障害をフラットに受け容れるには?―Collable 湯浅真衣さん×編集長対談

今年2月に開催された、NPO法人Collable主催のドキュメンタリー映画『ちづる』の上映会。これは知的障害と自閉症を持つ妹・千鶴さんと、その母を一年間撮り続けたドキュメンタリー映画です。
 

今回、このイベントを企画したのは、Collableの学生インターンの湯浅真衣さん。発達障害がある姉と自分がこれからどう向き合っていくか、障害をわかるってどういうことなのか、などを考える機会をつくるために開催しました。
 

イベント前に湯浅さんに取材したときには、
 

 

“姉の障害を「そういうもの」と受け取っていて、「どう関わればいいのか」を真剣に考えたことがなかった”

 

と話していましたが、上映会を終えて、どのようなことに気づいたり、感じたりしたのか。せっかくの機会なので、Plus-handicapの編集長佐々木が、イベント後の湯浅さんの心の中を伺ってきました(取材日は3月17日です)。
 

障害受容
 

障害のある家族がいることが、アイデンティティになりがち。

 

佐々木:
イベント前に湯浅さんの話は聞いたけれど、実際にイベントをやってみて、感想とか気づきとかって、パッと思いつくことありましたか?
 

湯浅さん:
イベントで見たのを含めると『ちづる』は3回見たんですけど、自分以外の障害のある家族のリアリティは何度見ても新鮮なカンジでした。あと、中学・高校と同じだった女の子が来てくれて、障害をテーマに話すことができたのは嬉しかったですね。
 

佐々木:
冷静に考えると、自分の家族の障害の話を映画のテーマにするとか、イベントで話すとか、けっこう勇気がいることだよね。
 

湯浅さん:
たしかに(笑)。たとえば、自分の家族に障害者がいることを誰にも言わないで生きてきたとして、私は「ぜったい言った方が楽になるのに」って思うけど、それは人それぞれで。私が中学のときに「ぜったい言った方がいいよ!」とまわりに言われても、受け入れられなかったと思うので、言うことがぜったいに良いとはしたくない、って思いました。
 

佐々木:
それ、すごくいいな。知らなくていいんだったら、知らなくていいし、言わなくていいんだったら、言わなくていいし。知らなくていいことってあるよね。すべて共有するのもしんどいし。
 

湯浅さん:
言っちゃったら言っちゃったで「障害者の姉がいる湯浅真衣です」みたいなアイデンティティになっちゃいそうで。そんなイメージがついちゃいそう。
 

佐々木:
イベントやって、取材受けてたら、そうなっちゃう可能性高いけどね(笑)。
 

湯浅さん:
そんなイメージついちゃってたら、初対面から障害のある姉の話をしなくちゃいけなくなる。めっちゃ重たくないですか?自己紹介がすぎる(笑)佐々木さんも、この仕事してると「障害がある佐々木です」って言うこと、あるんじゃないですか?
 

佐々木:
うん。言ってるねえ。言わなきゃいけない感すら、あるよね。
 

障害受容
 

障害があることをフラットに話せればいいのに。

 

佐々木:
今の話の「重たい」っていうのが、なんとなく大切なところだと思ったんだけど、どうやったら軽くなる、というか、ふつうに話せることになるんだろう。
 

湯浅さん:
私が今まで話してきたときは、6歳離れた姉がいるということを伝えると、大学に行って、就職して、というのが当たり前の状況として会話が進んでいくんです。そして「家にいる」「障害がある」と話すと、踏み込んじゃいけない話だったって身構えられる感じがする。障害のことから話せばよかったかなとも思うんですけど、話す順番ってむずかしい。
 

以前、大学の授業で「何気ない会話の中で彼女いるの?彼氏いないの?とかって聞くことあるだろうけど、無意識に男性ならパートナーは女性、女性ならパートナーは男性って決めてしまっているよね」と言われてハッとして。姉のことを聞かれたときの心苦しさと似てるなって。
 

佐々木:
健常者であることが前提で話が進んでいるというか。
 

湯浅さん:
理想的な人生設計であったり、異性愛者であることが前提で話が進んでしまって、何気ない日常の一言で、マイノリティ側は詰まることがあるのかなって。「あ、ちがうんだ」と思って、言えなくなっちゃう。
 

佐々木:
ステレオタイプというか、多くの人にとっての当たり前を前提にしないと、コミュニケーションがなかなか進まないこともあるしね。
 

湯浅さん:
でも、私も福祉系の大学に入るまでは、姉以外の障害者と関わったことがなくて、その状態で障害のことを理解してと言われても無理で。知らない、学ばないのが悪いのではなくて、出会う機会がなければ反応に困るのも、想像できないのも当たり前で。
 

