あまりにも流行りすぎていたために、手を出すことを躊躇っていた『アナと雪の女王』をようやく観賞しました。正直、こんなにも日本中で大騒ぎするほどの面白さじゃないだろうと舐めていましたが、最初から最後まで飽きる隙間もなく楽しめましたし、終盤は驚きと感動もあって、本当に素晴らしかったと思います。今回はその『アナと雪の女王』と、『おおかみこどもの雨と雪』という映画作品に触れながら、カミングアウトにおける解放と、カミングアウトされる側の受容的態度についてお話したいと思います。どちらもネタバレが含まれますので、ご了承ください。
さて、『アナと雪の女王』は、同性愛を意識して作られた映画だと一部で言われているようです。確かに、主題歌『Let It Go』はカミングアウトを思い起こさせるし、ゲイに見えるキャラクターも登場します。魔法使いだとバレないよう、怯えながら生きていくエルサの姿に、自分を重ねたゲイやレズビアンの方もいるのではないでしょうか。余談ですが、エルサの感情が高ぶって思わず魔法を使ってしまう場面は、僕のゲイの友だちが感情の高ぶったときに「アンタ!」と会社内でも思わず言ってしまう、という話を思い出させました。
国中の者に魔法使いだとバレてしまい、人々の目から逃げるうちに、一人で生きていけば良いのだと、エルサは気づきます。もうアナを二度と傷つけたくないとエルサは言いますが、恐らくエルサは、自身の感情をコントロールできないことに困っていたし、魔法使いであることを隠して生きることに疲れていたのではないかと思います。もはや他人を、アナを思い遣れる状態ではなく、僕には、最初から最後までエルサがずっと「助けて!」と叫んでいるように見えました。
『おおかみこどもの雨と雪』では、人間とおおかみおとこの子どもである、おおかみこども(姉の雪と、弟の雨)が、同性愛者を連想させました。雪は、感情が高ぶるとおおかみに変身してしまうため、行きたかった保育園には行けず、小学校で初めて友だちができます。虫や動物を捕って遊ぶことが普通だった雪は、やがて他の女の子との違いに戸惑い、普通の女の子のように振る舞おうとします。
しばらくの間、普通の女の子としての生活は上手くいっていたはずなのに、ある日転校生に「獣臭い」と言われたことから、雪の不安で不安定な日々が始まります。そして事件が起こります。転校生を避け続けていた雪に、「なんで避けるのか」とその転校生が迫ります。逃げても逃げても追いかけてくる転校生に追い詰められた雪は、強い感情の表出とともに、転校生に怪我をさせてしまいます。
雪の女王であるエルサは、意図せず国中の人にカミングアウトをしてしまいましたが、歌いながら山へ向かうタイミングが、最初の解放の場面です。ただし、真に解放されるのは、受容されるのと同時、ラストシーンでアナが凍る瞬間だと思っています。一方、おおかみこどもの雪は、転校生が打ち明け話をしてくれたことをきっかけに、初めて自分を解放します。僕は、そのどちらの場面もすごく好きです。とても綺麗な画で、優しい風が吹き抜けるような心持ちになるのです。
そして受容する側のアナと転校生は、どちらもしつこいくらいにエルサと雪に関わろうとします。自分自身を受け入れられていないエルサと雪は、自分から逃げるように、アナと転校生から逃げますが、関心を持ち続けてくれたからこそ、解放するに至ります。エルサが魔法使いだと知っていても変わらぬ態度で接してくれたアナが、自分を救おうとしてくれたことで、エルサは自己否定から脱却することができます。雪と向き合う転校生の応答は特に感動的なのですが、彼の言葉は、雪の過去の時間を含めた存在をまるごと肯定してくれる力強さがありました。
先日、友だちが「しまい込む」という言葉を使いました。何かを打ち明けられた際に「へー、そうなんだー」と言って、相手の打ち明け話を胸にしまい込み、否定さえも表明せずに、以降その話題には一切触れない態度を表現した言葉です。カミングアウトする側としては、勇気を振り絞って伝えた言葉が無効化されたような気持ちになり、とても辛い状態に陥ります。同じような話題に自ら触れるためには、また同じだけの勇気を溜めなければなりません。
いつか誰かに何かを打ち明けられた際には、ぜひ思い遣りとともに、何か質問をしてみてください。「あなたのことを知りたいから、もっとその話を聞かせて」という態度であれば、きっと答えにくい質問にもできるたけ応答したいと思えます。もちろん、答えられない場合もあると思いますが、積極的に関心を持ってくれている様子は、きっと大きな安心の材料となります。今回の二つの映画は、カミングアウトされる側がどのように接すれば良いか、参考になり得る作品だと思います。まだ観ていない方、是非ご観賞ください。