反省していることに自己満足して、一歩踏み出せないから、何も変わらない。

「わたし、家に帰ると”あんなこと言わなければよかった”とか”なんでこんなことをしちゃったんだろう”って毎日のように落ち込むの。ひとり反省会。でも、反省しても同じことしちゃうんだよね。」
 

先日、そんな話を聞く機会があり「ああ、似てるなあ」と思いました。
 

何を隠そう、私も「ひとり反省会」ばかりして、次回以降にまったく活かせなかったタイプ。しょっちゅう落ち込むのに、同じ失敗を繰り返して自信と周囲からの信用をなくしてばかりでした。
 

ただ、さんざん失敗を重ねて、痛い目にあったからこそ、今は「反省することよりも、同じ失敗を繰り返さないことの方が大事」と思っています。
 

ひとり反省会
 

ひとり反省会。
 

仕事から帰ってくると、その日にあったことをぐるぐる思い出すところから始まります。怒られたシーンが脳内でエンドレスリピートされて、声も、映像も頭から離れなくなってしまい、自分がやらかした失敗を思い出しては「なんであんなことをしてしまったんだろう」と恥ずかしくなって自分を責めたりしていました。
 

当時の私は、反省とは、精神的に大ダメージを受けて、何も手につかなくて、そのことが頭から離れない状態になることだと思っていました。だいぶズレてますね。
 

反省に対する認識が変わったのは、部品工場に転職をしたときのこと。私の材料手配ミスが原因で、事故報告書を書いたことがありました。私の落ち度だったため「次回以降、材料の確認を徹底します」というような内容を書きました。
 

すると、上司に呼びとめられ「これでは、報告書の意味がないから作り直してください」と注意をされました。その工場では失敗が発生したときに「事実を具体的に記録する」ことと「同じミスが起きない仕組みを考え、作ること」が大切にされていました。
 

さらには「気を付けるだけでは、調子が悪いときや忘れたころに、また同じことが起こってしまいます。気を付けなくても、ミスが起きない仕組みを考えてください。」と言われました。
 

社会人であれば、具体的に事実や数字など定量的に判断できるもので検証することや、次回以降の対策を意識ではなく、行動に落とし込んで考えることなどは基本的なルールなのでしょう。
 

しかし、私はそれができていませんでした。
 

対処法を考えたり、試したりしていくうちに「いくつもの要因が絡んで、結果を生んでいたんだ」ということを知りました。「私はダメなやつ」と落ち込んでばかりだった「ひとり反省会」をする時間を費やすことはほとんどなくなり、地道な検証と改善策を見いだすことに時間を使うようになりました。
 

ひとり反省会
 

今思い返せば、落ち込む時間がやたらと長かったのはちょっとずるい部分がありました。他の人に「私、へこんでいます」というアピールをして、優しくしてもらったり、許してもらったりするための処世術でもあったと思います。
 

落ち込んでいれば、周囲から責められにくいですし、同情してくれる人もいます。ただ改善策を考えることもなく、同じ過ちを繰り返し続けると、他人からの信頼を失っていきます。やがて、誰からも期待をされなくなり、職場に居づらくなってしまいます。
 

一度失敗したとしても、違った行動を試していけば、結果は変わるもの。意識を変えるだけではうまくいかず、行動が伴って、初めて新たな結果が生まれるものです。
 

なんでうまくいかないんだろう、こんなミスしてばかりの私なんて。というような一人で悩んでばかりの反省は止めにして、どうすればうまくいくかという行動を考えていったほうが、人生は随分と前向きになるのではないでしょうか。
 

私はだいぶ、楽になりました。
 

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この記事を書いた人

森本 しおり

1988年生まれ。「何事も一生懸命」なADHD当事者ライター。
幼い頃から周りになかなか溶け込めず、違和感を持ち続ける。何とか大学までは卒業できたものの、就職後1年でパニック障害を発症し、退職。障害福祉の仕事をしていた27歳のときに「大人の発達障害」当事者であることが判明。以降、少しずつ自分とうまく付き合うコツをつかんでいる。
自身の経験から「道に迷う人に、選択肢を提示するような記事を書きたい」とライター業務を始める。