加点方式で生きるほうが、人生よっぽど楽じゃない?「たら・れば」からの脱却。

私が元気だったら、障害がなかったら。
私がこんな家族に生まれてこなかったら、貧しくなかったら。
 

「◯◯じゃなかったら」という「たら・れば」的な発想は、理想の自分を100としたとき、現在の自分がどれだけできていないかと数え、減点していく考え方です。
 

歴史に「たら・れば」がないように、自分の過去や経験、身に降りかかった不幸ごとを変えることはできません。自分に向かって「たら・れば」を使い始めると、どっと心が疲れます。それはすでに自己否定が始まっているからです。
 


 

生きづらさを抱えているひとは、減点方式の考え方を採る傾向が強いように感じます。交通事故や病気というアクシデントに遭う、メンタル的なトラブルに苛まれるといった、生活がガラッと変わってしまったタイプだと、それは顕著かもしれません。
 

日常的なことも同様で、失敗を引きずったり、悩みがなかなか晴れなかったりする場合も、成功イメージや理想からの減点によって、立ち止まったり、ウジウジしてしまったりという時間が流れていきます。
 

これはもったいないことで、減点方式ではなく、加点方式で考えられるようになれれば、楽な気持ちでいられる確率が高くなります。加点方式は、できたことやうまくいったことの足し算で自己評価する考え方です。
 

障害を負った今、これができるようになった!
仕事で失敗したけど、これだけはうまくいった!
 

自分の良かったところに焦点を当てる。そういった「ものの見方」と言い換えることができます。そして、意外と多くのひとが苦手でもあります。
 


 

テストでなぜ100点(いい点数)が取れなかったのか。
いつも注意しているのになぜできないのか。
 

「なぜ◯◯しなかったのか・できなかったのか」という問い自体が減点方式の考え方です。小さな頃から、知らず知らずのうちに、自分の家族や学校の先生などによって、減点方式がすり込まれています。
 

しかし、誤解を怖れずにいうと、減点方式は「自分自身は何でもできる」という、一種の奢りから生まれている考え方のように見えます。私ならばできるはずだという思い込みから、あれができない、これができないと引いていく。私が教えたのだから…ということも同様でしょう。
 

そもそも、私を含めたすべてのひとが「何でもできる存在」だったのでしょうか。減点方式は「できる前提」で進められた考え方な分、自分に対しても相手に対しても期待や要求は高く、失敗したときの評価の落差も大きいのです。
 

その反面、加点方式は自分なんて何もできないという、一種の謙虚さから始める考え方です。ゼロの状態からあれができるようになった、これができるようになったと足していく。子どもが、自転車に乗れるようになった!カブトムシ取ってきた!と無邪気に笑顔で報告するのは、加点方式の考え方を体現しています。できた!の積み重ねです。
 

自分に対しても相手に対しても「何もできていない」というゼロからのスタートなので、期待や要求が低いながらも、一歩進んだ結果に喜べるという特徴があります。
 

自分のできなかったことにマルをつける減点方式と自分のできたことにマルをつける加点方式。どちらが、幸福感を得やすいのでしょうか。もちろん、白か黒かと切り分けるのではなく、ケースバイケースでバランスを保つことも大切でしょう。
 

自分の今までの思考のクセを変えることなんてほぼ無理なことだと、年を取る度により強く感じていますが、今までやってこなかった行動を増やすことによって、新しい思考のクセを身につける、上乗せや上書きをすることはできます。
 

ひとが前向きな気持ちになる瞬間のひとつは、できなかったことができるようになったとき。できるようになったことに着目すれば、ちょっとだけ明日への活力が増します。
 

加点方式のほうが生きやすいはず。そして、家族でも友人でも同僚でも、周囲に対しても加点方式で接するほうが居心地はいいはず。自分のいいところを見つけよう、相手のいいところを見つけよう。小学校で習ったようなことが、生きづらさを抜け出すための手がかりなのかもしれません。
 

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。