心が崩れずにすむ道もあったはずなのに。

社会人として働いていた6年目のある日の朝、私の心が限界を迎えてしまいました。
 

「パリン」と心が音を上げ、崩れていったような感覚。その時に「あぁ、終わったな」という気持ちと同時に「もう完全には治らないだろうな」となんとなく思いました。
 

自分の力では何もできなくなり、家族の力を借りて会社を退職することとなります。現在は復職へ向けてリハビリをしている最中。崩れてしまった心をもう一度ボンドで張りなおしていくイメージです。
 

この文章は、過去の自分の振り返りであり、私のような人がこれ以上増えないように、自分の反省点や今後の社会との関わり方についての考えを書いていきたいと思います。
 

うつ病
 

私は医者から「うつ病」と診断を受けましたが、ADHDとASDの傾向があることもわかりました。小さい頃は何か特別な不自由を感じることなく生活してきたので、いわゆる「大人の発達障害」です。
 

今、思い返すと、私には「こうしなければいけない」や「こうあるべき」という思い込みが強く、また、負けず嫌いな性格ではありました。
 

学生時代は、勉強や部活動に対して一生懸命取り組んできました。その結果が出ていたため、当時は自分に自信がありました。周りの人からも、ある程度認められていると感じていました。
 

人は大なり小なり周囲からどう思われているかを気にしながら生きていると思いますが、私の場合はその傾向がとても強く、自分がどうしたいかというよりも、周りからどう評価されているのかを第一にしてしまいます。この思考が、のちの自分の首を絞めてしまうことにつながりました。
 

将来はいい大学に入り、いい会社に就職、出世して人生を成功させ、周囲から認められたい。今考えてみると何十年前の話だよ、ただ社会のレールに乗ってるだけと思われるような浅い考えでしたが、本気でそんな未来の自分を思い浮かべていました。
 

そして、社会人となり状況は一変します。私はとある金融機関で働くことになりました。
 

ある程度の規模の会社であれば、入社して最初の1~2年間は比較的単純な作業を一定のペースでミスなく淡々とこなす能力が求められます。
 

お金を扱う職種であったので、一つのミスが大きな損失や信用を失う結果となってしまうことがあると上司から何度も言われてきましたが、集中できない時間が出てきてしまう、注意力散漫でミスが出てしまうといったADHDの特性が顕著に表れるようになりました。
 

自分なりに解決しようと本を読み、ネット記事をあさり、実践してみるものの、やはりできない。無駄な見栄やプライドが邪魔をして、家族や先輩、同期にも恥ずかしくて相談ができませんでした。
 

この頃から「自分はADHDではないか」と疑っていましたが、実際にテストを受けるまでの勇気がありませんでした。
 

結局「この会社と自分が合わないんだ」と責任転嫁をし、メーカーの営業職へ転職しましたが、ここでも問題や失敗はさほど変わりません。むしろ、業務内容が合わず、自分の欠点がより大きくでてきてしまいました。また、上司との「報・連・相」がうまくいかず、何度も怒られていました。
 

2社目も失敗続きの社会人生活でした。自分を責め、眠れない日々が続き、そのストレスをアルコールで逃げる日々を送っていました。
 

さすがに私だけでなく、家族もアルコールの飲み方に対して異常を感じ、病院へ行くように勧められました。そのとき、発達障害の診断を受けたいと伝えました。結果はADHD、ASDの傾向が強く出ており、各能力差に大きな凹凸が見られました。
 

「やっぱりか」というのが当時の私の素直な感想でしたが、親はとてもショックを受けていました。
 

しかし、仕事はそれでも続きます。何もしていないのに涙が出てくることが多くなりました。なんだかんだ、自分も大きなショックを受けていたのかもしれません。
 

それでも、私は会社を休む、退職するなどの選択を考えることはできませんでした。それは逃げることになってしまうから、ここで逃げたらもう一生ダメな人間で終わってしまうのではないか。その恐怖感がたまりにたまり、私の心は壊れてしまいました。
 

昔の自分に言いたいです。「今すぐに逃げろ!!」と。
 

うつ病
 

発達障害は個性であるとポジティブ要素強めに表現されていることがありますが、私は社会人となってその恩恵を受けた記憶がほとんどありません。たまに過集中に入るくらいでしょうか。
 

私は一般雇用の社会人として2社経験しましたが、どちらの会社でも浮いた存在であったと思います。一般枠として働くとなった場合、お互いを助け合い、弱点を配慮してくれる余裕のある会社は、まだほとんど無いのが現状だと思います。
 

発達障害者が生きやすい社会を目指すこと、願うことよりも自分がうまく適応できるようになんとかやっていく。これが私の今の私の考えです。
 

今思えば、何度も気づいて修正できるタイミングはあったはずなのに、それを見ないで生きてきてしまいました。どれだけ上手くいかなくても、環境のせいにしていると自分を変えることはできません。昔の私は本当の自分を隠して演じるピエロのような人間でした。
 

社会人で二度失敗をして、発達障害であることがわかったことは、自分と正直に向き合うきっかけになりました。肩の荷が下りて、今の方が気持ちは楽になりました。
 

これからは、ありとあらゆるものを使って、何とか生きていきます。生きていたら、何かいいことがあるかもしれない。まだ少しだけの希望しかありませんが、それを糧に自分のペースで進んでいきたいです。
 

記事をシェア

このライターの執筆記事

  1. 心が崩れずにすむ道もあったはずなのに。