障害者の自分を否定した果てとその回復

「障害者としての自分」と「社会人としての自分」のバランスが崩れ、疲れ果てたという話を書いた前回。今回はその続きになりますが、この問題について「明らかな回答」は未だ持ち合わせていません。しかし、これを書くことが何らかの意味を持つと考えて、「壊れて」→「立ち直る」までのプロセスを追っていきます。
 

風見馬車
 

聴覚障害者として生きる事を否定したくて

 

前回書いた通り、「聴覚障害者」としての自分と「社会人としての自分」のバランスは徐々に「社会人としての自分」に傾いていきました。それはすなわち、「聴覚障害者」=「支援を受けて生きる人間」を切り捨てて生きようとしたことに他なりません。この時期の私は「健常者になりたい」という意識がとても強かったのかと今は思いますが、当時は必死でした。
 

しかし、就職して時間が経てば経つほど、自分の「出来なさ」がだんだん目立っていきます。それは聴覚障害に起因する物もあれば、そうでないものもありましたが、すべての失敗の原因を「聴覚障害」に収束させてしまう、という悪癖がついてしまいました。すなわち、「聴覚障害の自分は駄目だけども、聴覚障害さえなければすべてがうまくいくのに」という考えです。これは頑張れば頑張るほど、「聴覚障害を意識せざるを得ない」という悪循環を生み出しました。
 

同時に「仕事の出来なさ」が圧倒的に健常者と違う、ということも強く意識せざるを得ず、「俺は電話が出来ない、他の人は出来るのに」「聞き間違いや聞き返しが多いのが恥ずかしい」という意識が強烈に芽生えてきたのです。
 

さらに、当時は「正職員」として働いていました。しかし、私の職場は半数が非常勤職員や派遣社員でした。「俺より給料が安く、待遇も悪いのに俺以上に仕事が出来る・・・。俺はさっぱり仕事が出来ないのに、これでいいんだろうか」という劣等感、周囲に対しての申し訳なさの重圧を、仕事中、常に抱えていました。「自分は聴覚障害だから仕方ない」という甘えを自分に許せていなかったのだと思います。
 

この頃は、「電話が鳴る」だけで心臓がもうばくばくいっていました。人から話しかけられると顔が引きつっていたと思います。もう辛くて、帰宅しては酒を大量に飲んだり、金がないのに無理に飲みに行くという、破綻した生活を続けてました。
 

そんな状態が続くうちに、いつの間にか朝起きられず遅刻をする、電車に飛び込むことしか考えられなくなる、通勤電車の中で泣きだす、という症状が出てきて、ある日無断欠勤をしました。そのあと、産業医の面談→精神科受診→鬱病診断→休職という流れになりました。
 

駅のホーム
 

あおを通して障害というものを再考し始めた

 

その状態になるちょっと前に、ひょんな事から発達障害をもつ「あお」とつきあうことになりました。彼女も「自分の障害に甘えることを許さず、自分を苦しめている人間」でした(今でも苦しんでいますけど)。不思議なもので、彼女が「障害を持っていることで苦しんでいる」ということは分かるものです。「障害がある自分は駄目だ、死ぬ」というあおに「いや、おまえは障害を持っているのに(当時は介護職)働いているのはすごいよ、頑張っているよ」とは素直に言えるのです。
 

その頃には色々手遅れで休職しちゃうわけですが、休職している間はツイッター漬けでした。そこで、障害について恨み辛み的な事を書き殴っていて、わりと差別的なツイートには誰彼変わらずかみつく、という事をしておりました。今から思うと非常にいろんな人に迷惑をかけ続けてきました。
 

しかし、私自身にとっては、これが逆に良かったのか、「聴覚障害者」としての自分が復活してきました。同時に、あおとつきあい続けることで「障害を持ちながら仕事をするって実はとてもすごいことなんじゃね?」と思えるようになってきたのです。それらが合わさって、いつの間にか「聴覚障害者のまま、仕事で出来ないことは素直に出来ないことを認めて仕事が出来ていたら」と考えられるようになり、後悔が生まれてきたりしました。
 

同時に、あおがいかに面白い人間かをツイッターに綴るようになりました。これはあおがよく言う「面白ければいいじゃない」というある種の(部分的な)ポジティブさを自分なりに「じゃ、こいつの障害故のおもしろさを書けばいいんじゃね?」と解釈したのが始まりだった気がします。これが「ボクの彼女は発達障害」というノーテンキな本が生まれるきっかけになるわけですが、これを始める時はかなりどん底だったのです。
 

そんなことを続けてるうちに、「聴覚障害でいいんだ、聴覚障害の苦しみを『ネタ』に昇華して、それはそれで楽しめばいい」といつしか「障害受容」が出来るようになりました。
 

といったところで、「現在はどうなのさ」というところを次回以降で書きたいと思います。

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くらげ