「ゴールドコンサート」主催者貝谷嘉洋さんに聞く、合理的配慮、機会平等、そしてノーマライゼーション。

「分けているからいないんだよ」
「僕たち障害者は、同じ目線の市民として存在していない」
 

障害をもつミュージシャンの音楽コンテスト「ゴールドコンサート」の主催者である貝谷嘉洋さん。筋ジストロフィーという難病を抱えて14歳で歩行が不自由となり、現在は24時間介助が必要な生活を送られています。
 

単身の渡米、NPO法人の立ち上げ、現在では音楽イベントの主催に執筆活動と精力的な活動をされてきていますが、一貫して「福祉っぽくなく、カッコいい」ものを目指す姿がありました。
 

今回は、プラスハンディキャップの編集長である佐々木が、貝谷さんの考える「ノーマライゼーション」や「合理的配慮」の話を聞きながら、「ゴールドコンサート」にこめられた思いと最終目標を伺ってきました。
 

第13回ゴールドコンサート本戦のステージで挨拶をする貝谷さん(撮影:川津貴信)

 

障害者への関わり方は「保護と救済」か?「平等と効率」か?

 

佐々木:貝谷さんは、バリアフリーに関する活動をされたり、障害をもつミュージシャンのイベント「ゴールドコンサート」を主催されたりしています。もう何度も何度も聞かれていると思いますが、始めるようになったきっかけを教えていただけますか?
 

貝谷:昔から、格好悪いことやダサいことが嫌いで。車いすに乗っていてもおしゃれでいたいし、普通の人となるべく同じでいたい。障害者の「苦しんでいて、助けが必要で、おとなしい」というイメージがすごく嫌で、覆したかった。
 

そういう風に見られてしまう自分が嫌で、アメリカに行って7年位生活しました。向こうの障害者は、主張がちゃんとあって、強くたくましく生きているように見えた。カッコよかったんだよね。だから、日本に戻ってからもノーマライゼーションの社会づくりを目指したかった。障害者が一般社会に溶け込んでいけるといいよね。
 

第14回ゴールドコンサートのサイト(スクリーンショット)

 

ゴールドコンサートは、デンマークのグリーンコンサートを参考にしました。グリーンコンサートの方が規模も大きいし、障害者が出演するものではないんだけど。障害者が出ているコンサートでも「福祉っぽくなくて、カッコいい」ものを作りたかった。
 

佐々木:たしかに、日本の「障害者」というと「おしゃれでカッコいい」というイメージからは遠いかもしれないですね。アメリカで「カッコいい」と感じられたのは、どういった点にありますか?
 

貝谷:日本では、障害者って「保護と救済」の対象だよね。未だにそう。でも、アメリカでは一般市民として扱われるから、求められるのは「平等と効率」。働ける人は働いて当然だし、チャンスを平等にするためには税金を多少投入することも許される。本人も社会も、スタンスが日本とは違う。アメリカは非常に合理的だよね。
 

佐々木:マイナスをゼロに持っていくのが「保護と救済」で、ゼロをプラスに持っていくのが「平等と効率」のような感覚があります。たしかに、今の日本だと「マイナスを解消すること」に主眼を置いている印象がありますし、ゼロになった時点で満足してしまう人が多いような気がします。
 

貝谷:「保護」だと、ゼロより上になっても、周りが「必要なものはありますか?」って聞いちゃう社会なんだよね。
 

佐々木:「平等」は「他の人と一緒のスタートラインに立つ」という前提ですよね。本人にとって「ゼロから先を目指す」ことに集中できると、生きやすそうですね。
 

貝谷:アメリカの「平等」は「合理的配慮」をしたうえでの機会の平等にあたるのかな。「合理的配慮」はあくまでも「マイナス100をゼロにするところまでは社会がやりましょう。ゼロから先はあなたがやってください」という考えだよね。
 

富山市内にてトラムに乗車

 

貝谷:僕は合理的配慮って「何かあった時に誰が責任を持つのか」を考えて、ルール作りを進めていくべきだと思う。どこまでが合理的であるかコンセンサスができれば、サービス提供側が、その分のコストを負担する義務がある。ただそれを満たせば、いい表現ではないけれど、事故があっても損害賠償の責任がないということかもしれない。
 

