視覚障害者の世界を劇的に変えた点図(点字)ソフト開発者・藤野稔寛さん

25年前に点字で図形(点図)を描くソフト「エーデル」を開発し、視覚障害者が使いやすいように日々アップデートし続けてきた高校教諭・藤野稔寛さん。平成26年度バリアフリー・ユニバーサルデザイン推進功労者表彰 内閣府特命担当大臣表彰優良賞を受けた藤野さんにお会いするため、徳島まで行ってきました。
 

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点図ソフト「エーデル」を開発した経緯

 

―まずはエーデルについて教えてください。
 

私が作ったエーデルは、簡単に点図が描ける、描いたとおりに点図が印刷される、というパソコンソフトです。エーデルを使うには、点字プリンターも併せて必要です。ちなみに、エーデルは「絵出る(えでる)」をもじっています。
 

―初歩的な質問ですが、点字で図形を描くことはできなかったんですか。それ以上に恥ずかしながら、点字は知っていても点図は存在すら知りませんでした。
 

エーデル以前にも点字プリンターで点図を印刷することはできましたが、そのためにはひとつの点図を印刷するためにひとつのプログラムを自分で書かなくてはいけませんでした。そんなことは誰もできなかったし、やりませんでした。専用のソフトがなかったわけです。
 

―開発をされたのは、藤野先生が盲学校の教諭をされていた時だとお聞きました。
 

開発したのは25年位前、私が盲学校に赴任した時です。私の担当は中学部の一年生、生徒は全盲の男子生徒一人でした。徳島県は人口が少なく、視覚障害者の数も少ないんです。数学のテスト作成をもちろん点字で行うわけですが、先ほど言ったように、図形が多い数学のテストにおいて点図を作成できなかったので、独学でエーデルを開発しました。
 

―全盲の生徒のための、数学のテストが作れなかったわけですね。
 

はい。点字用紙に「う」という文字を打ち込むと、横に点が2つ並びます。それで、「うううううう」と書いていくと、一列に点が並びます。それを細く切って張り合わせて、例えば、三角形に並べたりするわけです。それが、エーデル開発以前の私の数学テストの作り方です。非常に骨の折れる作業でした。
 

エーデルで作られた点図
エーデルで作られた点図

 

―エーデル開発のためのスキルはどこで学ばれたのですか?もともとプログラミングの技術がおありだったとか?
 

徳島県では、教職の身分を保ったまま、県内にある鳴門教育大学に国内留学が出来る制度がありました。そこで、独学でプログラミングの勉強して、そのスキルを使っていろいろやってみようと思っていました。
 

―少し話が脱線するのですが、なぜ盲学校を希望されたのですか?
 

盲学校に勤められていた、自身も目が不自由な先輩に憧れていて、一緒に仕事がしてみたかったからです。教育大学卒業後、赴任する学校の希望に盲学校を挙げ、そのまま赴任が決まりました。当時、盲学校に対して、何の知識もなかったんですけどね。
 

―今までのお話を伺うと、エーデル開発は様々な偶然が重なった結果なのですね。目の不自由な方にとってはその偶然が救いですね。エーデルはどうやって広まっていったんですか?
 

点字教科書は、各教科の教科書を点字訳し、全国の盲学校で使います。ただ、なかには、全盲で一般の小学校に入学する生徒もいます。その場合、盲学校で使っている教科書とは違う会社の教科書を使ってたりするので大変です。そういう状況下で、私はエーデルをフリーソフトとして、誰もがダウンロードできるようにしました(当時は、インターネット以前の「パソコン通信」の時代)。すると全盲の息子さんが一般小学校に通っている方から「エーデルについてもう少し詳しく教えてほしい」と連絡がありました。盲学校の先生からの問い合わせも増えていって。クチコミですよね。
 

教科書のページごとの点字と点図
教科書のページごとの点字と点図

 

20年以上もアップデートし続けるエーデル。過去に成し遂げてきた偉業の数々。

 

―開発から20年以上。ずっとアップデートし続けているモチベーションってどこから生まれているんですか?
 

盲学校の先生、点字ボランティアなど多くの方から「ああしてほしい、こうしてほしい」という声に応えていたらこんなに年月が経ってしまったという感じです。だからモチベーションとかやり続けられた理由は自分では分からないですね。元々は、自分の目の前にいる一人の生徒のために、好奇心から、エーデルを開発しただけ。だからソフトも無料ですしね。ただその結果、逆にいろんなところから要望を頂けて、それに対して改良を重ねていったわけです。ちなみに、昨日(※取材日は2月14日)もアップデートしたんですよ。
 

―エーデルを使って過去に行ったプロジェクトの実例とかってあるんですか?
 

