理解出来なくたって、関係することは出来る。障害児と健常児の人間関係づくりから見えてくること。

思春期の悩み…というと、真っ先に思いつくのは恋愛や友人関係などの、人間関係に関することではないでしょうか。仲が良かった友達と、何かのきっかけで疎遠になってしまったり、逆に、突然仲が良くなったり。子供はそういう経験を通じて、社会と関係してなんとか生きていく、ということを学ぶのかもしれません。そして、それは障害のあるひとでも同じことです。
 

障害のある子供を主な対象としたワークショップを開催するNPO法人Collable代表理事の山田さんは、重度知的障害と自閉症の兄と弟の間で育ちました。今回は、幼いころから障害者との関係をもって生きてきた彼女に、障害のあるひとと、障害のないひと、そして、社会との関係のあり方について伺います。
 

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PROFILE
山田 小百合(やまだ・さゆり)
1988年生まれ。大分県出身。NPO法人Collable 代表理事。重度知的障害を伴う自閉症の兄と弟の間で育つ。東京大学大学院にて、インクルーシブデザインや学習環境デザインの切り口から、障害の有無に関わらず共に学ぶことのできるワークショップの実践研究を行う。現在はNPO法人Collableの代表として、同様のワークショップを継続的に開催中。
NPO法人Collable公式サイト:http://collable.org/

 

━まずは、NPO法人Collableの活動について教えて下さい。
 

主に子供向けのワークショップをやっています。知的障害を始めとした、障害のある子供たちをメインに、障害のない子供たちも交えて、デジタル絵本を作ったり、造形活動や身体表現のワークショップをしたりというプログラムを1~2ヶ月に一回のペースで打っています。その他に、福祉のことを考えるワークショップや、街づくりにおける多様性を考えるワークショップ、商品開発におけるワークショップなどを、法人や自治体からの依頼で行っています。
 

━山田さんはきょうだいに障害があるとのことですが、具体的にはどのような障害なのでしょうか?
 

私は3人きょうだいで、お兄ちゃんと弟が居るんですけれども、お兄ちゃんも弟もどちらも知的障害と自閉症があります。兄は特に重度で、言葉で会話をするということを兄とはほぼしたことがなく、返答がオウム返しになって会話にならないことが多くあります。声を上げたり、多動なところもあったりして賑やかなタイプ。一方で、弟は一往復くらいなら言葉の交換は出来るというか、パターンを覚えた台詞に対する返答を返してくれます。緻密な絵を描くのが上手なおとなしめのタイプです。同じ診断名でも全然キャラクターが違うきょうだいがいます。そんなきょうだい二人に挟まれているのが私です(笑)。
 

━そんなきょうだいお二人の中で、山田さんは普通の健常児として子供時代を過ごす訳ですが、自分ときょうだいとの違いを認識したのは、いつ頃なのでしょうか?
 

小さい頃は曖昧には認識していたと思うんですけど、やっぱり明らかな違いは判っていなかったと思います。例えばお兄ちゃんが靴を自分で履けないとか、目を離している隙に居なくなっちゃうとか、しょっちゅうありましたけど、面倒くさいお兄ちゃんだなと思っていたくらいでした。弟も言葉が遅れているのは小さいからだなと思っていたので、違いを感じることも少なかったです。
 

その後、お兄ちゃんが特別支援学校、当時の養護学校に私より1年先に進学するんですけど、私はそれが羨ましくて。お兄ちゃんが行く学校が、私が行こうとしているところとは違う学校で、しかも一人先生がついて、面白いおもちゃとかいっぱいあるらしい。それが羨ましくて、私も養護学校行きたい!とか言っちゃってたくらいでした。そのくらい違いに対する認識は曖昧だったと思います。
 

社会的認識の違いがあるんだと自覚したのは、小学校の時くらいでした。情報として障害者という単語があることは判ってきたけれど、それが自分の中で客観的に理解出来ている状態じゃなかったと思います。ただ、成長して色々なことを知るに従って、このひとたちとは社会的に違う立場に居るんだと、徐々に判るようになっていきました。
 

私の通っていた中学校には、通常の学級では学習が少し難しい、比較的軽度な障害のある子供のために設置された特別な学級があったんですけれども、私の学年にその学級の子がいて、その子に対する嫌がらせみたいなのがあって、それがショックだったんです。
 

何より判りやすかったのは、当時「ガイジ」という言葉がとても流行っていて、それが日常単語になっていたんです。しかもそれを先生が誰も指摘しない。そういう環境にがすごく居心地が悪くて。「ガイジ」は障害児のガイジらしいということも判っていたし、そのころは自分のきょうだいも障害児だって認識をしているので、気持ちは良くないですよね。
 