佐々木:
ちょっと話はずれるけど、東京のコンビニって外国人が店員さんなのは当たり前で、旅行客も多いから、外国人がいることが割と当たり前の光景になってる。福岡にいる母からすると、それは衝撃だったと以前言われて。
 

湯浅さん:
私も中学・高校の同級生にバングラデシュの子がいて、その子と仲良くなかったら、外国人との距離はあったかもしれない。
 

佐々木:
いろいろな人がいるっていう環境で育ってくると、許容しやすいのかもね。そう考えると多くの学校っていびつで、ほとんどが日本人で、男女がだいたい同じくらいの数がいて、同じことを学んでる。その環境を経て社会に出てくると「みんなにとっての当たり前」が強烈だよね。ステレオタイプ外は生きづらいし、想像することもできない。
 

湯浅さん:
インターネットでも漫画でも、街中でも道端でも、いろいろな人を見かけて、受容しやすさとかは変わってきている気がします。6歳から15歳とか、すごく自分の中での考えや感覚などが培われていく時期に、ほとんどの子どもが通う学校で様々な人を知り、出会い、関わる、と言うのはすごく重要だな、と思います。
 

佐々木:
今でこそ、いろいろな背景の子どもが増えているし、いろいろな背景があることを子どもたちも知ってきてる。今の小学生が社会に出てきたときは「そりゃ、いろいろな人いるでしょ?いちいちビビってるって、ダサくないですか?」とか言ってほしい。そのときにはもう、障害があることなんてふつうに話せそう。
 

障害受容
上映会の様子 写真:森田 友希

 

自分の障害、自分の子どもの障害は受け容れられるかどうか。

 

佐々木:
湯浅さんって、自分が障害を負ったとしたら、受け容れられそうですか?
 

湯浅さん:
私の場合は、物心ついたときから姉がいるので、ふつうとはちょっとちがう前提かもしれませんけど、事故とか病気とかで身体障害を負ったら、しょうがないかあって思いそうな気がします。言葉がしゃべれなくなるのはイヤかなあ。精神障害なら、姉を見てるので仕方がないかな、と思う反面、辛くなったらいつでもすぐに誰かに悩みを吐き出すと思います。
 

佐々木:
僕は嫌なんですよね。ただでさえ生まれてから34年間足が不自由なのに、例えば病気で麻痺が加わったりとかしたら、ダメだと思う。身体障害がプラスされることはイヤだなあ。
 

湯浅さん:
見えなくなるとかも?
 

佐々木:
誰がカワイイとか分かんなくなっちゃう。
 

湯浅さん:
それはつらい。精神的なところだと、無理しすぎないとか、誰かに相談するとか、いろいろ考えます。姉のことを考えれば考えすぎるほど、どうしようもなくなってしまうから、そんな経験が活きてるのかもしれません。できないことはできないって割り切ってるし。
 

佐々木:
そしたら、例えば、湯浅さんが子どもを産んだとして、その子どもに障害があったとしたらどう思う?受け容れられそう?
 

湯浅さん:
産んでみないとわからないですけど、障害があったら、それなりにショック。
 

佐々木:
そうだよね。僕も子どもが二人いるけど、生まれた時に指の数を数えたり、ちゃんと手足が動くか確認したり、自分が生まれつきの障害者だからこそ、気にした部分はすごくある。何かあったら、間違いなく自分に原因があるんじゃないかと責めてしまいそうだったから。
 

 

湯浅さん:
ただ、諦めることも大事なのかもしれないなって思います。ちょっとズレちゃうかもしれないんですけど、大学受験どんなに失敗しても生きられるし、就活にしても全部落ちても死ぬまでのことじゃないなって。どこかしらで、諦めみたいなのは生きていく上で必要なのかなって思うんですよね。
 

佐々木:
なるほどね。受け容れるという発想よりは、諦めるっていうほうがいいのかもね。言葉自体、ネガティブなイメージだけど、このくらいでいいかとかしょうがないとか、どこかで線を引けるっていうのは大切かもしれないね。
 

障害受容
上映会の様子 写真:森田 友希

 

映画「ちづる」から学ぶ、家族を伝えることへの葛藤|note
https://note.com/collable/n/nab99a15a26ca

記事をシェア

この記事を書いた人

アバター

Plus-handicap 取材班