当に歩むべき道があるかもしれない。
障害を理由に生きる事につかれた皆さん。
一度、「あきらめて」みませんか?