山田玲司『非属の才能』ーなぜみんな誰かと同じがいいのか?オンリーワン思考ではなかったのか?ー

「ナンバーワンにならなくてもいい。もともと特別なオンリーワン。」
 

10年以上前に流行ったSMAPの「世界に一つだけの花」。一人ひとり違うのだから比べることに意味はない、ナンバーワンよりもオンリーワンを目指そうよという歌詞に込められたメッセージは、老若男女問わず多くのひとの共感を生み出しました。ゆとり教育の只中で、多くの学校で歌われていたこともあって、ゆとり教育の代名詞のようなニュアンスまで飛び出すほどでした。
 

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昔と変わらずなのか、今の日本ははみ出すことを恐れ、答え合わせを繰り返すような社会となっています。学校では右に倣えというような同調教育が繰り返され、会社ではマニュアル人間を生み出し、家庭ではいい学校に入り、いい会社に入社すれば将来は安泰だという、いつの話?と思われるようなキャリア論が展開される始末。世界に一つだけの花の歌詞に感動していた世界はどこへ行ってしまったのでしょうか。
 

「これが正解」「これがふつう」「これがあたりまえ」「これが常識」という同調を、教師は毎日これでもかというほど生徒に押しつけてくる
 

本の、とある一節に書かれていますが、これは教師だけに当てはまることではないでしょう。親も、上司も、世の中に溢れている情報も、皆すべて同じように語りかけてきます。そして表面上では、個性を大事にしようとか夢を持とうとか言っているからこそ、さらにタチが悪い(笑)。お国のために死ぬのが当たり前と全員が信じていた時代と何が違うのでしょうか。メッセージが変わっているだけで、根本部分は何も変わっていないのです。
 

「生きづらさ」は比較から生まれると考えています。もっと言えば、各個人が持っている正しさとの比較です。学校は毎日登校しなくてはいけない、先生の話はすべて聞かなくてはいけない、友達とは仲良くしなければならない。もちろんこれは常識的な言い分だと思います。ただ、何かの理由で登校できない日が続いた、先生の話に異論を思った、どうしても友達のある部分が気になるといった、常識的な部分に対する疑問が芽生えてきたとき、「自分なりの意見だし大切にしよう」と感じたか「人と違うことを考えてしまった、どうしよう」と感じたかで、「生きづらさ」が発生するか否かが決まります。
 

学校生活でこの比較に明け暮れ、自分の意見を押し殺し、結果として自分が感じている正しさを疑わず、周囲の解答に合わせていく人生に慣れたならば、100%の正解がないビジネスの世界でどう立ち向かうのでしょうか?答えを教えてほしいと言われても、答えなんてありません。その状況下では悩み苦しむことは必然でしょうし、自分ではコントロールできない他人が関わる、例えば家族関係のようなものにも過剰なストレスを抱くことはまた必然でしょう。すべては自分が手放すことの出来ない「正しさ」の中に眠っているのです。
 

この本では「非属」という言葉を使ってうまく説明しています。
 

「才能というのはどこにも属せない感覚の中にある」
 

誰かと一緒、右に倣えの状態の中に、自分の人生を創り出していく才能はないということです。本の中に出てくる数々の実力者の皆さまは「非属」に秀でたひとばかり。一人ひとりの話を読むだけで自分の過去を疑ってしまいます。あのとき、自分の信じることをやっていれば、という気持ちにすらなるかもしれません。
 

ちなみに、「絶望に効く薬」という著作(マンガ)もおススメです。
 

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