配慮することと精神的に受け入れられるかどうかは別問題。障害者雇用の未来への課題。

先日、障害者社員受け入れ前研修の講師を務めてきました。これは、障害者社員を企業が受け入れる前に、実際に配属される職場の上長や先輩社員に、どのような点を配慮する必要があるか、障害が原因で起こる業務中のトラブルにどのようなものがあるかなどを考えるための研修です。講師とはいいますが、実際には問題提起を行う役目を務めたといったほうが適切かもしれません。
 

今回お邪魔した企業(職場)に配属されるのは聴覚障害の方でした。聴覚障害は、障害部位でいえば耳が不自由であるということですが、何に困難が生じるかといえば、コミュニケーションです。事務や管理業務の部署への配属なので、お客様とコミュニケーションをとる機会はほとんどありません。したがって、社内でのコミュニケーション面でどのような配慮を行うかといった点を考える時間となりました。
 

内線電話
 

障害者社員への物理的な配慮は雇用条件である

 

障害者雇用という枠組みの中で障害者社員を雇用する場合は、雇い入れる障害者社員の障害に合わせ、物理的な配慮を実施することが雇用における必須条件となります。ここでいう物理的配慮は、企業側からのハード面(設備やツール、手段など)での配慮であり、第三者が評価できるものであると私自身は考えています。
 

この物理的配慮は、賃金体系や福利厚生、社会保険などと同じ項目です。障害者を雇用するという意思表明をした企業に、障害者が自身の障害を開示した上で就職するので、必須条件であることは言わずもがななのですが、実際にはなかなか進んでおらず、私たちのような仕事があるのかもしれません。
 

障害の種類や程度によって、配慮する項目が多い場合もあれば、まったくない(健常者とほぼ変わらない)場合もあります。軽度の身体障害者を雇いたがる企業が多いのは、企業論理からいえば当然の結果です。
 

物理的な配慮という点では、先述の聴覚障害の方の場合だと、
・電話対応をさせない
・話しかけるときには⼝を大きく開けてはっきりと話す
・業務指示など重要な内容の場合は筆談もしくはチャット、メールなどで⾏う
などといったことが挙げられます。音の聞き取りと読唇で会話内容が少し理解できるという状態だったので、上記のような配慮項目になりました。ただ、聴覚障害者の中でも障害の程度は様々あるので、聴覚障害ならこれだけ配慮すればOKのような模範解答はありません。
 

似たような障害でさえ模範解答がないのならば、身体・知的・精神と大別される障害、その中でさらに細分化されることを思えば、一人ひとりに適した配慮を考えなくてはならないと気づくことに時間はかかりません。
 

スマホからメモをとる
 

障害者雇用を決めるのは経営陣。現場からすれば驚きと戸惑いでしかない。

 

なぜ障害者を雇用するのかといえば、おなじみの法定雇用率の問題です。従業員数の2%を障害者雇用しなくてはいけないというルールがあるため、企業の社会的責任や経営責任として、障害者の雇用を推し進めます。
 

障害者側から見れば、健常者と同じ土俵で就職を争う、成果を競うというのは難しい面が多々あります。そのため、企業の協力を仰ぎながら、勤務先を確保する・頂くというロジックになります。古くから労使間の問題はあるので、使用者である企業側に優位性があるのは仕方がないことかもしれません。
 

障害者雇用の登場人物は障害者と企業ですが、ここでいう企業は経営陣や人事担当者であり、実際に配属される職場の上長や同僚の声は含まれにくい状況です。本来的には、現場の声を踏まえ、採用や配属が決まることは事実でしょう。しかし、少なくとも障害者雇用では、人事権をもつ経営陣や人事責任者の決裁を受け、障害者を雇うことが決まります。冷静に考えれば、現場が積極的に障害者を雇ってほしいという声を挙げることはなかなかないはずです。
 

「え?ウチの部署に障害者が配属されるの?」
現場の社員からすれば、青天の霹靂。その報告を驚きと戸惑いの中、受け取ります。
 

実際に研修でも、
「なぜウチの部署に配属が決まったんですか?」
「仕事が増えますね」
「めんどくさいっすね」
という声を聞くことがあります。
 

「障害者に対してそんな言葉を投げかけるの?」という声が挙がりそうですが、これらの言い分は十分に分かります。先述のとおり、一人ひとりに適した物理的配慮の準備をしなくてはならないとすれば、普段の業務に上乗せして手間がかかる。これも想像に難くありません。
 

