繰り返される希望と絶望 離婚の後に【脳脊髄液減少症】

元妻と別々の人生を選択し、離婚の諸手続きを終えた後、将来への思いは喪失していました。積極的に自死を選ぶとかではなく、24時間365日の絶え間ない痛みに疲れ果て、前に進もうという意欲もなくなっていました。失う物事もなく、思考は停止していました。
 

これが前々回の記事、「繰り返される希望と絶望、絶え間ない不安【脳脊髄液減少症患者の心境編】」を書く前、3度目のブラッドパッチ治療を受ける前の私の心境です。
 

家庭崩壊の危機を幾度となくむかえた結婚生活最後の1年半。いつも私が絶え間ない痛みに負けることが原因で始まりました。その間も、三度目のブラッドパッチ治療を家族や友人に幾度となく勧められていました。以前にも書いた通り「どうせ効果はないだろう」・「脊髄の穴が確認できなかったらもう打ち手がない(恐怖心)」といった理由で決意できないまま、二度目の手術から数年が経過しました。
 

(ブラッドパッチ治療)
外傷性または突発性により脊髄に開いた穴から漏れ出る脳脊髄液を自家血の注入により塞ぐ治療法

 

【頸椎へのブラッドパッチ治療の様子】
【頸椎へのブラッドパッチ治療の様子】

 

その後、離婚も確定し、1年半に及ぶ自暴自棄や憂鬱な状況から、失うものもなく、死ぬ前にダメもとで受けてみるかぐらいの気持ちになっていました。正確には、友人の強力な後押しと付き添いにより、私は文字通り電車に揺られ病院に向かうだけでした。この間、トラムセットという医療用麻薬の服用も始めました。今から振り返ると、痛みは一時的に改善していたように思います。
 

3度目のブラッドパッチ治療と医療用麻薬の効果なのか、「24h365d」痛むから「12h300d」ぐらいの負担へ軽減しました。あくまで感覚的なものですが、痛みを忘れられる瞬間があったことは確かです。皮肉というのか、そういう巡り合わせだったのか、離婚の後、私の症状は変化していきました。友人にはとても感謝をしています。多少なりとも痛みが改善したことを別れた妻にも伝えたいなとも思います。
 

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その後半年ほどで医療用麻薬の服用を止めましたが、痛みはまた戻ってきたように感じます。医師曰く「半年以上掛けてゆっくり症状が変化、改善していくのではないか」とのことです。
 

この数年間、大勢の方に幾度となく聞かれてきた問い

「調子はどう?」

「痛みは改善した?」

これらの問いに対し、私は痛みの有無に関わらず、答えられるようになりました。

「お陰様で手術前よりは楽になりました」

「忘年会シーズンに向け痛み止めを減らしています」

 

痛みに堪え切れず離婚を選ぶ【脳脊髄液減少症】」の記事でも書いた通り、以前は「大丈夫??」の問いに答えることに疲れてしまっていました。今も痛みがひどい時は答えに困るときもありますが、ここは自分の中で大きな変化だと思っています。
 

この8年間、痛み以外のことはあまり頭にありませんでした。それが少し楽になった時期があることで、自らの人生のこと、家族のこと、生きること、他者のことなどを考えられるようになりました。同時に、これまであまり感じたことがなかった漠然とした不安、孤独感や悲しみなども感じるようになりました。人として当たり前の感覚ではありますが、久しぶりのことで扱いに戸惑っています。痛みで精一杯だった思考の中に、他の要素が入る余地が出来た感じでしょうか。
 

脳脊髄液減少症とは?
外傷性または突発性を起因とし脊髄からの脳脊髄液の漏出により、十人十色の症状を引き起こす病気。記憶障害、睡眠障害、免疫異常、全身倦怠、視力低下、光過敏、めまい、吐き気、体中のしびれ等数多くの症状を示す。詳しくはwikipediaにて。私の場合は、これといった要因のない突発性の脳脊髄液減少症で、24時間365日の痛みで数年間熟睡出来ず、装い続けて生きることに耐え切れず、妻へ負担を強いることにも耐えられず離婚を選択。最終的には痛み止めとして医療用合法麻薬を服用

 

一時、痛みが楽になった実感もあったのですが、現在は仕事の忙しさや数々のストレスから師走から痛みが戻り始め、ここひと月は手術前と変わらない状況です。振り返ると昨年一昨年とこの時期は絶不調で、離婚決断の要因の時期とも重なります。気候的なものか、毎年度多忙になるからのか。そんな訳で三度目のブラッドパッチ治療で痛みが改善したかどうかは、今は分からなくなりました。
 

ただ一つ言えるのは、私の心境が昨夏とは違うことです。それは、周囲の人々に生かされて、支えられていることを実感できるようになりました。また、ただ我慢して装い続けるのではなく、自分なりに痛みと日々向き合い、コントロールまたは軽減する手立てを自分なりに身につけられたように思います。
 

7年もの間、誰よりも身近で見守り、支えてくれた人がいましたが、痛みで相手にまで気が回らず負の連鎖を生んでいました。
 

いま、私は、ほどほど生きています。

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この記事を書いた人

重光喬之

10年来、脳脊髄液減少症と向き合い、日本一元気な脳脊髄液減少症者として生きていこうと全力疾走をしてきたが、ここ最近の疼痛の悪化で二番手でもいいかなと思い始める。言葉と写真で、私のテーマを社会へ発信したいと思った矢先、plus-handicapのライターへ潜り込むことに成功。記事は、当事者目線での脳脊髄液減少症と、社会起業の対象である知的・発達障害児の育成現場での相互の学び(両育)、可能性や課題について取り上げる。趣味は、写真と蕎麦打ち。クラブミュージックをこよなく愛す。