2014年12月、都内某所。閑静な住宅街にある一軒のギャラリー。四方を白い壁で囲まれた落ち着いた空間に、コンクリート剥き出しの「家」が出現した。12月6日22時すぎ、一人の男性が広さ一畳ほどのコンクリートハウスに入り、出入口は外からコンクリートでふさがれた。そうして男性は家に「ひきこもった」。男性が家を出たのは一週間後の12月13日。かなづちとノミを使って、内側から少しずつコンクリートを崩し、自分のタイミングで外に出た。
男性の名前は渡辺篤。職業は現代美術家。この「ひきこもり」は、渡辺さんの個展「止まった部屋 動き出した家」で行われたものだ(展覧会は12月28日で終了)。なぜ彼はコンクリートハウスに「ひきこもった」のか。「ひきこもり」から「REBORN(生まれ変わり)」を果たした渡辺さんに話を聞いた。
▶︎かつて「ひきこもり」だった自分
そもそも渡辺さんが「ひきこもり」をテーマに個展を開いたのは、自身がかつて「ひきこもり」だったからだ。
「当時、結婚を考えていた人との失恋、全力で臨んでいた活動でのグループからの排除、10年近く患っていた鬱、美術家としての悩み、そんな事が重なり、6ヶ月間実家の自室でほぼ寝たきり生活をしながら引きこもっていたことがあります。」(渡辺篤さんのブログより引用)
6ヶ月間は一度も外出することなく、ずっとインターネットをしながら過ごした。当時は自暴自棄的な気持ちが強く、「生産的なことをしたくない」という思いからひきこもりになっていったという。社会と隔絶して時間を過ごすこと、太っていくこと、部屋が汚くなること。それらは一種の自傷行為で、いわば「血の流れない自殺」だった。
▶︎突然の「外圧」
途中でひきこもりを辞めてしまっては、それまでひきこもってきた時間を否定することになるから、一生続けるしかないと覚悟を決めて続けていたひきこもり。しかし、その終わりは突然やってきた。2011年2月11日。東日本大震災1ヶ月前のことだ。
父親が自分のテリトリーから渡辺さんを排除すべく、強制的に措置入院をさせようとしたこと。そうした家庭状況から、母親がノイローゼ状態になってしまったこと。それらの事情を知った渡辺さんは、部屋から出ることを決める。
「父に自分のこの先を支配されたくなかったし、気づいたら自分よりも弱くなってしまっていた母を守らねば、という思いでした。」(同ブログより)
▶︎「ひきこもり」は「役作り」だった
6ヶ月ぶりに部屋から出た時、渡辺さんは自分の部屋と自身の姿を写真におさめている。部屋は食べかすやトイレ代わりにしていたペットボトルが散乱して荒れ放題。手入れをしていない髭や髪は伸び放題。とても他人に見せられるものではない。しかし、ここで渡辺さんは思考の転換をする。
「6ヶ月間かけてこの写真を撮るための役作りをしたのだ。撮影用の場作りをしたのだ。」(同ブログより)
自分は「美術家である」という意識が、ひきこもりを単なる自傷行為に終わらせなかった。とは言え、写真を撮った当初は、人に見せられるものではないという意識も強かったという。写真を作品に使うまでは、まだ時間が必要だった。
▶美術作家として復活
部屋を出てからは、自ら選んだ病院に入院し、カウンセリングを受けたり昼夜逆転した生活リズムを元に戻したりした。3月11日の震災当日も入院中で、当時はあまり現実味がなかった。
「美術家として復活するつもりはあるけれど、いまいちギアがかみあわない時間でした。作品を発表しなければいけないけど、意欲がわかないとか、必然性が見つからないとか。周りの作家が有名になっていくプレッシャーもあって。」
そんな時、話題になっていた美術展の問題についてTwitterで発言をする機会があった。発言が予想外に拡散されて、
「お前はクリエイターとして、いかほどの覚悟があるのか。今後矢面に立っていく覚悟があるのか、と問われた気がしました。そこで美術家として生きていく覚悟が決まったんです。生きていくうえでの判断は全て自分がしなければいけない、と分かったんですね。ひきこもりをやめた日が『肉体的なREBORN』なら、この日は『精神的なREBORN』。ようやくギアがかみあったんです。」
そこからは自然と展覧会が決まっていった。
「自分でつくった足かせを、ようやく自分でとれたんです。」
ひきこもりをやめてから約2年後の2013年春、渡辺さんは美術家として復活した。
