『映画 聲の形』ー現代を生きるー

こんにちは。新名庸生です。今回ご紹介する映画は『映画 聲の形』です。

 

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【ストーリー】(公式サイトより)

“退屈すること”を何よりも嫌う少年、石田将也。ガキ大将だった小学生の彼は、転校生の少女、西宮硝子へ無邪気な好奇心を持つ。彼女が来たことを機に、少年は退屈から解放された日々を手に入れた。しかし、硝子とのある出来事がきっかけで将也は周囲から孤立してしまう。

やがて五年の時を経て、別々の場所で高校生へと成長したふたり。”ある出来事”以来、固く心を閉ざしていた将也は硝子の元を訪れる。これはひとりの少年が、少女を、周りの人たちを、そして自分を受け入れようとする物語──。

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大今良時さんによる漫画が原作で、連載時から反響が大きく、京都アニメーションによる映画化である本作もクオリティがとても高い作品です。9月17日に公開されてから10月3日までで動員数が100万人を突破したというニュースがありましたが、それを聞いて私は素直に、この作品は時代に求められているんだと思いました。
 

原作を読むと、あるいは映画を観ると分かりますが、そして原作者の大今良時さんが公式ファンブックの中で語っていることですが、『聲の形』は「「いじめ」や「聴覚障害」を主題にしたつもりはなく「人と人が互いに気持ちを伝えることの難しさ」を描こうとした作品」です。すなわち対人関係の難しさ。また、作品の中ではコミュニケーションの難しさに端を発する自殺に関する描写があります。
 

平成27年の日本の年齢別死因を厚生労働省の資料で見ると実に15歳~39歳で第一位が「自殺」と出ています。これは、思春期から働き盛りの真っただ中の年齢でこの世を去った人々の多くが、自ら命を絶たなければならない状況に追い詰められていたということになります。
 

自殺に至る経緯を一様に言うことはできないでしょうが、昨今『嫌われる勇気』のベストセラーで注目を浴びる心理学者アドラーの「人間の悩みは全て対人関係の悩みである」という言葉の意味するところと無関係ではないと思います。また2010年以降、「コミュ力」という言葉で社会におけるコミュニケーションの重要性が頻繁に語られるようになったのも事実です。
 

20161012
 

このような現代日本の傾向と本作のストーリーの符合は偶然なのではなく、作品に対する世間の反応を見るとやはり『聲の形』は時代の産物なのだと思います。
 

人とコミュニケーションを取ることの根本的な難しさ。しかし、そもそも人と人とが分かり合うことは難しいことで、それは今に始まったことではありません。問題なのは私たちがその前提を忘れてしまっていること。そして「人と人は仲良くして当たり前」「波風を立ててはならない」という、社会的に良しとされる形式だけが先走り、やがてそれは「他人に迷惑をかけることは悪」「自分のことは自分で。何があっても自己責任」といった圧力となり、人々を押しつぶしそうになっていることです。
 

このような状況の中、死亡原因で自殺が一位となる年齢が15歳~39歳となっているのは理解できなくもありません。学校や職場などで抑圧され、自分で生きる環境をコントロールしにくい場合、「生きる」ということは受動的になりがちです。その環境でどれだけうまくやれるか、受け入れてもらえるかが最重要事項となり、周りに振り回されるうちに精神的に疲弊してしまいます。
 

物語の前半、将也や硝子がまさにそういう生き方のど真ん中にいます。しかし彼らはコミュニケーションの本来的な困難の中で七転八倒しながら能動的な生を少しずつ獲得していきます。成長するということは、表面的な社会性を身につけることではなく、自分がこの世界で生きる意味とは何なのかを少しずつ体得していくということなんだと気づかされます。
 

「君に生きるのを手伝ってほしい」。将也が硝子に言うこのセリフは、ひとりで悩んでいるすべての人に、たったひとりで生きていく必要はないんだよと語りかけているように感じます。もし途中で挫けそうになったら遠慮なく他人に頼っていい。将也や硝子と同年代の人たちにはもちろん、現代を生きる多くの人々の心に響く作品だと思います。
 

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