日本に「超過滞在」している非正規滞在外国人。不法滞在という言葉で定義されることもあります。なんか怖い、危ない仕事に就いている気がする、犯罪に手を染めているのではないか。まったくもって個人的な偏見ですが、私自身は非正規滞在外国人に対して、そんな印象を抱いていました。
今回、非正規滞在の女子高生を取材する機会に恵まれましたが、どこか心は重たく、たとえ話を聞いたとしても「結局のところ、法を犯している状態ですよね」と上から物申してしまいそうな気持ちに包まれていました。しかし、実際に16歳の女子高生、サラーさん(仮名)の話を聞くと、だんだんとその気持ちは薄れ、偏見は崩れていきました。
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イラン人夫婦のもとに生まれ、先に来日していた父親の命令で、母親とともに2002年に2歳で来日したサラーさん。07年に両親が離婚し、父親はイランへ帰国。現在は母親とふたりで生活しながら都内の高校に通う。一見、普通の女子高生だが、同級生のようにアルバイトはできない。都外への移動には制限がある。なぜなら、日本での在留資格がないからだ。
07年には退去強制令書が発付された。日本での在留資格がないなら国へ帰れば良いではないかと思う人は多い。だが、小学校から高校まで日本で教育を受けてきたサラーさんはペルシャ語を話せない。イランへ帰れば日本で頑張ってきた勉強は無駄になるかもしれない。女手ひとつで自分を育ててくれた母親と一緒に生活したいが、男性優位社会のイランに帰れば、親権は父親のものになる。母親とは離れ離れになる可能性が高い。お母さんと一緒に暮らしたい。だから、サラーさん母娘は日本で合法的に滞在するための在留特別許可を求めてきた。
2014年12月、法務省がサラーさんだけであれば在留が認められるかもしれないことを示唆する。しかし、母親の在留は認められなかった。それでは結局母娘はバラバラになってしまう。現在、母娘は親子で日本に在留できるよう再び審査を求めている。
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「私には住民票がありません。保険証も持っていなければ、受けられる福祉サービスもなく、公立の学校に行くのも一苦労。銀行口座を開くこともできなければ、海外に行くこともできません。災害で死んだとしても、死者にカウントされないんです。日本でずっと生活してきましたけど、日本で私の存在は認められていません。」
非正規滞在なのだから、それは当たり前のことではないかと言ってしまいそうな気持ちを押し込んで冷静に考えてみると、どのような環境で生を授かり、生活していくのか、子どもは自分自身で選択することができないことを慮ると、自分の力だけでは打破することのできない「生きづらさ」を彼女が抱えていることに気づきます。
「昨年12月に母が帰れば私の在留許可は下りると言われたけど、母には下りなかった。日本って親子の関係を簡単に切り裂くものなのかってビックリしたのと同時に、自分が置かれている環境をちゃんと考えるようになりました。今年が親子揃って日本で暮らせる最後の夏かもしれない。友達と普通に話したり、笑ったりするのも最後かもって。今は、出口が見えないことが一番つらい。」
今置かれている環境以上に過酷な状態に追い込まれるかもしれない不安と戦う16歳。取材には終始笑顔で応えてくれていましたが、その笑顔の裏には様々な想いが巡っていることは想像に難くありません。
日本でずっと生活してきたことで、母国に帰る場所がない、家族が日本に馴染んでいるなどといった状況であれば、日本でこれからも生活していくために、在留資格を求めることは自然な流れでしょう。
彼女の場合、男性優位社会であるイランにルーツがあること、両親の離婚後、日本で母娘2人暮らしてきたことを考えると、母娘揃ってこれからも日本で暮らしたいという願いもまた、自然なことだと思います。
