お母さんがいつもと違う。面白い話をしても笑ってくれないし、イライラしてる。お母さん、どうしちゃったの?もしかして、ボクがいい子じゃなかったから?
親の精神疾患を自分のせいだと思い悩んでしまう。そんな子どもたちの気持ちを描いた絵本がある。絵本の著者は「プルスアルハ」。聞きなれない名前だが、外国人というわけではなく、細尾ちあきさんと北野陽子さんによるユニット名だ(※1)。実は、ちあきさんは看護師で北野さんは精神科医。2012年にプルスアルハを立ち上げ、これまでに6冊の絵本を世に送り出してきた(※2)。うつ病、統合失調症、アルコール依存症などをテーマにした絵本は、ちあきさんがお話と絵を、北野さんが解説を担っている。
ちあきさんと北野さんが知り合ったのは、今から6年前のこと。さいたま市こころの健康センター(※3)で同僚として働いていたお二人が、なぜプルスアルハを立ち上げたのか。これまでの活動を振り返りながら話を聞いた。
「ないなら、作ろう」
さいたま市こころの健康センターは、「子どもの精神保健相談室」を設けており、児童相談所と連携したプログラムを行うなど、子どもが抱えるこころの問題について先駆的な取り組みを行っている。ちあきさんと北野さんも、在職中は他の職員とともに、学校に行くのがしんどい子どもたちの居場所づくりや、子ども向けのリーフレットやプログラムの企画などに関わっていた。
センターには、様々な事情で、安心できない家庭で育つ子どもたちもやってくる。あるとき、そうした子どもたちを応援するために、グループワークを企画するプロジェクトが立ち上がり、ちあきさんと北野さんもメンバーのひとりとして企画に携わった。
「グループワークでは、“困ったことがあったら話していいんだよ” “こんな気持ちになってない?” “ちゃんと気にかけているよ”といったことを子どもたちに伝えたいと思いました。そうしたメッセージを伝えられる絵本を随分探したんですが、求めるものがなかったんです。ないなら作ろうと思って、紙芝居を手作りしました」(ちあきさん)
看護学校を卒業して看護師になったちあきさん。絵を仕事にするなど想像もしていなかったが、必要に迫られて絵筆をとったことが、現在の活動につながっている。「これまで世の中になかった新しいものを創りだし、より多くの人に向けて発信したい」という思いが結実し、2012年4月、プルスアルハが誕生した(※4)。
「君のことを気にかけている大人がいるよ」
他団体とのコラボレーション企画やセミナー開催など、プルスアルハの活動は今や多岐にわたるが、活動の軸として据えているのは設立当初から取り組んできた絵本の出版だ。プルスアルハの絵本は、「絵本」「絵本のシーン毎の詳しい解説」「病気の基礎知識」の3本柱で構成されているのが特徴(※5)。子どもだけでなく、まずはまわりの大人に手にとって役立ててもらいたいとの思いから考案された構成で、子どもへの声がけの方法など、現場で役立つ知識も得られるように作られている。うまく言い表せない子どものこころの中を、そのまま絵の具で表現したような絵が印象的だが、一冊の絵本が完成するまでには多くの苦労があるという。
「絵本では、ひとりの子ども、ひとつの家族の物語を描きますが、その設定が必ずしも全ての家族に当てはまるわけではないんです。例えば『ボクのせいかも…―お母さんがうつ病になったの―』では、お父さんが主人公のスカイにお母さんの病気の説明をしてくれますが、読者の方から“うちにはこんなお父さんはいない”という声が少なからず返ってきます。あくまで、お父さんは子どもを気にかけている大人のひとりで、“お父さんがいなくても、君のことを気にかけている大人がいるよ”というメッセージを届けるにはどうしたらいいだろうかと、いつも頭を悩ませています」(北野さん)
「絵も、下書きを元に一発で描けるわけではなくて、描いては塗っての繰り返しです。イメージにあわないときはうんうん唸っています(笑)。“これじゃないねん” “この色ちゃう”…って」(ちあきさん)
物語が「作り話」でないように。絵本を手にした子どもたちに、主人公が自分と同じく世界のどこかで頑張っている子どもだと感じてもらえるように。主人公のおばあちゃんは車で何分の距離に住んでいるか、好きなものは何か、苦手なものは何か、普段どんな生活をしているか、絵本に描かれない設定も考えられている。絵本は、ちあきさんと北野さんの手を離れた瞬間から一冊の商品としても評価される。一枚の絵としては良い絵でも、次のページにつながっていなかったら絵本としての体をなさない。絵本のタイトルが病気を抱えた親御さんを傷つけることにならないか。気を配るところは山ほどある。
