この連載は「ワカラナイケドビョウキ」という不思議な病気になり障害をもった私が、ノーマライゼーション発祥の国デンマークに留学する1年間の放浪記です。デンマークでゴロンゴロンでんぐり返しをしながら「障害ってなんだろう」と考えます。
私が通うエグモントホイスコーレン。3月末から4月初めまでの約2週間、修学旅行として総勢40名でデンマークからイスラエル・パレスチナへ向かいました。
「なみこ…生きて帰ってきてね」という姉の心の声でブルブルと震えているメールを胸に、はじめてのイスラエル・パレスチナへ。
いつでもどこでも座るのはデンマーク人の国民性。どこでもリビング化できます。デンマーク人の友人に「日本人にとってイスラエルはとても怖いんだけど、本当に安全?」と聞いたら「テロはどこでもあるから大丈夫だよ!」っていう返事が返ってきました。なるほど。国民性の違い。
トルコ、イスタンブールでの乗り換え。この写真は私を撮っているのではなく、実は後ろの保安検査をパシャリ。搭乗ゲートでも行われる保安検査。厳重。
深夜の12時に出発。コペンハーゲン空港までの3時間のバスの旅を経て、コペンハーゲンからトルコのイスタンブールを経由し、イスラエルのテルアビブへ。計15時間。
障害のある学生の搭乗に時間がかかり、往復の飛行機はどちらも1時間以上の遅延。5人以上の車椅子利用者の搭乗は、事前に連絡をしていても、時間がかかるもの。
手足の筋肉が弱い私は、スーツケースを長時間運べないため、バックパックの旅。重いバックパックは背負うより妊婦さんスタイルで後ろ前逆にしたほうが、身体のバランスがとれます。おススメ。
ゴツゴツした石の歩道。傾斜が45度もある上り坂。路地からにゅっと現れる階段。車イスで行く中東は「歩く修行」のようです。
世界史の教科書のなかに迷い込んでしまったような街。車いすユーザーにはハードな街。パレスチナを観光した日、徒歩でホテルから3㎞の場所にあるキリストの生誕教会に向かいました。3㎞ってこんなに遠かったっけ…。
歩道に路上駐車の車が止まっていると、車椅子が通れなかったり。
「車いすが通れない!車道を歩こっか!」
車道を歩く。車とすれすれで怖い。この車、邪魔だね。そうだね。とか会話を交わしながら進む。これは車いすユーザーでなくてもちょっとハード。
「いってきま~す」と満面の笑みでホテルを出発し
「わー、きれー」
「天気、いいねー」
「ねぇ、どの宗教を信じてる?」
ガコンッ。うっ。
……負傷。自分も足が不自由なの、すっかり忘れてた。足首の力が弱く、身体のバランスを崩しやすいと、少しの段差や傾斜で転びます。
そして……疲れた。でも疲れたっていえない。(ほとんど)見えない障害のわたしは、「疲れた」とか「休憩が必要」というタイミングをいつも逃してしまいます。「どう伝えるか」「いつ伝えるか」を頭の中で考えるだけで、体力の50%を消耗。
また、障害者の旅行には裏技はありません。たくさんのマンパワーを駆使します。いつも学校で使っている介護用リフトのシートで、バスへの移動を行います。
学生たちは、介護の仕方をこの学校に来てから覚えました。資格なしでの介助が許可されているデンマークの福祉制度が、この旅行をかなえたんだろうな。胃婁での食事介助も手慣れていました。
障害者学生とヘルパー学生はチームです。チームワークがすべて。
エグモントホイスコーレン流ダンスパーティーは、ティベリア湖でも。
デンマーク発祥の考え方ノーマライゼーションとか、インクルーシブとか。そういうカタカナの概念を名前だけなぞるんじゃなくて、彼らの中には当たり前に根付いている。障害を理由になにかを諦めなければいけない社会なんてありえない。そんな社会のなかで生きていきたくない。
旅行中、筋ジストロフィーのサイラス君に聞きました。
「6月にこの学校を卒業したら、どうするの?」
「とりあえず旅行に行くよ。今年はブラジル、来年は日本に行くつもり」
車椅子に乗りまっすぐと語る彼の病気と、私の病気はほとんど同じです。
もし、自分の身体が動かなくなっても、心は動き続ける。地球の自転を追いかけるように、世界中をくるくると回っていたい。10年後、わたしも旅をしているだろうな。彼らの背中を追いかけて。
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この留学は、ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業第36期研修生として行きます。ミスタードーナツに行くとレジの横に置いてある募金箱。全国の皆様の応援で行かせて頂きます。