障害が理由でコミュニケーションが取りづらいときに使う、ヘルプカードの是非。

2014年8月3日、調布ヘルプカード普及プロジェクト委員会が主催するイベント「調布のまちと行きやすさを考える」が開催されました。誰もが安心して豊かに暮らせるまちを目指すために、何が必要なのか。障害者の暮らしやすさという観点を材料に、集まった30名近くがワールドカフェという手法を使いながら、意見が交換されました。ちなみに編集長はトークゲストという形で参加させて頂きました。
 

ヘルプカードとは、知的障害や聴覚障害など自分から相手に自身の障害状況を説明することが困難な方が、緊急時や災害時などに周囲のひとに支援を求めるために活用するコミュニケーションツールです。マタニティマークのようにカバンなどにヘルプカードをつけ、カバンの中に障害の種類や緊急時に助けてほしいことなどが書かれているシートを持つという2段構えでツールとなります。今回イベントが開かれた調布市では、市内に住む障害者に配布されているとのことです。
 

調布ヘルプカード普及委員会ホームページより
調布ヘルプカード普及委員会ホームページより

 

ヘルプカードを用いることで市民と障害者のコミュニケーションが円滑にとれるようになり、結果として、暮らしやすさにつながるということがヘルプカードのメリットであることに対し、参加者から、いくつかの懐疑的な意見が飛び出しました。
 

「ヘルプカードを持っているということは、自分自身が障害者であるということを不特定多数に伝えているようなもの。持ちたくないという気持ちもある。」

 

「ヘルプカードがあるならば、アンヘルプカードがあってもいいかもしれない。自分のことは自分でできますと言えるような。放っといてほしいという障害者もいると思う。」

 

「みんな何かしら障害を持っているようなものだし、障害者じゃなくても緊急時にヘルプが必要なひともいる。全員に配布してもいいのではないか。」

 

これらの意見には障害当事者からの意見も含まれています。テーブルを移動して毎回違うメンバーで議論を交わすというワールドカフェ形式での議論だったため、私自身も数人の障害当事者と意見を交わす機会に恵まれ、その度にヘルプカードの要・不要を聞いてみましたが、「あったらいいけど使わない」というスタンスの回答が多数派でした。ヘルプカードをもらう側、使う側からこのような回答が返ってきたことは興味深いことです。
 

ワールドカフェで気づきやメモを書き連ねた模造紙の数々
ワールドカフェで気づきやメモを書き連ねた模造紙の数々

 

ただ、これらの意見が出てきたことには実はカラクリがあります。発信した障害者は身体障害者であり、多くは足が不自由な障害者。つまり、自分で物申せる障害者なのです。自分で物申せるということは、困ったときには自分から周囲に働きかけることができるということ。ヘルプカードを介在させなくても、コミュニケーションがとれるということです。
 

ヘルプカードが対象としている障害の種類は、知的障害や聴覚障害といったコミュニケーションを円滑に進めづらい障害。バリアフリーの概念で対象者となる移動困難な障害者とは異なります。自分で物申せないからこそヘルプカードに頼らざるを得ない状況があります。障害者の括りの中で要・不要の意見が割れることは仕方ないのかもしれません。
 

私自身はヘルプカードを普段から身につけるかというとNOです。自分で協力を仰ぐことができるからという背景はありますが、「私は障害者です」という開示を道行く人々に行うことがイヤだからです。自分自身の障害を開示することに抵抗はまったくありませんが、赤の他人になぜわざわざ開示しないといけないのかという疑問が付きまとうからです。「私はゲイです」・「私は児童養護施設出身です」といったカードが仮にあったとして、そのカードを当事者は持ち歩くでしょうか。自動カミングアウト装置になりえてしまうことが、ヘルプカードの唯一にして最大の問題点かもしれません。
 

スライド左が重光さん、右が佐々木。Plus-handicapの宣伝をしているところ。
スライド左が重光さん、右が佐々木。イベント中に図々しくPlus-handicapの宣伝をしているところ。

 

トークゲストで呼ばれたと先述していますが、対談したPlus-handicapでもライターを務めて頂いている重光さんとの比較に、ヘルプカードの未来のヒントがあるように思います。
 

重光さんは脳脊髄液減少症を患っており、24時間365日絶え間ない痛みと闘っていますが、障害者ではありません。私は生まれつき両足が不自由な障害者ですが、痛みとは無縁の生活をしています。痛みが猛烈に強いときに、自分の状況を周囲の方々に説明することができるでしょうか。痛みが強くなるリスクが低い私がヘルプカードを持っていて、リスクが高い重光さんは持つことができません。
 

障害者というカテゴリに対してヘルプカードを配布すると、障害者間での要・不要論も湧き出てきます。また、ヘルプカードを持っていたほうがいいのにも関わらず、障害者ではないことが理由でこぼれ落ちるひとが出てきます。重光さんの例を挙げましたが、障害者になり得ない疾病・難病患者は数多くいますし、投薬を受けていれば、ヘルプカードを持っているほうが安心です。結論、全員に配布して、持つ・持たないを当人に委ねればいいのかもしれません。自動カミングアウト装置たる側面も解消されるでしょう。
 

障害者は全人口の6%程度なので、全員に配布するとすれば単純計算で16倍ほど費用がかかるんじゃないかという意見が飛び交いそうですが、選択制にして役所まで取りにきてもらう、郵送手続きをするといったことを工夫すれば、改善策は見つかるように感じます。ヘルプカードは、おそらく障害者に配布するということを第一歩に、より多くのひとに届けられるように設計されているはず。障害者限定にするにはもったいないコンセプトだと思います。
 

しかし、忘れてはいけないことは、ヘルプカードに頼ってばかりではダメだということです。もちろん、頼らざるを得ないひとたちに厳しいことは言いませんし、充分に活用しなくてはいけないと思います。ただ、ヘルプカードの対象者は具体的に何に困るんだろうかとどれだけのひとが考えようとするか、情報を集めようとするかが大事です。明日は我が身。自分が、自分の家族が、次の瞬間から対象者になる可能性だってあります。ヘルプカードはあくまでツールに過ぎないということを忘れてはいけません。
 

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。