日本は「保護と救済」がベースだったせいか、合理的配慮を「やさしさ」に委ねてしまい、本来どこまで配慮すべきかという議論がない。そこがちょっと社会を難しくさせている気がする。
 

佐々木:なるほど。「合理的配慮」をコストで考えるとわかりやすいですね。合理的配慮の判断を「やさしさ」に委ねると線引きがあいまいになっちゃう。判断軸も人それぞれになってしまいますし。コストで計算すると「最終的にどうすれば社会全体の利益につながるか?」と指標が作りやすいですね。
 

ゴールドコンサートが音楽のクオリティの高さで勝負する理由

 

佐々木:以前、貝谷さんにお会いしたとき、ゴールドコンサートの予選で落とされた方の親御さんから「うちの子の何が悪いのですか?」と落選理由の説明を求められたり、「一人あたりの持ち時間を伸ばしてください」との要求があったりするということを伺いました。
 

貝谷:基本的にコンテストだから、わがままは許されないよね。「障害を持っていても、これだけできるってすごいね」っていうところにいる子って「落とされる」という経験がないから厳しい。日本の社会では普通、「落とされる、切られる、無視される」といった経験をするんだけど、その経験がない。
 

佐々木:機会は平等であっても、結果が平等である必要はないですからね。そういう考えがベースにあるから、クオリティを求められるコンサートになるんでしょうね。
 

貝谷:やっぱり、カッコいいものを見せたいから。賞を取りにくるから確実にがんばる。努力してクオリティを上げてくる。競争の持つ力ってすごいよね。
 

佐々木:何回も落ちて、それでも挑戦して…みたいな人もいらっしゃるんですか?
 

貝谷:うん、いるよ。でも、僕の最終的な目標は、ゴールドコンサートをなくすこと。必要な配慮を受けながら、障害者がふつうのオーディションにも出られたら、ゴールドコンサートは必要ないんだよ。スタジオとかの施設、楽屋、観客席もバリアフリーになっているならばね。だから、なくすことが最終的な目標だよね。
 

佐々木:ロックフェスとか他の音楽イベントでも、出演者にも観客にも、外見で分かる障害者ってあまり見かけない、少ない気がしますね。
 

貝谷:そもそも、社会には障害者についてほとんど知らない人もいまだにいるからね。このイベントを通して、お互いが知り合うきっかけになったらいいと思う。音楽って、わだかまりをとるのにもいいからね。
 

障害者と一般の人がまざっている場所って、ほとんどない

 

佐々木:僕もこの仕事を始める前まで「障害者って一定数いるはずなのに、どうして出会わないのだろう?」って不思議に思っていました。
 

貝谷:それは分けているからいないんだよ。そもそも重度障害のある人とかが一般の人に混ざって外に出る文化がないよね。例えば「気軽に買い物をする」とか。みんなは「あれを買いたいからここへ行こう」とか目的がなくても、衝動買いのように、ひょいっと行って買ってくるでしょ?自由だよね。
 

僕らは違っちゃう。「どこかに行きたい」「なにかをやりたい」となると「障害者のためのディズニーランドのツアー」とか「障害者スポーツ大会」とかになっちゃう。自由社会を謳歌している多くの日本人とのマインドと、障害者のマインドは分離されちゃっているんだよね。
 

佐々木:障害特性や体調によるものもあったりしませんか?
 

貝谷:いろいろ障害者と会ってきたけど、外に出たほうが元気になる人が多いよ。
 

第13回ゴールドコンサート本戦の集合写真(撮影:大高英樹)

 

インタビューを通じて、日本とアメリカにおける「障害者」と「社会」の関わり方の違いを深く掘り下げることで、「障害者」と「一般の人」を分離する今の日本の文化が浮き彫りになってきました。
 

ゴールドコンサートの最終目標がそのものをなくすこととしているように、合理的配慮をベースとした機会平等が進められればいいなと思います。
 

今年で第14回目を迎えるゴールドコンサートは9月16日(土)東京国際フォーラムで開催。皆さんも「カッコいい」そして「クオリティの高い」音楽イベントに、足を運んでみてください。
 

第14回ゴールドコンサート|ホームページ
https://gc.npojba.org/
 

ライター:森本しおり

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Plus-handicap 取材班