わかものと大人の間には今日も冷たい風が吹く

 

こんにちは。こんばんは。

 

矢部ではない、矢辺です。

 

前回は、職ガネーゼの生きづらさについてお話させていただきました。

 

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このわかものの考え方に対する大人や行政の考え方をみていきたいと思います。

今日伝えたい結論は、わかものと大人の考え方にはズレがある、です。

わかものは、働く上で「自分が納得した選択をしたい」と考えています。

しかし、世の中の価値観はそうではありません。

 

世の中の多くの大人は、お金のために我慢して働いています。それは納得とかそういうことの前に、有無を言わさず働かなきゃいけなかった訳です。社会全体がそこまで豊かではなかったし、親も学校を卒業してまで子どもの経済的面倒を見る余裕もなかった。

 

また、両親ががんばって働いていて自分を養ってくれたという感覚がもてました。だから、労働は尊いものだと思えた。だから、みんな学校を卒業したら働くのが当たり前で、それだけどんな人でも働ける労働環境があったのです。

 

また、行政サービスも就職してもらわなければ税金を徴収できません。だから、「働くこと」がゴールになっています。だから、働きさえすれば極端なことを言えば、どこに入社しても同じです。だから、「納得した選択」という支援はおざなりになりがちです。

 

このように「納得した選択をしたい」わかものと「働くこと」が目的になっている行政サービスは、決定的なズレがあります。

 

わかものは、お金のために働くのではなく、自分が納得できる道で働きたい。しかし、世の中の「働くこと」の価値観と行政サービスとの意識のズレ。これらが相まって、わかものは生きづらいんだなぁと思います。

 

じゃあ、この状況をどう捉え、どうすれば良いのか?

 

私は、このわかものの考え方をとても肯定的に捉えています。というのは、おっさんよりもわかものの方が長生きする可能性が高いからこそ彼らが望むような社会になった方がいいから。次に、とても豊かな考え方だなぁと思うんです。そこそこのお金がもらえて、自分が認められて、やりたいことができる会社を選びたいという考え方が。

 

むしろ、年長者として、一経営者として、わかものにそう言う風に思える環境を提供できていない。とてもそれは申し訳ないし、我々が働いてきた考え方がなんと貧相だったのかと、今我々はわかものに突きつけられていると私は思っています。

 

だから、わかものには、軍隊のようなところで鍛えれば働けるようになるだろうという考えは残念ながら通用しません。

 

じゃあ、この決定的なズレをどうすれば良いのか?

 

そのためには、わかもの、企業など働く場、双方が努力する必要があります。

 

そのことは追々書いていこうと思いますが、この努力に絡んで、我々が取り組んでいる障害者雇用の支援について、次は書いて行きましょうか。

 

それでは〜。

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この記事を書いた人

矢辺卓哉

双子の妹に知的障害があったことが「生きづらいいね!」の始まり。彼女たちを恥ずかしいと思った自分の心を恥ずかしいと思い、大学3年時、障害のある人に関わる仕事を生涯の仕事にすると決める。障害者採用支援の会社で6年間働き、株式会社よりよく生きるプロジェクトを設立。現在は、障害のある人やニート・フリーター、職歴の多い人、企業で働きたくない人などに特化した支援を行っている。また、障害者雇用を行う企業へ退職防止、障害者が活躍できる組織づくりのコンサルティングを行う。「人生を味わいつくせる人を増やす」ことが一生のテーマ。