みなさま、ごきげんよう。矢辺です。
前回、エフピコという会社の障害者雇用について紹介しました。
今回は、このエフピコ社の障害者雇用の取り組みから障害者雇用のあるべき姿を考えてみたいと思います。
前回は、
自分たちがなかなかできない仕事を知的障害のある人が黙々と行っており、しかも会社として大切な事業として位置づけられている
ということをお伝えしました。
では、周りの人はどう思っているのでしょう?実際にパートらしいおばちゃんにこそっと聞いてみました。「彼らの働きっぷりはどうですか?」と。
そうすると彼女は何事もないように、「なに言ってんのこの人」と言わんばかりに、こう言いました。
「ふつうだね」
色々な障害者雇用の現場を見てきましたが、このようにさらっと「ふつう」であることを言える職場はなかなかありません。「ふつう」と言ったとしても言わされているように聞こえたり、歯の奥にものがはさまったような言い方だったりでしたが、この職場は違うと直感的に思いました。
障害者だから特別なのではなく、周りの人たちにとって、あくまでも「ふつう」の存在であることに、私はとても感激しました。これがきっと定着率が高い理由なのではないでしょうか。会社として必要だから採用している。その当たり前のことを思い知らされました。
なぜ、障害者の人がこんなにたくさん在籍するようになったのでしょう。それは、現場で一緒に仕事を教え込んだ1人の女性がキーマン(ウーマン?)ではないかと思いました。
その女性は、初めて知的障害のある方が入社した時の苦労を話してくれました。最初は、健常者・障害者の区別が明確にあり、食事も別、会話もなかったそうです。しかし、彼女は諦めず、ずっと言い続けたのです。
「彼らは3か月で絶対に仕事ができるようになる」
何の根拠もなかったそうです。彼らは仕事が覚えられないのではなく、覚えるのに時間がかかるだけ。そんな信念を持って仕事に取り組んでいたそうです。障害のある人が1日の中で選別した結果を健常者が最終チェックし、選別できた結果をフィードバックする。これを繰り返していると、いつの間にか仕事を覚え、3か月も経つと、能力を最大限に発揮できるようになったそうです。また、みんなで食事をし、会話もするようになったとのことです。
このエピソードから私は反省しました。障害者として採用するから障害者の問題が解決しないのではないか。つまり、障害者としてみるのではなく、1人の人間としてみなければ、障害のある人の就労や生活の問題は解決しないのではないか。障害者として障害者の就労を支援していても何の問題も解決されないのではないか。
うちは障害者として採用していない。知的障害のある人が雇用率に算定される前から採用している。なんら特別なことはない。ふつうのことです。
この話を聞いて、私が取り組まなくてはいけないのは、「障害」によって「できない」「できることはない」「働けない」という概念を変えることです。「障害者=弱者」として企業が採用する限り、障害のある人は確実に能力を発揮することはできない。障害者ではなく、1人の当たり前の人間として能力をどう発揮するのか。これを考えなくては障害のある人の根本的理解は生まれないのではないか。
障害者を雇用しながらも、障害者ではなく、1人の人間として受入れ、能力をどう発揮させるか
矛盾しているようにみえる、このことこそが障害者雇用としての本当に目指すべき姿なのではないでしょうか。
このエフピコ社での経験が私の障害者雇用の価値観を一変させました。
何よりも大切なことは、当事者や周りの支援者たちもが人間の可能性を殺してしまう「障害」という言葉の意味を変えなくてはいけない。今、本当に心からそう考えています。