最初の一歩を踏み出すきっかけをくれた「ゼロ」という考え方。堀江貴文『ゼロ』

私は30歳になった今でも一人旅をしたことがありません。海外はもちろん、国内すらありません。
 

方向音痴なので迷ってしまうかもしれない。ご飯屋さんに一人で入るのも苦手。わからないことがたくさんあると楽しめる気がしない。そんなことを考えていたら行けなくなってしまいました。
 

最初の一歩を踏み出すのは、勇気が要ります。
 

はじめての場所に行くのも、初対面の人に自分から話しかけるのも、自分が今までやらないで来たことをやってみるのも、どれもうまくいかなかったり、恥ずかしい思いをしたり、傷ついたり、思わぬ危険と遭遇したりするかもしれません。挑戦には、リスクが伴います。
 

私はなるべく不安要素を取り除きたいがために、挑戦そのものを避けてきてしまいました。そんな私に、ある人は「いつまで、安全なところから出ないつもりなの?」と聞きました。
 


 

私は、昔から心配性な子どもでした。小学校の低学年のころ、外出好きの父に連れられて毎週末のように行くドライブが、私にとっては憂鬱でした。カーナビやスマホなんてまだない時代に、地図とにらめっこをしながら知らない道を進んでいくのが怖かったのです。
 

父は「こっちの道を行けば、近道なんじゃないか?」と言い出して、すぐに地図上に乗っていない道や正規のルートから外れたがる人。結果的に迷ってしまうこともよくありました。
 

私はしょっちゅう車酔いをして泣いていましたが、今思うと「あたりが暗くなってきて、今どこにいるのかわからない」という状況の不安感に堪えられなかったのもあるかもしれません。
 

ビビりな性格は大人になっても変わらず「予想がつかないこと」は今でも苦手です。就職活動では、新規営業なんてまずできないと思い、意図的に避けました。
 

そんな私ですが、約1年前、新しいプロジェクトのために「企業のリストアップをして、メールでアポを取る」という仕事を頼まれたことがありました。仕事とわかってはいても、ものすごく気が進まず、どうしてもやりたくなくて、何とか別の仕事と変えてもらえないかと頼みました。
 

上司は「今回はそれでもいいけど、いつまで安全なところから出ないつもり?それじゃあいつまでたっても、自分のできることは広がっていかないんじゃない?」と言いました。
 

その通りでした。
 

私は足がすくんで、狭い世界から外へは一歩も踏み出せなくなっていたのです。まるで真っ暗で罠だらけのところを歩くようなものだという感覚がありました。足を滑らせて奈落の底に転落してしまうのではないかと、ビクビクしていました。いつまでも安全圏に留まることはできないとわかっていても、とにかく怖くて仕方がなかったのです。
 


 

なぜ、私がここまで自分を無力だと感じ、世界を怖れるようになっていたのかはよくわかりません。自分の考え方に気づくきっかけをくれたのは、次の文でした。
 

僕はマイナスになったわけではなく、人生にマイナスなんて存在しないのだ。失敗しても、たとえすべてを失っても、再びゼロというスタートラインに戻るだけ。(『ゼロ』 堀江貴文 p.30、ダイヤモンド社)

 

私の中では、失敗や何かを失うことは「マイナス」だと思っていました。取り返しのつかないマイナスだと思っていたからこそ、挑戦そのものを避けていました。
 

ゼロになることは、みんなが思っているほど怖いものではない。失敗して失うものなんて、たかが知れている。なによりも危険なのは、失うことを怖れるあまり、一歩も前に踏み出せなくなることだ。(同上)

 

ゼロという考え方は「成功(プラス)か失敗(マイナス)」の二択しか頭になかった私に、新しい「ものの見方」を提示してくれました。
 

「失敗」を極端に恐ろしいものにしてしまっているけれど、それは絶対的な事実ではなく、傍から見たらそれはただの「ゼロ」なのかもしれないと気づきました。
 
 
今は、失敗しても帰って安心できる場所さえあれば、大丈夫だと思っています。休むことができれば、少しずつ傷や疲れが癒えていきます。回復して準備が整ったら、また挑戦をすればいいのだと思うと、それはそんなに悪いことだとは感じなくなりました。
 

新しいことや、はじめてのことは怖いだけじゃない。小さな挑戦を重ねていくうちに私には「多少予想外のことが起きても、なんとかなるだろう」という自信のような、信頼感のようなものが育ってきました。私にはいつでも戻れる「ゼロというスタートライン」があると思うと、どこにだって行ける気がしてくるのです。
 


 

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