夫婦として新たな一歩を踏み出すために必要だった、立ち止まる勇気

約10年前の29歳のとき。大動脈弁閉鎖不全症という心臓病の手術をして以来、僕は特に医学的な根拠はないものの、漠然と「自分は40歳までに死ぬんだろうな」と思っていました。だからこそ、残り時間を後悔しないように、と全力疾走を続けてきました。
 

朝6時に家を出て、ベンチャー企業の早朝ミーティングに出席してから、会社に向かう。会社の仕事を定時には終わらせて、また別のNPOの活動を終電近くまでする、そんな複業生活を続けていました。
 

そんな僕もそろそろ40歳。当初の予定では「それではみなさん、さようなら!」と両手を振って笑顔で死んでいくつもりだったのですが、一向に死ぬ気配がありません。
 

「まだ生きることができそうだ」ということは、本来なら喜ぶべきことなのでしょう。でも、僕にとっては計算外でした。命の有限感こそ僕が走り続けるための原動力だったのですが、その原動力を失ってしまったように感じたのです。
 

病気をする前の生き方に戻ることもできない。
だからと言って、全力疾走をこれ以上続けることもできない。
 

目の前に大きな壁があるように感じました。
 

僕は、これからの生き方のヒントを探るべく、会社の仕事を含め、すべての活動をストップして長期の休みをとり、お遍路の旅に出ることにしました。
 


 

僕が最初にお遍路の旅に興味を持ったきっかけは、10年近く前に放映された『ウォーカーズ』というお遍路をテーマにしたドラマでした。
 

ちなみにお遍路とは、弘法大師(空海)の 足跡をたどり、四国八十八ヶ所の霊場を巡拝する全長約1400kmの旅、をいいます。
 

ドラマの影響を受けた僕がはじめてのお遍路に行ったのは、33歳のときでした。本当は八十八ヶ所を一気に歩いて周りきりたかったのですが、それには最低でも4、50日はかかります。会社員を続けながらそこまで長い休みをとることはできず、前回は途中で一回打ち切りました。そこから約6年ぶりの2018年10月、再び前回の旅の続きに出ました。
 

伝統的な服装である白装束を着て、金剛杖をつきながら8日間ひたすら歩き続ける旅。お寺につくと、手を合わせて拝み、また次のお寺を目指す、ということを繰り返しました。
 

普段、都会のオフィスでパソコンやスマホを見ながら仕事をしていることが多い僕は、久しぶりに五感が研ぎ澄まされていくように感じました。肌で風を感じ、ちょっとした匂いや音に敏感になりました。歩き通しのため足はとにかく痛いし、疲れるし、苦しいのですが、自分の足で歩いている実感があります。それに、自然豊かな風景を見ていると、心が洗われていくようでした。
 

お遍路の旅は、自分の心との対話そのもの。歩く以外にやることがないので、自然と過去のできごとが、一つ、また一つと浮かび上がってきます。じっくりと味わうように、そのテーマについて考えていきました。その中でも、僕の心にトゲのようなものが刺さって気になっていたことが二つありました。
 

一つは、旅に出る前に友人から言われた「活動量の割には成果、出せてないよね」という厳しい言葉。気づいたら僕は10以上ものプロジェクト(複業活動)に関わっていました。
 

稼働できる時間には限りがあるので、一つ一つが薄い関わりになってしまっていました。いろいろなところに顔を出してたくさんのプロジェクトに関与していましたが、成果はいまいち出せていない状態だったのです。
 

もう一つは、人生最愛のパートナーである妻との関係についてです。
 

「もう、俺の残りの人生短いんだから、好きにさせてくれ。」
 

僕が心臓の手術をして以来、事あるごとに切り札のように使ってきたセリフです。
 

6年ぶりに「またお遍路の旅(の続き)に行きたい」と伝えたものの、妻からずっと良い返事をもらえなかった僕は、いよいよ旅に出る前日に、ついつい、久しぶりに切り札のセリフを切ってしまいました。
 

それを聞いていた妻は「それ、言われる側の気持ちを考えたことがある?」と真顔で聞き返されました。
 

「もし、ここで引き留めて、もし本当にあなたが死んでしまったら私はとても後悔する。そう思って今までいろんなこと許してきたけど、逆にあなたの自由奔放な活動を認め続けたら私が辛いことになる。私は、どっちを選んでも結局苦しいんだよ。」
 

振り返ってみると、僕は「残り短い命」だということを理由に、自分のやりたいことを優先して、家や子どものことをほとんど妻に任せっきりでした。僕の生活は、妻の犠牲の上に成り立っていたのです。
 

また、彼女の人柄に惹かれて結婚したはずなのに、月日が流れていつの間にか共通の目的は「子ども」だけになっていました。夫婦として、人間同士のコラボレーションがなくなっていき、冷え切った関係に近づいていたのです。今の状態がハッピーとは、とても思えませんでした。
 

お遍路の旅路の最中、ていねいに思考を重ねていくと、「成果につながっていない活動はすべて辞めてしまおう。そして、空いた時間を使って、新たに夫婦の共通目的をつくればいいじゃないか。夫婦で何かを一緒にできれば、新しい関係性を作れるのではないだろうか。」という答えがじんわりと出てきました。これは、ライフとワークの融合でもあり、僕にとっての新しい希望になったのです。
 

幸い、僕には複業で得られたたくさんのネタ(人的ネットワークやプロジェクト)があります。その中に、妻が興味を持ってくれそうなものもあるかもしれません。どうすれば実現するのかは、まだ見えていませんが、時間を賭けてやってみる価値はありそう。
 

こうして『夫婦カンパニー』を作ることにしました。
 


 

お遍路から戻ってきて、普段の生活に戻ったときに感じたのは「今までの僕は、ただ刺激に反応していただけだったな」ということです。たとえば、スマホから溢れてくるたくさんの通知や情報、知人・友人が誘ってくれる面白そうなプロジェクトなど。
 

日常生活から離れてみたことで、普段の自分の環境がいかに強い刺激に溢れているのかに気づかされました。クリエイティブなことを考えるためには、心の断捨離をする必要があったのかもしれません。
 

ただ単にお遍路に行ったからといって、何かが変わるわけではありません。僕にとってお遍路は、あくまでも「内省するための環境づくり」でした。
 

僕には、目の前に立ちはだかっている壁と、心に突き刺さっているトゲがありました。旅に持って行ったトゲは熟考すべきテーマとなり、テーマについて深く内省する中で、『夫婦カンパニー』という、ちょっと変わった解決策へと生まれ変わったのです。
 

何か新しいものを生み出すには、まず自分にとって重要なテーマが必要なのかもしれません。僕のように気になっていることがある方は、一度、強い刺激から離れた環境に身を置いてみるのも一つの手なのではないでしょうか。
 

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この記事を書いた人

斎藤 京太郎