離人症の世界は2次元のスクリーンの向こう。解離性障害に現実感は無い。

私は、心から楽しいとか悲しいとか、あるいは怒りを感じることがありません。ただ、不安感が肉体の苦痛となって現れる時は、心底「つらい」と思います。けれど、その「つらさ」さえ、どこか他人事めいて思えます。
 

ふつうの人が三次元の世界で生きているとしたら、私の場合、自分自身も目に見える世界も二次元の映画のスクリーンの向こうのことのように感じられて、現実の感覚がまったく無いのです。
 

私は現在49歳ですが、17歳の時から「解離性障害」の中の一つの「離人症」を患っています。
 

「解離性障害は、自分が自分であるという感覚が失われている状態。たとえば、ある出来事の記憶がすっぽり抜け落ちていたり、まるでカプセルの中にいるような感覚がして現実感がない。いつの間にか自分の知らない場所にいるなど、様々な症状がある。」という感じです。
 

多重人格なども「解離性障害」の症状の中に含まれます。
 

説明をしても、なかなか伝わりにくいかもしれません。もともと知名度があまり高くない上に、当事者の私でさえ、あまりにややこしい症状なので、人に説明するにもどうにも言葉がおぼつかなくなってしまうのが現状です。
 

解離性障害
 

離人症の始まりは、17歳の夏休みでした。あるミステリー小説を読んでいた時に、文中の「孤独」という一語を見た途端に頭の中がぐるぐると廻り、訳が分からなくなり、気が狂いそうになりました。
 

こんなことはもちろん初めての経験ですから、動揺と疑問と不安と恐怖でいっぱいになり、何も冷静に考えることが出来ませんでした。
 

私は自分の身に何が起こったのかさっぱり分からず、「頭ぐるぐる状態」と「自分の体が自分のものではないように感じる状態」を周りには内緒にして半年間押し隠し続けました。
 

「自分の体が自分のものではないように感じる」のは、口で言うよりかなりキツイ状態でした。
 

高校からの帰り道は、不安感から気を紛らわすために、ひとり歌を歌いながら歩きました。生活の中で一番不安と恐怖を感じた「夜眠るとき」は、毎夜灯りをつけっ放しでラジオとテレビをつけていました。
 

「いつか自然と良くなるかもしれない」と思い込もうとしていながらも、半年間そんな苦痛な状態が続き、とうとう私は「病院へ行こう」と決心しました。それは私にとっては苦渋の選択でした。精神科へ行くということは「自分は精神がおかしい」と認めることでした。
 

制服姿で学校へ向かうフリをして、近くの総合病院の精神科を受診しました。生まれて初めて、医師に自分の苦しみを打ち明けた時、「ああ、それは離人症というんですよ」と事も無げに言われ、「離人症患者」というレッテルを貼られた私は、張りつめていた気持ちが少しだけ楽になりました。
 

当時は30年以上も昔なので、ネットなどの調べるツールもありません。専門書は難しい表現ばかりですし、その頃「解離性障害」はまったくと言っていいほど知られていませんでした。
 

言葉で説明するのがむずかしいこともあり、「どうせ理解してもらえない」と親や友人に打ち明けることができませんでした。病院に行き、はじめて症状を理解してくれる人に出会ったことで、かなりほっとしました。
 

調子が悪くなり入院を経験したこともありましたが、今は離人症の専門医を探したこともあり、かなり良くなってきました。
 

今の主治医の言葉で印象的だったものは「解離になる人間は、小さい頃に虐待やいじめを受けた人が多い。けれど君は虐待にもいじめにもあっていない。何故解離になったと思う?」でした。
 

そう聞かれても、私にもよく分かりません。
 

解離性障害
 

ただ、心当たりがあるとすれば、私はすごく小さい頃から読書好きで、本の中の登場人物を本当の友達として生きていました。転校が多く内気な性格だったので、あまり友達ができなかったこともあります。
 

そんな事が原因なのか、自分の中の現実と非現実の境目がとても曖昧でした。それが解離に繋がったのでは?と勝手に思っています。
 

自分のことがとてもあやふやで分からないからか、他人のこともなかなか理解できません。「友達のことを理解したい」と思う心の余裕もありませんでした。
 

だからと言って自分のことなら理解できているわけでもなく、世界中の何もかもが理解できません。ですが、その状態を「つらい」とか「悲しい」とか思うこともありません。すべてが無感覚なのです。
 

私にとって、解離性障害とは「意識したくない、本当の自分の姿」なのだと思います。解離にかかっている人間は「本当の自分」という実情をはっきりと自覚することができません。
 

いつでも「映画や本の中」にいる、作り物の自分です。ですが、そんな作り物の自分を、作りたくて作ったわけではないのです。
 

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この記事を書いた人

西村 裕子