私はすごく馬鹿正直で、クラスでおかしいことがあったら「それっておかしいじゃん!」って自己主張してしまうキャラだったので先生に指摘しちゃったんですよね。「何でそういう言葉が飛び交っているのに先生は注意しないんですか?」ということを、むしろ先生に問いたくて。私がしつこいから学校で特別授業が起こったんです。でも先生も形式的に対応している感じで、「不適切な言葉が流行っているらしいですよ。皆さん判ってますか。」みたいなことを言うだけなんですよね。生徒は生徒で、「はいはいガイジのことでしょ。」って適当に振る舞っていて、最終的にあいつが告げ口したんだろ?という雰囲気になってしまって。そしたら私の立場は無くなる訳じゃないですか。そこからですね、学校に行けなくなったのは。出席日数のギリギリで出来るだけ学校に行ったりしていて。それが中学2年生の時です。弟は小学校までは私と同じ小学校に通っていたんですけれども、地域の中学校の雰囲気がそのような感じだったので、中学からは特別支援学校(養護学校)に進学するということになりました。
 

でも今思い返すと、そういうことを平気で言っていた生徒も、思春期特有の感覚というのもありますし、皆が根本的に障害者を差別しようとしている訳じゃないというのは判るんです。私はむしろその環境に何も施さなかった教員に対する憤りの方がすごく強くありました。そういうこともあって、教育というものに興味を持ったんじゃないかなと思います。
 

山田小百合さん(中央) NPO法人Collable提供
山田小百合さん(中央) NPO法人Collable提供

 

━そんなことがあったんですね。大学時代は、主に教育分野で活動をされていたということですが、具体的にはどのような点に問題意識があったのでしょうか?
 

当初私は、広く教育という分野に関わりたいと思っていたんですけれども、大学に入って東京に出てきた時に、障害のあるひとの周りにいるひとがとても疲弊しているということに気づいたんです。私の地元では人口が少ない分、きょうだいに障害があるひとたちにも、出会うべくして出会うんです。田舎だから大体家のことも筒抜けだし、良い面と悪い面それぞれありますが、近所のひとは大体うちのきょうだいのことも知ってくれています。
 

でも、こっちに来たら、お隣さんにすら自分のきょうだいのことは言えない、知らせないというのが平気であったりする。結局それって何が一番の課題なんだろうって考えた時に、「障害のあるひと、もしくは当事者の近くにいるひと」たちと「それ以外」との距離がすごく開いてしまっていることなんじゃないかなと思ったんです。もちろん、社会的に苛まれてしまっていたり、当事者が声を上げられないこともあります。また、声を上げられたとしても、それはついついネガティブな運動になってしまいがちだったりする。「障害者はこれだけ苦労しています」「障害のあるひとに優しくしましょう」みたいな、ある種一方的なメッセージを発信してしまいがちで、それでは当事者ではないひとが理解出来ないのは当然だと思います。
 

そうなってくると、結局、当事者しか声を上げられないというのは、「社会」問題化しづらいなということが判ったんです。大半の健常者のひとと一緒に声を上げないと、この障害のあるひとたちと周辺にまつわる課題は社会にとっての問題として認識されない。そのためには、メッセージを発信するひとたちの姿勢も変わらなければいけない。そして、当事者じゃないひとたちがメッセージを無視することが出来るという構図を変えなければいけないなと。両者が相互に理解をし合える適切な「学習」が必要で、そんな学習の生み出し方には、どういう形があり得るのかということを見つけたいと思って大学院に進学しました。
 

大学院生の時、京都大学の塩瀬隆之先生にすごくお世話になっていたんですが、彼が「インクルーシブデザイン」の手法を教えてくれたんです。インクルーシブデザインというのは、ワークショップを用いたイノベーションの手法で、ある物を作るというプロセスにおいて、目が見えなかったり、車いすだったり、特異なユーザーが入ることによって、新しい価値や物を生み出すという手法です。デザインのワークショップは商品開発の現場に多いので、大人の活動に寄りがちなんですけど、そのワークショップの手法を子供の活動に応用出来るんじゃないか、インクルーシブデザイン的な考え方で子供の活動を作ったらどうなるだろうかと考えて、これだなって思って、ワークショップをやり始めたんです。それが、いまの法人の活動の原型になっています。
 

━障害のあるひとと、ないひととの相互理解を促すという点においては、既存の福祉の枠組の中にも、例えば高校生や大学生のボランティア活動などがあると思います。その上で、何故ワークショップという手段を用いて、その課題を解決しようと思ったのでしょうか?
 

今まで障害のあるひととないひとが共に活動するという際の学習目標って「相互に相手を理解すること」が第一になっていたんです。先の話と矛盾するようですが、そうした目標を設定すると、コミュニケーションが、何かのため・誰かのためというコミュニケーションになってしまって、結局、支援する側・される側という福祉的態度を前提とした人間関係でしか障害者を捉えられなくなってしまう。障害者のコミュニティやムラ的なものに入ってあげるという関係、外からひとが入っただけという状況を変えないといけないと思いました。
 

相手を理解しましょうという目的の設定の仕方って、そもそもおかしいんじゃないかと思っていたんです。そういう発想に至ったのはやっぱりきょうだいとの経験があったなと思っています。私はこれまで自分のきょうだいたちのことを自閉症、知的障害者の兄とか弟という意識をもって関わろうとしたことなんて無いんです。私にとって自閉症とか知的障害者という情報は後から付いて来たものであって。
 

