恋愛をする中で見つけた『自分らしさ』

大学1年生のとき、私は勉強よりも、彼氏の理想の女性になること、好きでい続けてもらうにはどうすればいいかということで、頭がいっぱいでした。
 

見た目はキレイ系、メイクはナチュラルで、性格は優しくて、気が利いて、少し天然。背は高く痩せていて、スキニージーンズが似合うようなスタイルでいること。洋服の系統で言えば『EMODA』や『MOUSSY』といったセクシーで格好いいブランドが似合いそうな子。
 

こうした、彼が好みそうな理想の女性になるべく、私はダイエットやメイク研究に励み、友達や自分一人の時間よりも彼氏との時間を優先していました。なぜなら、彼に好きでいてもらいたかったから。
 

これらの理想は彼に強制されたわけではありません。でも、理想の女性でいなければ、好きでいてもらえないと信じていました。なぜ、そのような考え方になってしまったのか、それは私が生まれてから「女性として生きてきたこと」が深く関係しています。
 


 

私が初めて自分の性別を認識したのは、母からの「女の子なんだから足を閉じて座りなさい」という言葉だったように思います。その一言はスカートを履いているときにも、ズボンを履いているときにもありました。
 

どういう服装をしていても「女の子は足を広げて座ってはいけない」と教えられ、それ以降「私は女の子である」という性自認に加え、「女の子ならば〜してはいけない」もしくは「〜しなければならない」というロジックが私の中で形成されていきました。
 

性別によって、あるべき姿を押しつけられているのは、きっと彼も同じだったと思います。男性の方は「男の子は少しやんちゃなぐらいがいい」「弱音を吐くな」「簡単に泣くな」という言葉を聞いたり、言われたりしたことはありませんか?
 

彼は、自分の意見をハッキリ言える、口論になったときにも強い口調で反論することができる人でした。小さい頃から「女の子は出しゃばらない方がいい」「女性は口ごたえしない方が好かれる」と教えられていた私は、ケンカのとき、そんな彼を前にすると、萎縮してしまいがちでした。
 

彼のことが怖い、強い口調で言われたくないと思っても「強い口調で言われるのは怖いからやめて欲しい」という一言が口から出てきませんでした。結局、言い負かされて泣いてしまうというのがいつものパターン。嫌われたくないから、可愛い彼女であり続けたいから、彼の前ではいつも「自分」であることよりも「女性」であらざるを得ませんでした。
 

どんなに相手が好きでも「強い口調で言わないで」という言葉一つ言えず、受け身でいるなんて…と呆れる方もいるかもしれません。でも、当時は彼氏に「可愛い」「好き」と思われることが何よりも重要でした。
 

西野カナさんだって『トリセツ』という人気曲の中で「この度はこんな私を選んでくれてどうもありがとう」と恋人が自分を選んでくれたことに対して可愛らしくお礼を言っていたし、加藤ミリヤさんだって『Aitai』という曲の中で「何度傷付いてもいいのこんなに好きなの」と傷付くこと覚悟で恋人との関係を続けたいと歌っていました。
 

曲の捉え方は人それぞれですが、当時の私の考え方を肯定し、応援してくれるコンテンツは、曲、ドラマ、漫画、雑誌など沢山ありました。
 


 

「どうして好きな人のことでこんなに傷つかなくちゃいけないんだろう…」
 

ケンカが続き、疲れ果ててしまっていたとき、そんな疑問が湧いてきました。また、同時期に所属していたサークル活動の中でデートDVという言葉を耳にし、世の中には良い関係を築いているカップルがたくさんいることを知りました。
 

デートDV、セクシャルアイデンティティ、エンパワーメントといったことを学ぶにつれ、「恋愛=辛いこと苦しいことは仕方ない」「女性は可愛がられるもの」「愛されるためには自分を変える努力が必要不可欠」という考えが少しずつ変わっていきました。
 

相手を攻撃することなく、自分の意見や気持ちを相手に率直に伝えるアサーティブコミュニケーションに出会ったのもこの頃です。
 

彼の意見に対して、うまく反論できず、我慢や遠慮することが当たり前だった私にとって、彼の意見を「あなたはそう思うんだね」と一度受け入れ、「私はこう思うよ」と自分の意見をしっかり伝えるというのは、最初はとても難しいことでした。
 

ケンカの最中は、会話の流れが早く、「とにかく何か言わないと…」という思いから彼の言葉に対して、彼を批判する言葉で言い返してしまうことが多々あったので、まずは自分が今どんな気持ちなのか、自分自身と向き合うことから始めてみました。
 

そうする内に、自分の気持ちや、して欲しいこと、して欲しくないことなどがケンカ中にも分かるようになり、「そんな言い方をされると辛くなる」「強い言い方をしないで欲しい」と言葉にできるようになりました。
 

自分の感情を言語化できるというのは、とても大切なことです。自分の気持ちを認めてあげるだけで、それまでの不安がなくなっていきました。すると、しだいに、彼も自分の感情を率直に言葉にして伝えてくれるようになり、私たちは相手を批判する強い言葉の応酬ではなく、お互いの気持ちや意見を伝え合う対話をするようなりました。
 

男女平等の時代であっても、「女とはこうあるべき」「男とはこうあるべき」という無意識が、私たちの中には存在し続けている気がします。
 

「女性らしさ」や「男性らしさ」を批判しているわけでは決してありません。ただ「女性らしさ」や「男性らしさ」を自分に課して、傷つくことがなくなればいいなと思います。
 

私の場合、恋愛をする中で「女性らしくあること」に縛られ、悩み、傷つくことが多々ありました。「女性らしさ」よりも「自分らしさ」を大切にしていきたい。今は心からそう思います。
 

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久保 零