頑張ったらどうにかなるものなのか?行き場のない私。やり場のない不安。

私は発達障害が元となって精神に負荷が掛かり、統合失調症を起こし、それが原因で高校を中退しました。大検を受け、大学へ入学した後、学部首席で卒業はしましたが、就職活動では内定を一切に貰うことが出来ず、結果として実家へとひきこもりました。
 

しかし、家族関係が悪く、実の弟については連絡先どころか生死状況すらも知らない状態で、ひきこもった生活を送りました。その上で両親からも精神的圧力を掛けられることに我慢できず、精神科病院の助力を受けて独居を始めたのです。現在は、障害年金を受給しながらも、それに頼りたくない気持ちから経済的自立を目指し、就労支援事業所へ通う日々を送っています。
 

気が付けば、アラサー。自分の人生をこれからどうしていけばいいのか。そういった悩みを抱えながら、毎日を過ごしているところです。
 


 

私が通う就労支援事業所は、働く意欲はあるものの、生活習慣や労働能力に自信のない精神・発達障害者を支援し、一般企業への就職を促す目的を持っています。事業所は場所によって、受け入れる利用者の障害の種別、程度が異なっているのです。
 

事業所で支援を受けながらも働くと、工賃(一般企業で言う給料のようなもの)が貰えるのですが、その金額は県の最低賃金以下という現実が存在します。その実状に意欲を失くしてしまい、事業所自体を辞めるひとも居るのです。
 

当然ながら、支援を受けたとしても、利用者の全員が一般就職を実現できるわけではなく、当事者やその周囲は、この点をも大変に憂慮しています。
 


 

就職活動が全く進展せず、疲れ切った私。
 

いつも汗が額を流れて、真っ直ぐに歩くことすら難しくなって来ました。さらに、腹痛と吐気、めまいや耳鳴りにも襲われる日々。就職活動と事業所での勤務を並行して行っていますが、こういった状況だと、勤務にて従事しているレストラン営業の接客業務は当たり前ながらも、できたものではありません。
 

結果として、自律神経失調症の診断を受けて入院することが決定。その際、主治医をはじめとする周囲の人々は私へとこう言いました。
 

「身体も心も壊れかけている」
「けれども休んで、また頑張ればいい」
 

また頑張ればいい。そう、私は頑張った、と思います。けれども、それが意味もなく、実らないままに終わりそうだから、自分は入院となったのでしょう?私はそう突き返したくて堪らなかったけれども、できませんでした。
 

私は精神状態が普通と違う、という診断を以前から受けています。高校も中退、大学卒業時も就職ができず、ひきこもり。それを自分では人間として欠落した様子だと捉えているのですが、このような脱落者を、どこの誰が必要としてくれるのでしょうか。健常者優位とも思えるような、日本社会の中で。
 

よく頭の中で、私はこうつぶやいています。
「もうどうしていいかわからない」
 

本当にこの通りで、自身の存在にも人生にも、行き場がありません。だからこそ「頑張れ」と周囲は告げるのだと思いますが、そうした励ましを真に受けられて、簡単に通用するほど、現実は甘くもありません。皮肉なことに、これは事業所に通う生活と、就職活動で痛感した事実でした。
 

社会には色々な人が居て、様々な事柄が立ち込めています。だから、自分の努力だけでは報われなかったり、叶わなかったりすることが当然にあるのです。頑張ってどうにかなるのならば、私は既に身体を壊すまでに頑張っていたのに、どうして。
 

すぐにでも横に見える病棟の窓から飛び降りたい。もうどうしていいか、どうしたいのかも、私には分かりません。
 

けれども、その窓のガラスには今日も鉄格子が掛かっています。
 

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この記事を書いた人

山本 佑貴