在留資格が切れてしまった場合、様々なアプローチを用いて、在留資格を得ようと取り組みます。署名活動や嘆願書の提出、入管での説明。日本で暮らしたいというアピールをしていかなくては在留特別許可が下りません。しかし、どうすれば許可が下りるのかという明確なプロセスや回答は何もありません。
サラーさんも自ら先頭に立って、母娘2人の在留許可を得られるように署名活動を行っています。春先から始めた署名活動は9月、2学期が始まったと同時にクラスメイトにも協力をお願いしました。
自分の隣の席に座っている女の子が、実は在留許可が下りていない、住民票がない。一部の友人には話していたとサラーさんは言いますが、同級生の多くは想像もしていなかった事実です。署名に協力してもらうために、自分の置かれている環境をクラスメイトに話しました。
「クラスのみんなにお願いするとき、ちゃんと説明しないとダメだから、“日本にずっと住んでるけど、まだ日本に住んでいいよという許可が出ていないんだ。このままだと日本に住めないかもしれない”って説明して、保険証がないとか本当は高校に行けなかったとか、具体例な状況を話しました。なんでそんな状況なの?いつ許可が下りるの?お父さんは?とかいろいろ聞かれたけれど、ひとつひとつ答えていくと、サラーが頑張ってるんなら、私たちも手伝うよと言ってくれて。すごく嬉しかったです。」
街頭での署名活動では、不特定多数の道行くひとに対して説明する必要が生まれます。様々な意見や質問に応えなくてはならず、傷つくこともあれば勇気づけられることも。サラーさんは署名活動を進めることによって、自分自身が強くなってきたと感じています。
よく尋ねられる質問のひとつに、「自分だけ日本に残るという選択はしなかったの?」というものがあるといいます。
「ずっと一緒に暮らしてきたから離れて暮らすという選択は考えられなかった。なぜ自分だけこんな状態なの?と、反抗期もあって母親を問い詰めたこともあったけど、最近になってどんなときも戦ってきた母の凄みを感じました。母と離れると孤独になっちゃうし、自分で生活のすべてを賄わなくちゃいけない。それは嫌なんです。」
そんな想いはモチベーションに転じ、サラーさんの活動は続きます。
活動している中で、自身のルーツである西アジアに関する偏見に頭を抱えることもあるらしく、それは街頭をはじめ、メディアでの発信や学校の先生の言葉の端々などからひしひしと伝わるようです。
「最近だとイスラム国の問題があったことで、報道ひとつでイスラム圏にネガティブな感情をもたせてしまう。国際関係を学ぶ授業で、学校の先生がイスラム怖いよねって平気で言ったりして、宗教や民族への偏見が強すぎでしょって思う。友達は自分のルーツとか気にせず接してくれるのになあって。」
彼女が語ったのはイスラム圏に対する偏見への意見でしたが、私は違った観点で自分自身を恥ずかしく感じました。非正規滞在外国人を一括りにし、ネガティブな印象を抱いていたことは、私自身の凝り固まった偏見。それぞれの事情などを考えることなく「悪いものは悪い」と蓋をするように考えていた点は反省しなければと思いました。
また、サラーさんの話を聞けば聞くほど、非正規滞在外国人の問題というより、目の前の16歳の女子高生の「母親と一緒に暮らしたい」という切なる想いはどうすれば実現するのだろうという、ある家族の問題なのではないかと感じ始めた自分に気づきました。
非正規滞在外国人という言葉に偏見を持ち、自分から遠いところに存在している問題だと認識していた私自身、偏見が緩和し、問題が実は身近なものとして捉えられると気づいたことは、取材を通じて得られた収穫です。
非正規滞在外国人の問題をどのように解決するかと考えると他人事のように感じてしまうけれど、目の前の家族の問題をどのように解決するかと考えると自分にもできることがあるのではないかと感じるようになる。同じ問題でも、視点によって捉え方や向き合い方が変わります。これはマイノリティや生きづらさに関する問題において、共通するものなのではないでしょうか。
次回は11月、サラーさんを支援する方々のお話をご紹介したいと思います。