こんにちは、田中さくらです。
オナニー歴20年、ピアノ歴15年、茶道歴2年、結婚歴1年の私ですが、やはり「歴」でぶっちぎりなのは「アトピー性皮膚炎歴」でしょう。生まれたときから今に至るまで、そのときどきで症状の程度に差はあれど、一貫してアトピーに悩まされています。今日はそんな私のアトピーについて書いてみたいと思います。
生足になりたいけれど
私の大好きな季節は夏です。太陽が力強く照り、風が肌をなで、気分が高揚する、夏。でも夏は私にとって、悲しい、つらい思いをする季節でもあります。それは、肌の露出に関することです。
私のアトピーが最もひどいのは、膝下。知らぬ間に(おそらく寝ている間に)ひっかいた傷あと、黒く変色した古い傷跡、ひっかいた後にできたかさぶたが、おぞましいほどの密度で、膝下に広がっています。とても、生足で歩けるような足ではありません。
街ゆく若い女性の、傷一つない白い足。それを見るたびに、私は、「顔なんて、私のほうが3倍はかわいいのに、この人の足は私の足より格段にきれいな足を持っている・・・」なんて、性格の悪いことを考えて、人の足を目で追ってしまいます。
生足を出したくない私が、必然的にとる方法は次の4つです。
・ロングスカート・ロングワンピースを着る
・ズボンを履く
・レギンスを履く
・エアストッキングを使う
したがって、夏の間、私はほとんどロング丈のスカートか、ワンピースを着て過ごします。レギンスを履くこともあるけれども、レギンスは、コンサバな格好には似合わないし、ちょっと野暮ったい。エアストッキングというのは市販の肌用スプレーのことで、これは、どうしても生足にならなければならないとき(具体的には、ハッピを着てみこしを担ぐときなど)に、その場しのぎで使うものです。
私の傷跡は色が濃く、傷の数も多いので、ストッキングで完全に覆い隠すことはできません。どうしてもストッキングを履かなければいけないとき(結婚式でパーティードレスを着るときなど)は、通販で購入した、特別に分厚い肌色ストッキングを着用します。
セックスでからだを見られたくない
アトピー性皮膚炎で一番困るのは、やっぱりセックスのときではないでしょうか。結婚してからはダンナにしか見られないのでいいのですが、結婚するまでは、セックスする相手に、傷だらけのからだを見せることが不安でした。
腕の折れ曲がった部分、手首の付け根、首の髪の毛の生えぎわ、背中、足の付け根、膝下全体……。普通の人とはあきらかに違う、赤い、丸い、アトピー性皮膚炎独特の傷跡が無数にあって、私はそれを、セックスをする相手には見られたくありません。
私はセックスをするときに恥ずかしいなんて微塵も感じたことはありませんが、はじめての相手とセックスするときは、「恥ずかしいから電気消して!」と言って、絶対に体を見せませんでした。どうせ、触ったらわかることなのですが、でも視覚的に、グロテスクな傷跡を見られるのはイヤなのです。特に、一回きりの相手には、きれいな部分だけを見てほしい。
幸い、今まで私がお会いした男性方は、ジェントルマンばかりだったので、からだが傷だらけで汚いだとか、そういったことを言われたことは一度もありませんでしたが、心配そうな顔で「どうしたの?」と聞かれたことはあります。私は22で結婚したのですが、そんなにも早く結婚した理由の一つは、傷だらけの体を、たとえこの先もっと酷くなったとしても、大事にしてくれるような性格の人を、早く捕まえておきたいと思ったからです。
痛みとかゆみと反抗
眠っていて意識のない間、私は知らぬ間に、からだをかきむしっています。もう慣れましたが、朝起きて、両手の爪が血で真っ黒に染まっているなんてことも、よくあります。起きているときだって、あまりの痒さに我慢が出来なくて、思わず肌をかきむしってしまうことが、しょっちゅうです。
「なんで我慢できないの?掻くと、余計ひどくなって、辛くなるでしょ?掻かないで。我慢して」、私が小さかった頃、母は私によくそう言いました。結婚してからは、ダンナがそう言うようになりました。母も、ダンナも、私が痒さに耐えきれずからだを掻きむしって、あとで血だらけになって、つらくて泣くのが分かっているから、そう言ってくれるのです。
でも、私は反抗してしまいます。涙が出てきて「別にあんたのからだじゃない!痒いのは私で、我慢するのも私。私が、自分が辛くなるのが分かっていて、それでも我慢できないくらいの痒さだから掻いているのに、なんで、命令するように掻くなって言うの?あんたに私の痒さがどれほどわかるの?」などと言ってしまいます。
心配してくれる母や、ダンナには申し訳ないなと思います。でも、本当に、痒いときはどうしようもなく痒いのです。最近は、だいぶ我慢の心が芽生えてきましたが、それでも痒いのです。
母と私のアトピー放浪記
私のアトピー性皮膚炎の記憶は、そのまま、母と私のアトピーをめぐる放浪の記憶でもあります。物心ついたときから、母は、私のアトピーに対して、延々と闘って(?)きました。
「女の子なのになんでアトピーになってしまったんやろ」と母は何度もため息をつき、私を車に乗せ、車で一時間もかけてアトピー治療で有名な病院に連れていっては、診察を受けさせました。ステロイドを処方され、疑心暗鬼になりながら(ステロイドは特効薬的に聞く薬なのですが、諸刃の剣でもあるのです。そのあたりは、アトピーの当事者には、よくわかってもらえることではないかと思います)何度も病院を替えました。
眠っている間にからだを掻きむしらないようにと、手袋をはかせたり手を縛ったりと創意工夫し、よい民間療法があると聞けば試し(ホウセンカ薬、氷で冷やす、など)、食事に気を付けて、私の食事から添加物を片っ端から排除しました。漢方や、注射に頼ったこともあります。
小さなころに比べれば、体質のせいか、私のアトピーは劇的に良くなっているのですが、それでもやはり、治療をめぐる放浪は今も終わりません。
さいごに
アトピー性皮膚炎は私にとって負の財産です。でも、今まで取り立てて、つらいとか、イヤだとか、思ったことはありません(というか、つらいし、イヤなのですが、どうしようもないので、慣れてしまったという感じです)。
アトピー性皮膚炎でも、私は海で泳ぐし、銭湯にも行くし、たまに生足にもなります。私のからだを見て、ギョッとした顔をした人には、すみませんと思うのですが、もう気にしてもしょうがないなあと思っています。
アトピー性皮膚炎といっても、軽さ重さ、症状、感じ方は、人によって千差万別なのでしょう。私の場合は、幸い顔には(顔だけは)症状がほとんど出ていないので、不幸中の幸いかもしれないし、もっと大変な、辛い思いをしている人もたくさんいるのかもしれません。だから、私が言うことは、あくまで私自身にだけ当てはまることで、一般性はないかもしれません。でも以上のようなことが、私のアトピー性皮膚炎のすべてです。
いつか、アトピーの特効薬が発明されることを願って。