便所から覗く女子高生のリアル。

はじめまして。生きづらさを抱える高校1年生、15歳です。
 

学校は戦場。私は戦士。セーラー服は戦闘服(相対性理論「地獄先生」より)。友達は戦友なのか、敵なのか…。 兎に角、毎日が闘いです。そんな闘いのお話を書かせていただこうと思いますので、自分の高校時代を思い出しながら読んでくださると嬉しいです。
 

JKになって7ヶ月が経過しました。義務教育を終えて、家の門限が伸びたり、バイトが出来るようになったり…確実に出来ることが増えたと実感します。しかし、バイトは1ヶ月も続かずにやめてしまったし、JCの頃に想像していた「放課後デート」は未だ実現されず、「自立したかっこいい自分」とも未だ出会えず…。朝はママンが居ないと起きられないし、クラスに男子が5人の学校で彼氏なんて出来るわけがない…高倍率すぎる!結局、JC時代と全然変わっていない気がします。
 

入学して2ヶ月程度、クラスの一部の女の子から「不思議ちゃん」と言われていました。今思うと、微妙な人見知りや、「舌ピアス」をあけていたせいかなあ…なんて思います。近付き難かったかなあ…。因みに今は、様々な学校行事を通じて、みんな私が普通の人だと理解したのか、「不思議ちゃん」とは言われなくなりました。
 

段々と周りが私を理解をしてくれているのがわかり、嬉しいですが、「LINE」で「友達」になっても、朝「おはよう」と挨拶を交わす草の根活動に励んでも、いまいちクラスメイトと近づくことができません。まず、多くのクラスメイトと、話のリズムや話題が噛み合わないのです。
 

そんな私は、高校に入学してしばらく、「便所飯」をしていました。みなさんは「便所飯」をご存知ですか。読んで字のごとく、便所の個室で、飯を食うことを言います。教室でみんながワイワイ誰かとご飯を食べている中、自分だけ一人でご飯を食べるのは「あ、あの子ボッチ飯だ、ウケる。」みたいな視線を浴び(ている気がす)るので惨めじゃないですか。だから、完全に「一人」の空間=「便所」でお弁当を食うのです。
 

「便所飯」でググったら、「ランチメイト症候群」だの「孤独嫌悪シンドローム」だの、聞き慣れない言葉がヒットしましたが、どれも、微妙に私の心境を言い当てていない気がするので、スルーします。
 

便所は良いところです。良識の範囲内で、何でもし放題。イヤホンで音楽を聴いて、人目を気にせず、ノリ放題。食べこぼしをしたら、トイレットペーパーで拭き放題。なんと言っても、作り笑いをする必要が無いので、一人の空間はとても気楽です。
 

便所2

 

「便所飯」の難点はというと、
① 椅子がないため、立ち食いを強いられるということ。
② 空気中に雑菌が多いと思われること。不衛生っぽい!
③ ご飯中、稀に、お隣から排便の音を奏でられること。
の3つでしょうか。東京都に、都立高校にも「乙姫」の設置をお願いしたいものです。切実に。
 

冷静に振り返ると、集団で作り笑いをしたり、話題を合わせたりする努力もせずに、一人で便所にこもる行為自体が、実に狡猾だとも思われても仕方ないと思います。残念ながら私は、集団で作り笑いを貫ける強い人間では無いし、話題を合わせる努力は無駄であると判断したので、今、ネタにすることができています。
 

幸運なことに、今は、お昼ご飯をほぼ毎日一緒に食べる女の子が一人います。冒頭で私は、「友達は戦友なのか、敵なのか」と書きましたが、そもそも「友達」とは何なのでしょうか。
 

【辞書をひいてみた!】
「友達」… 互いに心を許し合って対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。※大辞泉より
 

「友達100人出来るかな♪」というお歌を、小学一年生の頃、歌わされた記憶があります。100人という規模から考えて、このお歌は「友達=クラスメイトや同学年の子」という認識であると読み取れます。実際「クラスメイト」と「友達」という言葉を、一緒にして遣っている人は多いのではないでしょうか。
 

私は…
①クラスメイトに心を許したつもりはありません。
②対等ではありません。
③基本、用がないとしゃべりません。遊びません。よって、親しくありません。
 

行事の係が一緒、などの理由で、親しくないクラスメイトと話していると、時々、接待をしている気分になります。「(あ、なんかウケ狙いしたな。大笑いする雰囲気だな。)アハハハハハハハ!!!」 というように。
 

でも、今一緒にご飯を食べているその子は、「友達」と言えます。共通の趣味があるわけでもないのに、こんな私と遊んだり悩みや愚痴をこぼし合ったりしてくれる、とても優しい女の子です。ありがたや。面白けりゃ笑うし、つまんなきゃ黙る。共通の趣味は無くても、そういった話のリズムが合うから、一緒にいて居心地が良いのだと思います。
 

「便所飯」を脱却した今でも、便所が大好きです。用を足すことはしなくても、ほぼ毎朝、便所に行きます。休み時間も、便所に行きます。あ、放課後はもちろん直帰ですが。私の場合、「便所飯」は時間が解決してくれました。同じ中学の子も、同じ趣味を持った子もいなくて、なかなか心を開けずにいましたが、それらはただの会話の糸口であって、「友達」である証拠ではありません。無理にキャラクター作って、クラスメイトに話を合わせていたら、「便所飯」はしなくて済んだかもしれませんが、今頃、心から「友達」といえるクラスメイトは1人も居なかったでしょう。急がずにまったりと「私」を見せていたら、私を好きになってくれる変わり者が現れました。そんな彼女の「一緒にご飯、食べない?」の一言が、私を「脱・便所飯」に導いたのです。
 

私にとって、顔と名前だけがすり替わっていく「クラスメイト」は、定期テストの順位や点数、顔面偏差値などを比べられるだけの「敵」かもしれません。ですが、私の生活の主要登場人物として名前があがる「友達」は戦場で生き抜く、大切な「戦友」であると言えます。
 

人と自分の間で、お互いがちょうど良い距離感を保つこと。「私」を偽らないこと。これらが、戦場を生き抜く鍵となると、私は「便所飯」を通して学びました。
 

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