「妙な理想」への固執が、意識高い人を生きづらくする?ーPlus-handicap Session#6 イベントレポートー

「夢や理想は持っているつもりで、毎日楽しんでいる風に見せたいけど、実はなんだかずっともやもやした気持ちを上手く出せずに抱えていて、facebookで友人のキラキラした投稿を見るとなんかしんどくて、なんならちょっとイラッとくるけどそう思っている自分が一番嫌」みたいな方に読んでいただければ嬉しいなと思いながら、この記事を書いています。
 

「生きづらさ」を取り扱って発信を続けてきたPlus-handicapで、「そもそも生きづらさの根源にはなにがあるのだろう」と考えた先に浮かび上がった仮説が「比較」でした。そして2015年8月4日。「生きづらさ×比較」というテーマで、様々な視点から一緒に考えたり、1つでも気付きを得ていただければと、【Plus-handicap Session#6「他人や理想と比較するからしんどい ~「自分なりの道」への踏み出し方を考える~」】を開催しました。
 

当日の会場の様子
当日の会場の様子

 

イベントでは、Plus-handicap編集長佐々木一成の進行のもと「比較」をテーマに2名が話しました。ひとりはNPO法人若者就職支援協会代表の黒沢一樹さん。そして、もうひとりは私、フリーライターの真崎です。黒沢さんが「他人との比較」、私が「理想との比較」というテーマを担当しました。今回のイベントレポートは、誠に勝手ながら私が話した内容を中心にまとめることにしましたので、黒沢さんのお話が気になる方は是非こちらの記事をご覧下さい。
 

「最高の状況でなくても最悪でなければとりあえずOKじゃない?」
//plus-handicap.com/2015/07/6297/
 

左が私「真崎」で、右が黒沢さん。
左が私「真崎」で、右が黒沢さん。

 

黒沢さんと並んで登壇することが決まった時の私の心境は「消えたい」の一言です。当日の来場者はほぼ黒沢さんのお話を目的に来ていて、私なんかが出ていっても「誰だよこの小娘、はやく黒沢さん出せよ」みたいな雰囲気になる気しかしない。中卒、苗字が4度変わる、50回以上の転職など、(失礼を承知で言うと)それだけでインパクトのある黒沢さんの経歴と比べると、大卒、苗字は安定の真崎、転職は2回という字面の地味さ。そして先に話すのは黒沢さんで、どうせ黒沢さんの話を聞き終えて満足してから「ついで」で私の話を聞くことになる。開始前から「比較」で死にそうでした。
 

「他人と比較しない生き方とか私には無理」ということが、このイベントを通して感じた私の1つの答えです。且つそんな自分を変えたいともあまり思っておらず、「他人と比較なんかしなくていいから自分の人生を生きようよ!」的なアドバイスには私自身が辟易してしまうので、私にはこのテーマで話すことはできないなと改めて思いました。
 

その一方で、「理想との比較」に関しては、おそらくですがイベントでお伝えすることができたなと思っています。今回、編集長によっていつの間にか仮決定していた「理想と比較すると死にたくなるから比較しない」というトークテーマを自分なりの言葉に言い直し、「妙な理想に固執するといつか死ぬからいらない」ということでお話させてもらいました。「妙な理想」という言葉だけ覚えてもらっていたら、とりあえず本望です。
 

理想があるなら頑張れるはず?社会人時代の挫折

 

「あなたの夢は?あなたの理想の生き方は?」様々なコミュニティの中で多くの学生にこのような問いかけを投げていた、the 意識高いキラキラ学生の代表格だった私。当時大学4年生の私の価値観として「充実した人生には夢や目標が必要」「理想の生き方を具体化して逆算して今を生きることが大事」と思っており、大学生のキャリア支援、夢を持った人が集まるセミナー運営など「理想を持ってキラキラ生きる人を応援する活動」に従事していました。
 

もちろん、私にも夢や理想の生き方がありました。それは「孤独を感じている子どものこころに寄り添う大人になること」。学生時代に所属していた教育系のNPO団体の学習支援活動を通して、子どもには「信用でき頼ることができる大人」「本音が話せる存在」が必要だという仮説が私の中に浮かび上がり、「自分がそんな存在になって子どもたちに寄り添いたい、孤独をなくしたい」と思っていました。そんな理想を堂々と語る姿に、多くの学生が「理想を持って生きる生き様と真崎かっこいい」と思ってくれていたと感じています。これ書くの、非常に恥ずかしいですね。
 

そんな「理想」と周りからの期待もしっかり背負って、5年間の大学生活に幕を閉じ、社会人として本格的に教育の道を歩み始めました。
 

「the 意識高いキラキラ学生」のイメージ
「the 意識高いキラキラ学生」のイメージ

 

その結果、1社目は2か月でクビ。2社目は2か月で自主退職。3社目は1年半で自主退職。2年間でこれでもかというくらい履歴書の職歴欄が豪華になりました。3社ともすべて「子ども教育」に関わる会社であり、自分の理想を実現できる最高の舞台だと思っていたのに、なぜこうなったのでしょうか。
 

1社目は社長と2人の会社で訳あってクビとなり、気持ちは荒れましたが大きな挫折にはならず、すぐに2社目に転職できました。不登校支援を行う会社で、自分が関わりたい子ども像にあてはまる子たちを支援できると意欲満々で入社。結果、入社1か月目に犯した大失態により、社内での評価が最低となり、日々「いかに私が駄目か」を説かれ、早々の改心を要求され、毎日死にたくなっていたので辞めました。
 