▶「ひきこもり」を作品に
今回の個展「止まった部屋 動き出した家」で、渡辺さんは3年前の写真をついに作品に昇華した。さらに、入院中で当時は実感がもてなかった震災の要素も展示に盛り込んだ。ひきこもりのリサーチ中に、被災地では津波がひきこもりへの「外圧」となり、津波を機にひきこもりを止めた人、部屋に閉じこもったまま津波に流されてしまった人がいたことを知ったのだ。コンクリートハウスが傾いているのも、津波で家が流されている状況を再現しているためだ。
また、開催前にはネットを通じて「ひきこもりの方へ。あなたの部屋を見せてください。」と呼びかけ、ひきこもりの人の部屋写真を募集。渡辺さんのブログは5万アクセスを超え、15人ほどのひきこもりの人から部屋写真が集まった。
「写真を集めようと思ったのは、展覧会を僕一人のひきこもりのストーリーで終わらせたくなかったから。それと、ひきこもり当時、ネットでつながっていた人たちにアプローチするのは宿命だと思ったんです。」
ひきこもっていた時、自分の存在を唯一認めてくれたのが、同じくネットに集まる人達だった。今回コンクリートハウスに再びひきこもったのも、「対岸の火事のような楽ちんな立場で部屋写真をもらってはいけない」と思ったからだった。
▶「ひきこもり」再び
でも、コンクリートハウスでのひきこもりは「最後は発狂寸前」になるほど大変だった。
「コンクリートハウスが崩れたら死ぬという恐怖が半端じゃなくて。でも、その恐怖がハウスの外にいるスタッフに伝わりきらなかったんです。」
奇しくも、スタッフと渡辺さんの間に生まれた齟齬は、ひきこもりをしていた時の渡辺さんと家族の間に生じた齟齬と同じものだった。3年前にひきこもりをやめた時のように、渡辺さんはハウスの中で思考を転換。スタッフに不満をぶつけるのをやめ、気力・体力を維持して健康的にハウスから出ることに集中した。そして、渡辺さんは無事「REBORN」を果たしたのだった。
▶傷を武器にする
今回、自身が経験した「ひきこもり」をテーマにしたのはなぜだったのだろう。
「自分にとって避けて通れない問題しか扱わないようにしているからです。それと、作品を作るうえで当事者性を重視しているからですね。当事者でない人がその問題について声高に話しても、お前が言うなと言われるでしょう。『ひきこもりの話はお前の話だから、こちらは何も言えないな』としてしまった方がずるい、というのは分かってやっています。作品の強度をあげるためですね。」
本音を言うと、6ヶ月間ひきこもっていたことは悔しい。その間に有名になった同世代の作家もいた。
「だけど、ネガティブな要素をポジティブに変えるのは表現者にとっては都合がいいんです。傷を開示しながら武器に変えることができる。社会的特異な存在であることが、美術家にとってはプラスに働きますからね。苦労や不幸は全部栄養分に出来ると思っています。でも、死んでしまったらおしまいだから、図々しいけど自殺者を増やさないためにできることをアートでやっているつもりです。アートで救われる人もいるんじゃないかって、そんなおこがましい気持ちでやっていますよ。」
転んでもただでは起きない。それくらいの図々しさが、何かと生きづらいこの世の中で生きのびる術であり、世間から見たら無意味にも思える行為を続けていく美術家に求められるタフさなのかもしれない。かつて周囲に傷つき、周囲を恨んで、ひとり部屋に閉じこもっていた一人の青年は、自身の決断で、ふてぶてしい美術作家として、今、生まれ変わった=REBORNした。
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渡辺篤(わたなべ・あつし)
東京藝術大学在学中から自身の体験に基づく傷や囚われとの向き合いを根幹とし、かつ、社会批評性強き作品を発表してきた。表現媒体は絵画を中心に、インスタレーション・写真・パフォーマンスなど。テーマは、新興宗教/経済格差/ホームレス/アニマルライツ/ジェンダーなど多岐にわたる。卒業後、路上生活や引きこもり経験を経て2013年春、活動を再開。以後精力的に発表を続けている。
なお、展覧会の模様は、会期終了後しばらくして、動画などでネット上にアップされる予定とのこと。詳しくは渡辺さんの公式サイトをご覧ください。