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society
多様性のある社会になれば、自分の生きづらさが減ると勘違いしているあなたへ。
拝啓 時下、ますます生きづらいことと存じます。生きづらさに関するWebマガジンを運営していると、日々多くの方から「自分はどれだけ生きづらいか」「社会が自分の生きづらさをどれだけ理解していないか」といった内容の連絡をいただきます。私の基本的な考え方は、どれだけ生きづらさを訴えられても「わかるわけない」が基本スタンスです。 -
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幸せになる準備しかしてこなかった24歳の私に突然訪れた障害と病気。デンマーク留学日記①
「明日からあなたは障害者です」と言われて「オッケー」となる人はいるのだろうか。障害者なんて自分の人生の中でほとんど会ったことないし、私が通っていた小学校には、障害のある子供たちが通う特別支援学級すらなかった。そんな私が障害者になった。告げられた病名は「よくわかんないけど、病気」。徐々に身体から筋肉が消えていく病気だった。 -
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共依存という病がもたらした夫婦の結末
今年の初夏に、私たち夫婦は離婚しました。これまで、どうにか2人でうつ病を乗り越えたいと思っていたけれど、結局それは叶いませんでした。私たちが離婚に至った理由の一つ。それは「共依存」の状態に陥ってしまったこと。いい夫婦関係を保てなくなってしまったことが、大きな要因でした。昨年の秋頃から、私は日常の中に疲れを感じるようになっていました。 -
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止めたくても止められない。リストカットなどの自傷行為ってなぜしちゃうの?
リストカットはあまりにも有名な自傷行為ですが、髪の毛や眉毛やまつ毛を抜く、爪を噛んだり剥がす、ライターなどで体に火をつけるなどもあります。しかし、これらの多くは「死にたい」からするのではないということです。また、誰かに構って欲しいからやっているわけでもありません。むしろ他人に「バレたくない」と思っているひとが多いのです。 -
society
カミングアウトは突然に。する側の準備、される側の無防備。ーPlus-handicap Session #7レポートー
Plus-handicapでイベントを開催すると、しばしばカミングアウトされることがある。生きづらさをテーマにしていることもあって、自己紹介がカミングアウト的なものとなるのはしょうがない。ただ、かつてのイベント後の「ゲイ→難病→余命期間」というカミングアウトのラッシュには精神力がだいぶ削られたことは今でも思い出される。 -
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「無理しないで」っていう便利な一言について考えてみた。
「無理しないで」これは精神疾患の人向けに、よく使われる言葉です。もちろん、悪い意味ではないと思いますし、優しい気遣いや声掛けとしての定番として、使われている気がします。ただ、どんな立場の人でもひとりひとりに傾向があります。精神疾患の人に配慮する言葉として「いらっしゃいませ」と店員が声掛けするような、ありふれた表現になっていませんか。 -
society
支援する側もされる側もモチベーションが保てる支援を考えるーなんとカンファレンスゴールデンレポートその2ー
2016年8月28日(日)に畿央大学(奈良県)で行われた『なんとカンファレンスゴールデン』のイベントレポートの第2弾です。午後から始まった分科会では「支援においてどちらか一方が笑えない状態に陥ってないか」という私自身の懸念から、「どうすれば支援する側もされる側もお互いに笑って過ごせるかを考える」というテーマで話し合いました。 -
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「困り」が主役の支援なんて、もういらないのでは?ーなんとカンファレンスゴールデンレポートその1ー
2016年8月28日(日)畿央大学(奈良県)にて開催された『なんとカンファレンスゴールデン』。夏休み最後の日曜日に120名あまりの人が「奈良の障害支援をなんとカしたい」というコンセプトのもとに集まりました。「困り」が主役の支援なんて、もういらないのでは…?今回のチラシのタイトルを見たとき、私は「困ってるから支援するんちゃうの?」と心の中でツッコミを入れました。 -
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「生きよう」から「生きたい」へ
「生きよう」と思えば「死にたくなくなる」のでしょうか。僕はたぶん、そこをずっと考えたことがなくて、「死にたい」と思うことは無くなったし、「生きよう」と思い続けることができても、「死にたくない」という感情が実はずっと分からなかったのです。「生きよう」は意思で「生きたい」は欲求。当たり前のことにやっと気づいたのかもしれません。 -
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プラス・ハンディキャップに関わって3年。はじめて「俺、この人と同じかも」と思った。
「Plus-handicap」創刊直後からライターとして関わる最古参のメンバーである私ですが、正直いって、今までどんな障害の方や難病の方の話が出てきてもどこか他人事に感じていました。「だって俺、健常者だし」みたいな。その感覚をあまりにこじらせすぎて「普通すぎて生きづらい?」なんて記事を書いて炎上したこともありました。