妊娠、出産はおめでたいだけじゃない。流産を経験して初めて知ったこと。

「もうこれ以上待っても同じですから。今からは子宮を綺麗にすることを考えなければならない」
 

1年前、私は初めて妊娠をし、妊娠11週の時に医師からのこの言葉とともに稽留流産の診断を受けました。
 

それから1週間後の日曜日、10数人の女性が診察を待つ待合室と診察室を何度か往復し、30分程の全身麻酔の手術を受け、その日のうちに退院しました。
 

流産
 

待合室には、すでにお腹の大きい妊婦さん、子どもを連れた妊婦さん、嬉しそうな顔をしたカップルが何組かいましたが、私はずっと顔を上げ、前を見ることに努めました。
 

「この中にいる何人の人達が流産を経験したことがあるんだろう?」ふと冷静に頭によぎりました。
 

妊娠した人が流産する確率は15%、だいたい6人に1人だそうです。
 

流産が発覚する時期は人によって様々で、妊娠検査薬で陽性が出てすぐに出血したり、胎嚢、胎芽が見えなかったり、心拍確認できなかったり、心拍が止まってしまったり。流産にも色々な状況や段階があります。
 

妊娠初期の流産は、受精卵側に問題がある場合がほとんどと言われています。そのため、ネットで「妊娠初期流産」と検索すると「ママは自分を責めないで」という言葉とともに、たくさんの体験談が出てきます。
 

妊娠していた期間、私が自分の妊娠を実感したのは、妊娠検査薬の陽性反応、生理が止まったこと、夫や両親の「おめでとう!」の言葉、検診の時に見たエコー写真の子宮に浮かぶ黒い胎嚢の存在のみでした。
 

特につわりもなく、体も少し熱っぽいくらいで、そのせいか、私には「私は母親」という自覚はほとんどなく、「子どもを失う」という感覚も薄かったように思います。それ以上に、手術の前処置や、手術が怖いという気持ちの方がずっと強かったです。
 

手術中は、途中で麻酔が切れ、あまりの激痛に思わず叫び、手術が終わってからも、興奮したせいかぐったりと疲れていて、赤ちゃんよりも自分の体のことが心配で仕方ありませんでした。
 

その反面、頭の中にはどこか冷静な自分がいて、ベッドに横になる私を第三者のようにじっと見ているようでした。
 

流産
 

インスタグラムで同じ経験をした人たちの投稿を見ると「またママのところに戻ってきてね」「お空に忘れ物を取りに帰ったんだよね」「ちゃんと産んであげられなくてごめんね」という投稿も多くあります。
 

母親の自覚が無かった私は、こうした前向きな言葉の数々にいちいち傷付き、戸惑いました。
 

想像していたような鋭い悲しみがない、赤ちゃんに対する思いも少ない、既に次の妊娠に対する不安があった私は、とことん冷たい人間のような気がしました。
 

街中や電車でマタニティマークをつけている人がいると、とっさに目を逸らしてしまいます。羨ましいとか、憎いとか、そう思うわけではありません。
 

マタニティマークも母子手帳も、ほとんどの場合、心拍確認後にもらうことができますが、私はそのどちらももらうことがありませんでした。だから、一目見てすぐ分かるマタニティマークは、何となく目を逸らしてしまう存在なのです。
 

また、地元に帰ったときに友だちや親戚からかけられる「子どもは?」「今から子どもができたりして、楽しみなことばかりだね」「子どもが早く生まれるといいねぇ」という言葉には何度も嫌な思いをしました。
 

結婚、妊娠、出産は、おめでたいことだから話題にしやすく、結婚したばかりだった私にとって、子どもの話は特にいろんな人から話題にされました。
 

流産
 

「妊娠した女性の6人に1人は流産を経験すると言われています。子どもが欲しくても、持病や体調が優れなかったり、他にもいろんな事情を持つ人がいます。だから、本人から相談されたりしない限り、女性だから、結婚したからといって当たり前のように子どもができる前提で話をしないで下さい」
 

こう言えばいいのかもしれない。でも、現実はそんなこと言えるはずがありません。
 

言ったところで頭の上に「?」マークを浮かべる人が大半。私だって、子どもの話題をふられるたびに、自分の体に起きたプライベートな体験をいちいち話したいとはまったく思っていません。
 

妊娠や出産は確かにおめでたいことだけど、それは一般論であって、個人と個人の間で話題にあげるときはもう少し慎重になって欲しい。そう願います。
 

流産する以前の私は、妊娠したら子どもが生まれるのは当たり前のことだと思っていました。でもそうではなかった。そのことに気付いたのは、自分が流産を経験したからです。
 

本人以外から「あの人はお腹の中で赤ちゃんが死んじゃったんだよ」と聞かされても、可哀想…くらいしか思いませんでした。
 

妊娠出産はおめでたいことだけれど、そのおめでたい裏側には、流産や死産を経験して妊娠することが怖くなった人、不妊で悩む人、闘病中の人、性的マイノリティの人、いろんな事情を持った人達がいたのに。
 

「自分の周りにはそういう人はいないし、そういう話もあまり聞かない。そういうのは珍しいできごと、珍しい人だ」
 

というわけではありません。私たちの周りには、妊娠や出産で辛い経験をした人が必ずいます。
 

「あの人は過去に流産したらしい」
「あの人は子どもができないらしい」
 

「あの人」の妊娠や出産をあなたの話題のネタにすること、その人のとても個人的な悩みを本人の許可なくあなたが他人に言うこと。”された側”の視点で考えた時、あなたはどのような気持ちになりますか。
 

流産
 

現在、私は2回目の妊娠をしています。でも、余程の理由がない限り、そのことを自分から誰かに言うことはありません。
 

なぜなら、私自身また流産する(もしくは死産を経験)する可能性があるから。そして、私と同じように流産経験があり、妊娠することにプレッシャーを感じている人の耳にも妊娠した知らせが届くかもしれないからです。
 

保健所からもらったマタニティマークはまだ着けられずにいます。
 

人混みでは着けていた方がいいし、赤ちゃんを守るという意味でも大切なものであることは分かっています。でも、うまく言葉には出来ませんが、やっぱりマタニティマークを見ると、胸の奥がヒヤリとしてしまいます。
 

1年経っても、5年経っても、10年経ったとしても、流産した悲しみは私の体から消えることはありません。妊娠出産の裏側には、様々な事情を持っている人たちがいることを忘れてはいけないと、自分自身にもまた言い聞かせています。
 

 

胸のうち委員会 Instagram @_munenouchi

 

 

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この記事を書いた人

胸のうち委員会

20代〜30代の女性を中心に「これって言ってもいいのかな?」と日常生活でそっと胸のうちにしまいこんでしまうような生きづらさをテーマに、発信した!アクションしたい!という想いで活動している。身近な人間関係から、恋愛、家族、時にはセックスについてまで幅広く胸のうちを曝け出す。時に面白く、時に毒舌に、をモットーにInstagramにて記事を投稿中。