2社目を辞めた時に思いました。理想があれば頑張れるはず、なんでこうなったんだろうと。つらいことがあっても本当に実現したい理想があれば走り続けられるはずでした。「子どものために」「人のために」をモチベーションに頑張っていけるはずが、なんで私は自己防衛のために足を止めているのだろう。この時、激しい「自責感情」が生まれるのを感じていました。
 

でも、一方で、「2社とも「環境」が悪かった。きっと環境さえ変わればまた理想のために頑張れる」とも思っており、退社から2週間後に3社目の転職先を決定して再び「不登校支援」の道に戻りました。そこには、信頼できる上司、親切な先輩、相談できる仲間、やりたいこと全てができる環境が揃っており、「私の輝く舞台はここだ」と信じて入社しました。
 

緊張からノドばかり乾く真崎。
緊張からノドばかり乾く真崎。

 

その理想は、誰のための理想なのか?

 

それなのに、結局私は「仕事がつらい」と感じていました。子どもと関わること、学習指導や進路相談、非常にやりがいもありましたし、実際楽しいことや嬉しいことも本当にたくさんありました。でも、なぜかこころの中には「消えないもやもや感」がずっとあり、仕事に行くことがしんどいと感じている自分がいました。
 

この時に、初めてこの問いにぶつかりました。「私の理想は、本当に「私の理想」なのか?」
 

誤魔化すことなく向き合ってみた結果、答えは「NO」でした。これは「私の理想」ではなく、「他人からの私に対する期待を自分の理想だと思い込んだもの」でした。「真崎は教育に生きる人だ」「教育で子どもを支える仲間だ」「子どもに寄り添う優しい人だ」という期待を周囲から持たれていると勝手に感じており、その期待に応えて「理想に生きるかっこいい姿」を見せ続けるために、私は教育の世界に居続ける必要があった。そんな感覚でした。でも、こころだけは嘘をつけず、自分の「もやもや感」という姿をしたSOSを出してくれていたんだと思います。
 

当日使ったスライドから。妙な理想と本当の理想の違い。
当日使ったスライドから。妙な理想と本当の理想の違い。

 

他者の期待に応えるための理想っぽいもの、これを「妙な理想」と名付けました。対義語は「本物の理想」とします。「妙な理想」は他人用なので、他人からの目を恐れて簡単に捨てられません。私は教育関係の仲間や期待をしてくれていた周囲の人達が私に幻滅して離れていくことが怖くて手放せませんでした。そして、2年間「妙な理想」と知らずに固執し続けた結果、生きること自体がしんどくなりました。
 

それに気付いた時、教育の世界から離れようと思いました。こんな心境を抱いたまま、子どもと関わり続ける自信もありませんでした。そして「本当の理想」を考えてみたとき、単純に私がずっと変わらず好きなことが「文章を書くこと」だったので、文章を書く仕事をしようと思って会社を辞めてフリーライターになりました。ライターになったからといって急に180度人生が変わったわけではないですが、以前よりは素直に生きやすくなった感覚があり、個人的には気に入っています。あと周りの人は基本的に応援してくれています。
 

「妙な理想に固執すると苦しくなる」
「妙な理想に固執すると比較して今の自分が嫌になる」
「妙な理想に固執すると周りまで嫌になってくる」
「妙な理想を捨てたところで誰も気にしない」
「妙な理想を捨てたら前よりは少し生きやすくなりました」
 

そんなまとめと共に、私のお話は終了しました。
 

打ち上げ終了後の黒沢さんと編集長と真崎。出来上がっている。
打ち上げ終了後の黒沢さんと編集長と真崎。出来上がっている。

 

「理想との比較」をテーマにお話しましたが、「比較しないことが良い」「妙な理想は今すぐ捨てた方がいい」という風には一切思っていません。比較しながら、もやもやしながら進んだ先に新しい世界があるかもしれないですし、変わるタイミングも人それぞれだろうと感じているからです。
 

「比較しない生き方」について考える時間でしたが、比較して苦しんだ経験があったから例えば同じ目線で話せる人がいたり、今回であればイベント登壇の機会に恵まれたりしたことを思うと、比較することで得られるポジティブな側面もある気がします。「比較する=生きづらい」「比較しない=生きやすい」という単純な図式ではなく、比較との付き合い方が大切なんじゃないかなと感じました。
 

今回のイベントやそこでの話が、少しでも「比較」と上手く付き合っていく一助になれば幸いです。

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この記事を書いた人

真崎 睦美

平成元年生まれのフリーライター。前職は不登校支援の仕事に従事。大学時代は教育の道を志す「the 意識高いキラキラ学生」だったが、新卒入社した会社を2か月でクビになり、その後務めた会社を2か月で退社して挫折。社会人2年間で2回の転職と3社の退職を経験し、自らの「組織不適合」を疑い始めてフリーに転身する。前職時に感じた「不登校生は〇〇だ」という世間的イメージやその他の「世にはびこる様々な偏見」を覆していくべく、「生きづらい」当事者や支援現場の声や姿を積極的に発信していく予定。人生の方向性は絶賛模索中。