余談ですが「障害者に対して」という時点で、障害者を特別視している自分の傾向に気づいてみると面白いかもしれません。
 

物理的配慮と感情面で受け入れられるかどうかは別物

 

企業は障害者を雇用するために、物理的な配慮を実施することが必要であり、障害者を雇用することは経営陣が決めるものの、実際に準備をするのは現場のメンバーであることは、ここまでの文章の中で把握して頂けたかもしれません。
 

「明日から君の部下に目の不自由な社員が来るから、よろしく頼むよ。」
「来月から君の部署に障害者社員を2名増やす。どんな障害のひとが来るかは今面接中だから、まだ確定していない。君なら何とかしてくれるよね。」
 

現場の上長がこのような言葉をかけられているかどうかは分かりませんが、障害者雇用がスタートする場面では似た状況が起こります。完全にトップダウンで決められる人事。準備に手間がかかり、また業務中にも健常者社員以上に配慮が必要そうという状況。100人中100人がポジティブな気持ちで障害者社員を受け入れられると言い切れるのでしょうか。
 

義足を履く障害者である私自身が同じ上長の立場でも、「マジっすか」と言ってしまいそうです。少なくとも100%ポジティブではなく、どうしようかなあという気持ちになることは間違いありません。ただ、この気持ちは障害者である・ない問わず、トップダウンで決まった人事なら、似た感情は湧き起こるように思います。
 

障害者雇用という枠組みでは、物理的な配慮を企業側に求めていても、精神的に受け入れることを義務づけているわけではありません。障害者だけ100%ウェルカムの状態を創り出そうという特権階級的なアプローチも気持ちいいとはいえません。
 

オフィス風景
 

障害者が雇われるだけの時代から、価値を主体的に発揮する時代へ。

 

職場に新しく社員が加わる場合、障害者であろうとなかろうと、全員が全員、ポジティブな気持ちで迎え入れられるわけではありません。中途採用であれば、即戦力が期待されています。営業職であっても事務職であっても、お手並み拝見という気持ちで見られているかもしれません。品定めされているともいえます。新卒採用であれば、社会人経験ゼロの状態。育てるのが手間だ、仕事できないくせに、最初は給料泥棒だよね、という目で見られていてもおかしくありません。
 

物理的な配慮は実施されていても、一種の向かい風の中で障害者は働き始めることになるということは間違いなさそうですが、それは「障害者だから」という理由ではなく、一般的に起こることです。ある意味、平等に起こりうるリスクです。そして、職場での評価を高めていくことが、その問題を解決するポイントです。これは、実際の仕事の成果だけでなく、職場での人間関係の部分にも左右されます。
 

障害者の場合は、自身の障害が理由でできないことが、仕事面でも人間関係面でも発生します。それは仕方がないことです。ただ、それ以外のできないことは、自身のスキル不足や経験不足、性格の問題など、障害には関係のないことが原因の部分もあります。無茶な努力をし続けろとはいいませんが、自己改善し、仕事や組織内で価値を発揮しない限り、職場に自分が居続けられる場所はありません。職場のない在宅勤務のような仕事であっても、本質的には同じことだと思います。
 

障害者雇用は、働くチャンスをどうにか公平にもっていこうという動きですし、機会提供の確保が法定雇用率です。障害の種類や程度によって、できる仕事・業務の難易度や量に差が生まれることは仕方がありません。ただ、仕事を任せる側は、その状況を鑑みながら、仕事を割り振っているはずです。
 

職場内での評価を高めていくこと、言い換えれば、仕事の発注者(顧客・上長・同僚など)の期待に見合った仕事の成果を出し、期待以上の成果を生み出すこと、そして職場での雰囲気をいい方向に作っていくことに、障害の有無は関係あるのでしょうか。
 

障害者の権利条約の批准や差別解消法の制定などによって、障害者の周囲の状況は少しずつ変わっていくでしょう。法定雇用に守られるのではなく、あなたを雇用したいと選ばれる状態。それが一歩先の障害者と雇用の関係性なのかもしれません。健常者と同じ土俵で戦えということではなく、障害が理由でできないこと以外の土俵で、自分だけの強みを持って、社会で活躍することが求められるのかもしれません。できる・できないではなく、気概をもっているかどうか。少なくとも、障害者がその気概を持ち合わせているひとが集まっている集団であれば、私は障害者とカテゴライズされても誇れるようになるなと感じます。
 

記事をシェア

この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。