日本初のウェブサイト「子ども情報ステーション」
絵本はテーマを変えて今後も刊行予定で、2015年9月には「感覚過敏」を題材にした絵本が発売される予定だ。制作にあたり、SNSを通じて寄せられた数々の「感覚過敏エピソード」は、プルスアルハのブログでも紹介している(ぷるす日記「みんなの感覚過敏」)。絵本の制作と並行して目下進行中なのが、精神疾患の親をもつ子どもの応援を目的とした日本初のウェブサイト「子ども情報ステーション」の開設だ。
「プルスアルハ設立当初、活動紹介のためにHPを開設したんですが、いざ運用してみると、読者の方が求めている情報は少し方向性が違うのでは、と気が付きました。そこで、絵本の解説をまとめたページを作ってみたら、すごく反響があったんです。このページ(「親が精神疾患になったときの子どものケアガイド」)はHPの中で最もアクセスが多いページです。読者の方が求める情報を提供できれば、活用してもらえるし、メッセージも届く。何よりウェブの情報は無料です。絵本を買っていただきたい気持ちはもちろんありますが、それよりも選択肢が増えることが大事だなと思い、新たに情報サイトを作ることに決めました」(北野さん)
子どもが「お母(父)さんの様子がおかしいな」と思ったときに安心してアクセスできるサイトは現状見当たらず、「子ども情報ステーション」ができれば、画期的なサイトになることは間違いない。現在、サイト開設に向けてクラウドファンディングを行っているが、開始10日で目標金額に達したことも、多くの人がサイトを待ち望んでいることの現れだろう(ファンディングは200%の達成を目指して7/30まで継続中「精神疾患の親をもつ子どもに安心と希望を届けたい!『情報&応援サイト』立ち上げ!」)。
プルスアルハの活動が「当たり前」になる
絵本と情報サイトに加え、全国の学校の保健室に絵本を置いてもらう「献本プロジェクト」も考案中というプルスアルハさん。インスタグラムやTwitter、Facebookなど、各種SNSでの情報発信、YouTubeでの動画配信など、あらゆる手段で発信を続けるのは、精神疾患を抱える親をもつ子どもたちの応援が、まだまだ社会的なムーブメントになっていないから。設立当初に掲げた目標「10年後にはプルスアルハの活動が当たり前に」は、まだ道半ばだ。
「親御さんの病気のことって、今の社会では話しにくいですよね。だけど、“言っちゃダメなんだ”と思い込んだまま大人になると、生きづらさが残っちゃう。知りたいことを周囲に尋ねたり、相談したりしてもいいんだと思える社会になれば、しんどい思いをし続けなくてすみます」(ちあきさん)
人々の意識だけでなく、制度の網目からもこぼれ落ちているのが、プルスアルハの絵本で描かれる子どもたちの存在だ。人知れず「ボクのせいかも…」「家族のことは誰にも言えない」と悩む子どもに気がつくことで、病気を抱えながら子育てをしている親御さんの存在、背景にある貧困や虐待などの問題にも気づくことができるかもしれない。自分のそばにいる子どもの存在を気にかけることが、社会の意識や制度の変革にもつながっていくはずだ。
絵本、ウェブサイト、SNS、ブログ……子どもたちと私たちをつなぐ窓口を、プルスアルハさんはたくさん用意してくれている。好きなツールを通じて、病気を抱える親御さんと一緒に頑張っている子どもたちを応援していきたい。近い将来、プルスアルハさんの取り組みが「当たり前」になるように。
(※1)「プルスアルハ」という名前には、「少しの想像力で生活にちょっぴりhappyを…」という思いが込められている。「プラスα」を語源に、ちあきさんの言葉遊びから生まれた。
(※2)絵本にはふたつのシリーズがある。「家族のこころの病気を子どもに伝える絵本」では、うつ病、統合失調症(前・後編)、アルコール依存症を題材にした4冊を、「子どもの気持ちを知る絵本」では、不登校、家庭内不和の2冊を、すべてゆまに書房より刊行中。書店やアマゾンで購入可能。
(※3)さいたま市こころの健康センターは、各都道府県と政令指定都市に設置されている精神保健福祉センター。市民からの様々なこころの健康に関する相談のほか、研修、講演会などの普及啓発活動を行っている。
(※4)プルスアルハは、2015年6月、『NPO法人ぷるすあるは』を新たに設立。普及啓発活動にさらに力を入れる。
(※5)『ボクのせいかも…―お母さんがうつ病になったの―』には、「病気の基礎知識」は掲載していません。