こんにちは。ライターの堀雄太です。
私が障害者になったのは1991年です。骨腫瘍が発覚し、病院に入院をしたのが1990年暮れ。年明け間もなく手術が行われ、足を切断。半年ほどの安静期間の後、義足を履き始めました。その頃の日本はご存じの通り、バブル経済真っ盛りで、まさしく資本主義経済の恩恵を享受している時代でした。なんとなく「自分も大人になったら、ああいう世界があるんだろうなぁ」と感じていた矢先に、人生が180度暗転する事態になったわけです。
「資本主義社会」という言葉を、当時小学生の私がどのくらい理解していたかは定かではありませんが、社会の空気感はなんとなくわかっていました。しかし、それが自分が障害者となることによって、あの華々しい社会の一員から切り離され、そして、長い孤独時代(笑)が始まったわけです。「自分って何の価値があるのだろう?(資本主義の)社会のお荷物でしかないのだろうか?」などということをいつも考えておりました。
自分が成長するにつれ、その答えは見つかってきたと思っていますが、自分の見解とは別にこのような意見をよく目にします。
「資本主義社会において、障害者の存在って必要なのでしょうか?」
実は、健常者側・障害者側の双方から上がってくる意見のようです。健常者側はヒューマニズム的にあまりこのような発言ができないでしょうが、中には過激な人もいるようです(笑)。問題は、障害者側でもそのように思う人がいる、ということでしょう。気持ちは痛いほどにわかります。ただ、あえて断言すると、資本主義経済下だからこそ障害者の存在が必要なのです。
私も学者ではないので、経済や思想に対して専門的で詳細な記述はできませんが、資本主義経済というのは、生産を続ける最前線の人のみが礼賛されるわけではなく、社会全体で生産的活動を維持・向上していくことだと思っています。加えて、編集長佐々木氏も言っておりますが、人間いつ自分が障害者になるかわかりません。明日の交通事故で車いす利用者になるかもしれません。私も自分が障害者になるなんて、夢にも思っていませんでした。つまり。最前線で生産をしている人たちも、いつ自分が現在の立場から変更を余儀なくされるかわかりません。
もし、その人たちを放っておき、新しい人の発掘を繰り返し、働かせる社会だとしたら、そんな危険な社会では働けません。ある意味で、障害者側の知見や需要が社会の生産性を上げることになるかもしれません。また、ITをはじめとするツールが発達した現代では、障害者だってバリバリ生産性を発揮出来ると思うのです。
こんなことを考えるきっかけとなったのは、ロシアの障害者事情に関する記事です。
ロシアNOW「社会参加を夢みる視覚障害者たち」
http://roshianow.jp/arts/2013/11/01/45873.html
記事を要約すると。
現在のロシアがまだ共産主義社会のソ連時代に、(視覚)障害者を一つの地域や施設に集約していたそうです。理由としては、「障害者は(点在して健常者の中で苦労するより)ひとつに集まっていた方が幸せだ」ということです。当時は政府がちゃんと生活の面倒も見ていたそうです。背景には、障害者の歴史において社会から隔離されていた資本主義経済へのアンチテーゼとして、共産主義経済の素晴らしさをアピールする政策方針があったのではないかと思います。しかし、ソ連が崩壊して、資本主義経済が始まっているロシアの政治下で、保護されていた障害者達は自分を守ってくれていた存在を失うとともに、自分自身で自分を守る(生活する)術がなく非常に苦しんでいる、という内容の記事を、うまく自立を果たしている視覚障害女性との対比で描いています。
出典先:http://roshianow.jp/business/2013/10/31/45849.html
「資本主義」や「社会主義」をこと細かに語れるほどに見識はありませんが、繰り返して言うと、私は最前線で働くビジネスマンの存在だけが資本主義ではなく、社会全体の人が循環的に生産し続ける仕組みを構築していくことが資本主義であると考えます。もちろん、障害者もその一員です。
障害があることで物理的には健常者と同じように働けないこともあるでしょうが、そこを悲観せずに、自分のできること・得意なこと・やりたいことから社会に関わっていくことが大事だと思うのです。そのためには、自分が発揮できる価値をしっかりと考えることが何よりの第一歩だと考えます。安寧している時間はありません。自分の価値を見つめ、どんどん社会に関わり貢献していけるように共に頑張っていきましょう。それが求められるのが資本主義の社会だと思いますし、その意味で、資本主義が発達した現在日本は障害者にとっても生きやすい時代になってきているのではないかと切に感じています。