一方で多くの人は障害者と関わるとなると、福祉の専門性があった方がいいんじゃないかとか経験が無いからどうしたらいいか解らないとか言っちゃうんですけど、みんな経験がないなりに人間関係を模索しながら蓄積していくのに、相手が障害者となると特別な何かが必要になってしまう。そうやって構えなくていいということを知ってもらえたらいいなと思っていました。
 

ワークショップの様子 NPO法人Collable提供 写真:金田幸三
ワークショップの様子 NPO法人Collable提供 写真:金田幸三

 

私たちのワークショップというのは、障害のある子供も来れば、障害のない子供も来るんです。参加者の子供たちは、例えば、何か新しいものを創るという目標に向かって参加していて、お互いを理解することを第一の目的に集まった訳ではない。そうすると、ワークショップ中にお互いの強みや弱み、個性を活かし合ってアイデアを生み出そうという協力関係が自然に生まれて、結果としてそのグループの仲がとても良くなる。そんな現象を、私は多く目の当たりにしています。だから、私たちの活動というのは、障害のあるひととないひとの間に、どんな面白い活動、面白い目的をおくのかというデザイン活動なんです。
 

障害があってもなくても楽しめる活動をデザインしたいと思っていて、その活動が面白そうだから人が来てくれる。そこに今まで出会ったことがないような子もいるかもしれないし、みんなちょっと緊張しながら来るけれども、活動に夢中になっている間にお互い緊張がほぐれて、お互いの距離を認識しあう。あいつ、いちいちうるさいけどすごい面白いもの作るねとか。こいつ全然コミュニケーションとれないけど、ふと、むちゃくちゃ面白いことを言うとか。全然喋らないけど、すごい面白い物をつくってくれるなとか。そういう「障害者」という言葉で切り取らない、対人間としての理解が副次的に生まれる活動の1つとしてワークショップは有効だなと思っています。
 

━ワークショップをやっていて、印象的だったエピソードがあれば教えて下さい。
 

大学院生の時に、特別支援学級に通っている自閉症の男の子がワークショップに参加してくれていたんです。その時のワークショップは、子供向けワークショップを長年手がけているCAMPさんのプログラムをお借りしたワークショップで、色々な材料を用意しておいて、それを使って空想の植物を作るというものです。障害のある子とない子が、二人一組で造形活動をするんですが、その自閉症の子はこだわりが強い子で、ディスコミュニケーションが起こって喧嘩しちゃうんですけど、そのあと制作の途中ですごく二人の笑いのツボが合致した点があって、そこからすごく仲良くなったんです。最終的には面白いものを作品として作ったうえに、発表会ではお互いのディスコミュニケーションが漫才のボケとツッコミみたいになっていて、会場を笑わせてくれるすごく面白いコンビになっていました。
 

その後、自閉症の彼のお父さんが、このワークショップは、他の子供たちと関わる起点になった機会だったから、すごく感謝しているというメッセージをくれたんです。たまたまその子はその後転校して、転校した先で普通学級に入ることになったんですが、もともとは障害のない子と関わるのが難しいと思われていたのに、他の子供たちと遊んでいる形跡が色々なところで見られたらしくて。鬼ごっこをしたり、自由帳に落書きをしていたり、彼の生活に他の子供が登場するようになった。周りの子たちに影響されることで、彼の言葉がクリアになったり、新しい言葉を覚えたりっていう学習も見られたみたいで。他人に関心を持てなかった環境に居てしまったのが、適切な経験を経ることで、他人に関心を持って、ひとと共同するっていう楽しさを本人が気づいてくれたということが、すごく嬉しかったですね。
 

NPO法人Collable提供
NPO法人Collable提供

 

━今後の活動としてなにか考えていることはありますか?
 

今後については、まだ未知数なところもあるんですけれども、私たちって、子供たちをメインに活動を届けるというよりは、障害の有無を問わず、息の長い人間関係を作りたくてCollableをやっているんです。そのためには、小さい時から適切な学習環境を作ることが大切だと思うので、主に子供に向けてワークショップをやっているんですけれども、いま来てくれている小学校1年生の7歳の子が、20年後、27歳になった時に、困ったときに誰かの助けを借りながら自立して生きていけるかというと、いまの環境からするとやっぱり難しいところがあります。
 

障害者雇用の問題だって、これという形が確立されていない。福祉施設だって虐待のニュースがある。そんな中で、私たちは息の長い、困った時はお互い様という人間関係を作るためにワークショップの機会をつくっているのに、この学習経験が大人になったら何の意味も無くなっちゃうんじゃないかというのが、最近の私が気になっていることです。何か、障害のあるひととないひととの、大人社会における人間関係の課題解決のための活動をつくらないといけないなと。社会の大きな根本の構造を変えることで、本質的な課題解決に繋がる何かを見つけたくて、絶賛ミーティング中です。
 

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この記事を書いた人

吉本涼