10年に及ぶ癖毛との攻防。そのコンプレックスがどうでもよくなった話。

自分の髪の毛が、ものすごく嫌いでした。固くて、太くて、量も多い。おまけに、ものすごく癖が強い。
 

朝起きてから、一生懸命髪を引っ張ってブローをしても、移動するだけで元通り。あっちへクルン。こっちへクルン。風が吹くと、ボワンと爆発。ふと鏡を見たときに「努力が水の泡だ」と何度ガッカリしてため息をついたことか。
 

私は10年以上に渡って縮毛矯正をかけ続けました。時間もお金も労力もかけて、なんとか癖を抑え込もうと必死でした。でも、敵もなかなか手強くて、ダメージだけが蓄積していく結果に「私は何をやっているんだろう?」と途方にくれていました。
 

今振り返ると、私は髪の毛を直そうとしただけではありませんでした。自分自身の一部を否定していたような気がします。
 


 

なんとかストレートにしたくて頑張った10年間

 

中学3年生の頃、初めて縮毛矯正をしたときの感動は、今でも鮮明に覚えています。夢にまで見たサラサラのストレートと天使の輪!シャンプーのCMみたい!
 

それから10年以上、私は縮毛矯正をかけ続けました。その費用は高く、1回で1万円以上はします。高校生のころまでは、半年に1回。社会人になってからは、3ヶ月に1回。その上で、少しでも髪の毛が伸びると、伸びた部分を毎朝自分でヘアアイロンを使って伸ばしていました。
 

憂鬱なのは、なんといっても雨の日や、湿気の多い日。梅雨なんて最悪で、縮毛矯正をかけていない部分の癖が復活するのでイライラします。当然、ダメージもひどく、枝毛や切れ毛は当たり前。カラーはしていなかったけれど、それでも髪のダメージが理由で鎖骨より長く髪を伸ばしたことがありません。
 

しかし、2年前、私は縮毛矯正をかけるのを止めました。理由は単純で、お金が無かったからです。癖が気にならないくらいのベリーショートにしました。でも、それはそれで「なんでそんな髪の毛短いの?」と聞かれたり、たまに男性に間違われたりして面倒でした。
 


 

髪の毛に対する考えが変わるきっかけになった一本の動画

 

ある日「ナチュラルヘアーをたたえよう」というシャイアン・コクレンさんのスピーチ動画を見つけました。
 

 

スピーチの中で、シャイアンさんは「良い髪」と「悪い髪」という概念があることを指摘します。ストレートは良い。チリチリにカールした髪の毛は悪い。そして、多くの黒人女性が髪の毛を変えるために行っている文化について教えてくれます。小さい子では8歳から、6週間から8週間に1度の美容院通い。髪の毛が原因で、雇用を拒否されたことに対する裁判まで。
 

シャイアンさんはナチュラルヘアーを推進することで、人種、文化を大切にしようと訴えます。これはヘアースタイルではなく「自己愛、自尊心」の問題だと伝えています。
 

人種差別の問題が深く根ざしているので、この女性のスピーチと私のケースが全然違いますし、ここで引用するのはむしろ不適切だと怒られることもあるかもしれません。それでも、私はこのスピーチを聞いて、心が晴れたような気持ちになったのです。
 

もともとの性質は変わらないけど、付き合い方は変えられる

 

縮毛矯正は私にとっても「自分の一部を否定すること」でした。そのうえで、お金も労力も使って、ダメージを負っていったのです。
 

髪の毛に限ったことではありませんが、もともとの性質を無くすことや変えることは、基本的にできないと今は諦めています。ただ、その付き合い方は工夫できます。
 

諦めがついてからは、髪の毛をネタに笑われても平気になってきました。最近は、朝、目が覚めたときに変な寝癖がついていると自分でも笑ってしまいます。
 

さらに、勤務先で会った小学生の男の子がめちゃくちゃかわいいことを言ってくれました。私の髪の毛を不思議がって「さわっていい?」と聞き「いいよー」と言うと「わっ!僕の髪の毛と違う!」と驚いていました。そして「僕の髪はダメだ…」と落ち込んだ様子。理由を聞くと「だって、髪って頭を守るためにあるんでしょ?」と言うのです。「私の髪の毛はヘルメットとして優秀だったのか!」と思わず笑ってしまいました。長年の悩みがどうでもよくなるような発想の転換。子どもは天才です。
 

「こうあるべき」を強く意識して、自分にも他人にもピリピリするよりも、ちょっと外れたところを笑い飛ばせるくらいの方がいいなと思うのです。
 

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この記事を書いた人

森本 しおり

1988年生まれ。「何事も一生懸命」なADHD当事者ライター。
幼い頃から周りになかなか溶け込めず、違和感を持ち続ける。何とか大学までは卒業できたものの、就職後1年でパニック障害を発症し、退職。障害福祉の仕事をしていた27歳のときに「大人の発達障害」当事者であることが判明。以降、少しずつ自分とうまく付き合うコツをつかんでいる。
自身の経験から「道に迷う人に、選択肢を提示するような記事を書きたい」とライター業務を始める。