こんにちは。新名庸生です。今回の映画は『同級生』です。
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【ストーリー】(公式サイトより)
高校入試で全教科満点をとった秀才の佐条利人、ライブ活動をして女子にも人気のバンドマン草壁光。およそ交わらないであろう二人の男子。そんな「ジャンルが違う」彼らは、合唱祭の練習をきっかけに話すようになる。放課後の教室で、佐条に歌を教える草壁。音を感じ、声を聴き、ハーモニーを奏でるうちに、二人の心は響き合っていった。ゆるやかに高まり、ふとした瞬間にはじける恋の感情。お調子者だけどピュアで、まっすぐに思いを語る草壁光と、はねつけながらも少しずつ心を開いてゆく佐条利人。そんな青いときのなかで、もがき、惑いつつも寄り添い合う二人。やがて将来や進学を考える時期が訪れ、前に進もうとする彼らが見つけた思いとは…
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中村明日美子さんの同名ボーイズラブ漫画の映画化です。ボーイズラブというと主に女性ファンが多いという印象があり、実際私が劇場に行った際もお客はほぼ女性でした。私はたまたま原作を読んでおり、また男子校という環境に思い入れがあるため劇場に足を運んだのでした。なにしろ私も男子校育ちであり、恋心を抱いた同級生がいたのです。
「男子校で同性愛」と聞くと「多感な時期に男だけの環境に放り込まれて血迷ったんだね」と思われる方もいるかもしれませんが、私の場合、今思い返してもそうではなかったと感じます。むしろこの時の経験が私にとっての「恋愛」という概念を広げてくれたと思っています。これは劇中の草壁の経験と近いものです。
「自由恋愛」という言葉がありますが、実際に恋愛をするようになるまでに人は様々な常識や理想を植え付けられており、恋愛を始める以前に不自由になっている面もあるように感じます。例えば「すり合わせ理論」という話を聞いたことがあります。男性にとっての理想の女性や綺麗な女性のイメージ(あるいは女性にとっての理想の男性のイメージ)というのはなんとなく皆似たようなものを持っていますが、早くから自覚がある同性愛者の場合においては、理想のタイプというのにまとまった方向性がなく多種多様なのは何故かというもので、それは友だち同士で「好きなタイプ」について会話をする機会がなく、周りとすり合わせをしなかったからなのではないかという説です。これについて私は結構事実なんじゃないかという気がします。周りとのすり合わせによって性という非常に奥深いものが単純化されてしまうのはもったいなく思います。
このような無意識的なしがらみを軽々と飛び越えた恋愛を描く本作からは、『キャロル』や『リリーのすべて』と同時期に公開されたということも重なって、単なる恋愛映画にとどまらないメッセージを感じます。
ちなみに私は小学校を卒業すると私立の男子中学に進学をしました。そこには他県からも人が集まり、地元ではあまり見ないような体格の良い人、小柄な人、金持ちの息子、離島出身者など様々な同級生がいたのですが、半年も経つとクラスの注目の的となり始めたクラスメートがいました。つまり私だけが特別だったわけではなく、クラスの多くが彼に思いを寄せていたのです。彼は容姿や立ち振る舞いが柔和で優しく、積極性も持ち合わせており、かといって女っぽいのとはまた違う不思議な魅力があり、ただ元気なだけの同級生たちとは異質な存在でした。私は話す時、目を合わせて話すことができませんでした。人生で初めて味わった「妖艶さ」だったかも知れません。
おそらくこの妖艶さは大抵の男性にも備わっており、ただその放ち方を知らないだけなのではないかと最近思っています。男性が、男性的なものとは別の魅力を纏おうと意識的になった時の空気の変わりようを、映画(例えば『リリーのすべて』『彼は秘密の女ともだち』)や演劇、そしてリアルな人々を通して経験することが度々あるからです。そしてそれは私が初めて味わったその妖艶さと似ている気がするのです。そういった魅力がステレオタイプ化した「男らしさ」から人々を解放し、より多様で奥深い男性性の浸透につながっていけばと思います。