自分が抱える「生きづらさ」を相手にきちんと伝えられれば、生きづらさは緩和するかもしれない

「生きづらさ」を抱えているひとに、あなたの「生きづらさ」を教えてくださいと尋ねると、どのように回答するのでしょうか。あるいは、回答できるのでしょうか。
 

「生きづらさ」に焦点を当てたWEBマガジンを運営しているということもあって、「生きづらさ」とは「自分では変えることのできない障害や障壁、状況や環境によって引き起こされるネガティブな感情」と説明しています。ネガティブな感情は、しんどい・つらい・さびしい・くるしい・もどかしい・死にたいといった言葉で置き換えることができますが、生きづらさを抱える当事者一人ひとり、その言葉は違うものとなるでしょう。
 

障害という状態、貧困という状況。生きづらさを状態や状況で捉えるひともいますが、障害があっても障害を気にすることなく生きるひと、貧困状態からでも自分で道を切り拓くひとがいることを思えば、生きる意欲をネガティブな方向へと導く感情が「生きづらさ」なのだと考えています。
 

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もう毎日イヤでイヤでしょうがない。死にたい。いつ手首切ってやろうか、ホームから飛び降りようか、そんなことばっかり考えてる。でも体が思うように動かないから、それもできない。僕、事故に遭って体動かなくなっちゃったんですよ。あの車運転してたアイツ、殺してやりたい。そりゃお金はもらいましたけど。

 

生きづらさを抱えているひとが伝えてくれる、自分自身の生きづらさを解説する言葉の多くは感情から溢れ出るものであり、自分の気持ちや心の内を吐露していたとしても、なかなか相手に伝わるものではありません。そもそも、自分自身の感情を相手に伝わるように説明することは難しいこと。生きづらさは感情であるが故に、伝わらない・理解されないという状況に陥りやすいことは、仕方のないことです。
 

「理解してほしい」「知ってほしい」「興味をもってほしい」というような願望を抱くことは決して悪いことだとは思いませんが、ある程度伝わるように説明できる状態にならなければ、その願望はなかなか叶わないでしょう。
 

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自分に過失があるわけではない交通事故によって、手足に麻痺が残って、自分の思うように体を動かすことができなくなった。毎日の生活がものすごくもどかしく、今までの自分と今の自分のギャップに悩み苦しんでいる。もう死にたい。そして加害者を今でも恨んでいる。

 

先に述べた、感情を吐露しただけの言葉を少し整理したものですが「交通事故の後遺症で障害が残り、過去と今の自分のギャップに悩んでいるんだなあ」と情報が受け取りやすくなります。置かれている状況を周囲が把握してくれれば、これからの関わり方をちょっと気をつけようかなというように、意識と行動を変えてくれるかもしれません。周囲のそんな気遣いは対人ストレスを軽減してくれるので、生きづらさを緩和するきっかけにつながっていきます。
 

また、説明できるということは、自分を客観視できているということ。自分自身が抱えている生きづらさの原因と現状を整理できれば、何に取り組み、何を諦めるのかといった取捨選択ができるようになったり、自分自身の心がダークサイドに落ちてしまう原因を把握できたりと、自分が抱える生きづらさとの付き合い方が掴めるようになってきます。
 

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生きづらさを生み出す原因は、障害やメンタルヘルスの不調、周囲の偏見や人間関係、生活環境や貧困など多岐に渡ります。自己啓発系の研修でよく出てくる「過去と環境は変えることはできない、変えられるのは自分と未来だけ」というメッセージは割と本質的なもので、自分で変えることのできないものに感情や意識を向けても、ただ疲れるだけです。
 

また、ウツが原因で生きづらいといっても、程度によっては「生きづらさ」を感じていないひともいるかもしれません。ウツが職場の人間関係によって引き起こされたならば「生きづらさ」の根本的な原因は人間関係かもしれません。障害や症例に意識が行き過ぎるのも案外良くないもので、原因の元を正せるのであればいいのですが、自分の力で何も変えられないのであれば、現状にのみ意識を向けるほうが賢明な判断です。
 

生きづらさを抱えているひとにとっては苦しい話になりますが、生きづらさを緩和、解消するためには自分と向き合い、自分の意識を切り替え、自分の行動を変えていくことが近道です。物理的な配慮、偏見がなくなる、周囲の気遣いといったものは、自分ひとりの力だけではどうしようもないこと。それをひたすら待つという選択もなくはないかもしれませんが、自分の意識と行動に焦点を当てたほうが簡単です。そのために支援者やカウンセラーといった存在を活用するというのは重要な手法のひとつですし、すべてを自力のみで改善しろというのはただただ酷なだけです。
 

生きづらさに押し潰され、自分と向き合うことなんてできないというひとに対してはそこまで言えません。自分のできる範囲でやればいいことですし、できないという状態を知るだけでも価値だと思います。やらない、やれない。やらなかった、やれなかった。そんな状況を後からでも把握できただけでも一歩進めます。周囲に当たり散らしたとしても、後でごめんと言えたなら、それでいいのではないでしょうか。
 

自分の生きづらさを説明できるという状態は、自分の意識と行動を変えるスタートラインでもあり、結果的に周囲のサポートも生まれやすくなります。生きづらさを緩和するための分かりやすい目標として、生きづらさを抱え、悩んでいるひとに対して伝えたいことですし、生きづらさはいつ襲ってくるか分からないものなので、多くの方々の頭の片隅にあればいいなと思います。
 

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。