筑波技術大学(聴覚または視覚に障害を持つ人が学ぶ国立大学)の障害者高等教育研究支援センターのプロジェクトで、「チャート式基礎からの数学」を全巻点字訳したことがあります。全部で208冊、15,909ページ。壮大なプロジェクトでした。図がいっぱいある数学の参考書を全部点図訳したわけです。これは私の自負でもありますが、このプロジェクトは、エーデルがなければ出来なかったでしょう。
 

―エーデルは海外でも使われているのですか?
 

韓国では、エーデル英語版が使われています。ただ、英語版の最終アップデートは2011年6月くらいなので、少し古いです。次にアップデートする際は、新しい英語版にするか、新しく韓国語(ハングル)版をつくるのか、検討をしているところです。ちなみに、台湾では中国版が使われています。
 

20年やり続けた結果、内閣府表彰を受ける

 

―「平成26年度バリアフリー・ユニバーサルデザイン推進功労者表彰 内閣府特命担当大臣表彰優良賞」を受賞、おめでとうございます。感想はいかがですか?
 

ありがとうございます。自分がやってきたことを評価してくれる方がいたことが嬉しかったですね。私の活動は、点字の世界で、エーデルのことは知っていても私のことを知らない人はたくさんいるのです。ボランティア活動で点字作業ををする方々が使うものを無償で提供をする、私はボランティアのボランティア。実は知り合いの中にも、今回の受賞で初めて僕の活動を知った人もいるくらいです。
※藤野氏は2009年にヘレンケラー・サリバン賞も受賞しています。
 

―お話を聞く限り、今まで授賞されなかったことのほうが驚きなのですが、今回のような表彰の授賞経緯の説明ってあるんですか?エーデルへの評価を聞くことができたりとか。
 

昨年、エーデルについて、東京や大阪で講演する機会があり、そこで私の話が視覚障害の団体や厚生労働省の耳に入ったようなんです。受賞のための準備(審査)期間に、日本盲人社会福祉施設協議会という組織から連絡があって、選考委員会による現地調査と審議の結果、受賞となりました。この受賞を通じて、少しでも視覚に障害を持った子供たちの教育の現状が世間に知られ、エーデルを含めて、その可能性が広がっていくことを願っておりますし、私自身も更に努力していきたいと思っています。
 

エーデルと日本の福祉(点訳ボランティア)業界の今後について思うこと。

 

―エーデルの課題についてお聞かせください。
 

アップデートを続ける後継者が登場してくれるかどうかです。元々は、私が、個人的な趣味で始めた活動です。しかしながら、自分で言うのもお恥ずかしいですが、エーデルは社会に無くてはならならないものになってきました。私は、現在63歳。まだしばらくは大丈夫かと思いますが、徐々にでも、引き継いでくれる方が登場してくれることを願っています。出来れば、プログラミングの専門知識がありながら、ボランティアでやってくれる方が望ましいですね。
 

―日本の福祉について何か感じていらっしゃることはありますか?
 

自分が関わっている点訳ボランティアの分野で言わせていただくと、①図形点訳の標準化 ②ボランティアの組織化 ③行政からの援助が必要だと考えています。点訳ボランティアの方は全国にたくさんいらっしゃって、熱心に取り組んでいらっしゃいます。しかし、それに対してのサポートは少なく、全ての活動が個々のボランティアに任されている、頼り切ってしまっているという現状があります。それぞれ活動しているので、点訳のやり方の統一や、より良いものを作っていく体制が残念ながらあまりありません。また、点訳を行い、視覚障害者に届けるべき情報の統一見解などもありません。そこは、行政なのか民間なのかはわかりませんが、誰かが責任を持って進めていくことが必要でしょう。
 

藤野氏のお話は多岐にわたり、全ては書ききれませんが、今回、私が、一番感銘を受けたのは、「エーデルは、目の前の一人の生徒のために開発した」という件です。一人の生徒に、しっかりと教育の機会を与えたい、という熱い思いと、自らの好奇心を継続した結果が、現在のエーデルの功績につながったのだと感じました。
 

藤野氏ホームページ:http://www7a.biglobe.ne.jp/~EDEL-plus/

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この記事を書いた人

堀雄太

野球少年だった小学4年生の11月「骨腫瘍」と診断され、生きるために右足を切断する。幼少期の発熱の影響で左耳の聴力はゼロ。27歳の時には、脳出血を発症する。過去勤めていた会社は過酷な職場環境であり、また前職では障害が理由で仕事を干されたことがあるなど、数多くの「生きづらさ」を経験している。「自分自身=後天性障害者」の視点で、記事を書いていきたいと意気込む。