障害者、高齢者、妊婦、子ども。優先席を巡る熱いバトルに垣間見える日本人の弱点。

20歳くらいのいまどきの若者が優先席に座っていたら、あなたはどのように感じますか?その目の前に高齢者が立っていたとしたら、どのように感じますか?「なぜ席を譲ってあげないんだろう」と思うひとがいてもおかしくありません。しかし、その若者が心臓に病を抱えていて、長い時間立ち続けられないとしたら、優先席に座っている理由は真っ当なものでしょう。
 

電車やバスのほとんどに設置されている優先席。優先席は障害者や高齢者、妊婦や子ども(特に乳幼児)に優先的に座らせるための座席です。骨折などのケガをしているひとも含まれます。座るべき対象が決まっているからこそ、健常そうに見える若者やサラリーマン、OLなどが座っていると、周囲から白い目で見られてしまうこともあります。また、譲ったときになぜか「私を年寄り扱いするな」というような反応も発生します。
 

もし電車に優先席が1席しかなかったとしたら、障害者、高齢者、妊婦、子どもの誰がその1席に座るべきなのでしょうか。
 

wikipediaより
wikipediaより

 

●障害者が座るとしたら
 

障害者が優先席に座ることをイメージするとき、その多くは「身体」障害者です。そしてその中でも足が不自由な方を想定することが多いと思います。立ち続けることが困難ではないか、転倒する恐れがあるのではないか、といった懸念からの発想です。
 

「優先席付近では携帯電話の電源をお切りください」というアナウンスが流れることによって、心臓にペースメーカーを入れているひとも想定しやすいかもしれません。心臓にペースメーカーを入れるというのは高齢者のイメージが強いかもしれませんが、身体障害者の一員です。病気を患っている方を対象としたときも、病気や処置の内容によっては身体障害者に含まれます。
 

優先席でなくても、障害者に席を譲るという場合の多くは身体障害者、そしてそれも外見で判断できるひとがほとんどです。冒頭に書いた心臓にペースメーカーを入れている若者が席を譲ってもらえることは、まずあり得ないでしょう。知的障害者、精神障害者の方々が譲られる機会も少ないはずです。障害者が優先的に座れる優先席にも関わらず、外見で判断できる一部の身体障害者だけが恩恵を受け、それ以外の障害者は、白い目で見られる可能性がある。これは障害者の中での格差であり、何とも不思議な話です。
 

●高齢者が座るとしたら
 

優先席に座りやすく、座っていても白い目で見られず、さらには優先席以外の席を譲られやすいのは高齢者の方々です。外見的な要素で、高齢者か否かを判断しやすいので、座っていてもネガティブな感情を抱くひとはほとんどいません。高齢者のほとんどの方は、健常な若者と比較すると運動能力が低下していますし、判断能力も低下しているだろうことは周囲も予測がついているので、合意形成されている状態とも言えます。
 

以前、優先席はシルバーシートと言われていました。私が生まれ育った福岡のバスのアナウンスでは「お年寄りや足の不自由なお客様には席をお譲りください」と流れていましたし、そもそもはその2者が優先席に座るべき対象とされていたのです。その過去や記憶が社会側の前提となっているため、優先席に座るポールポジションに、障害者と高齢者がいるのでしょう。
 

ちなみに、私は義足を履いている障害者ですが、目の前に高齢者の方が立っていれば席を譲ります。アラサー世代であるという年齢的な理由もあるかもしれませんが、「足が不自由な障害者<高齢者」という認識が無意識的にあるのかもしれません。
 

優先席①
 

●妊婦、乳幼児が座るとしたら
 

90年代後半以降、シルバーシートが優先席と名前を変えたようなのですが、最近の優先席の表示には妊娠中の女性の方を示すもの含まれていることがほとんどです。マタニティマークの登場とその理由にも関係していますが、妊娠中の女性に対する気配りも浸透し始め、優先席に座る妊婦の方を見ることも以前と比較すると増えた印象です。
 

妊娠中だけでなく、赤ちゃんを抱っこしているママさんも同様でしょう。赤ちゃんを抱っこしている負荷を考えれば、妊婦さんだけでなく、ママさんも対象に入ります。「乳幼児」と優先席の表示に書かれていることが多いですが、これはママさんと乳幼児というペアになります。もちろんパパさんであっても同様のことが言えると思いますが、イメージとしてママさんが先行するのは日本人独特の感覚なのかもしれません。
 

妊婦さんにしても、乳幼児を連れていても、いずれにせよ外見上の判断に基づかれます。私自身、先日子どもが生まれたこともあり、妻の移動に付き添う間に感じたことですが、妊娠初期のほうがマタニティマークは有効です。これは妊娠中だと気づいてほしいという意味がありますが、外見だけでは判断されにくいからです。
 

ちなみに私自身は、目の前に妊婦さんが座れば席を譲ります。「足が不自由な障害者<妊婦さん」という構図が頭の中にあるのかもしれません。
 

マタニティマーク
マタニティマーク

 

●誰が座るべきかという議論は不毛なものでしかない。
 

優先席が1席しか空いていなかったら誰が座るべきか、この問いかけに対する答えに正解はないでしょう。障害者、高齢者、妊婦、乳幼児、それぞれの立場に立って考えれば、それぞれに優先席に座る事情がありますし、順位をつけることは難しい話です。
 

ただ見逃してはならないことは、優先席に座るかどうかのほとんどが「外見」で判断されているということです。例えば、障害者でいえば足が不自由なひとに限定されていた過去がある、妊婦さんは妊娠初期の頃はマタニティマークをつけなくては気づかれないといった事実が物語っています。障害者の世界でいえば、身体の内部に障害を負っている方のほうが体力的に厳しいですし、満員電車の中で具合が悪くなる精神障害者の方がいるかもしれません。足が不自由だけど元気いっぱいな私より彼らのほうが優先席に座ったほうがいいのですが、これは「外見」だけでは判断できないことです。
 

少なくとも、この国に優先席というシステムがあるのであれば、優先席には座る理由があるひとが座ればよく、座りたかったら交渉してもいいのかもしれません。「○○という理由があるので譲って頂けませんか?」というように。それで嫌な顔をするようなひとが多いのであれば、日本人の国民性を見直したほうがいいのだと思います。
 

また、外見で判断することを半ば強制させられる優先席というシステムは、内面に何かしらのハンディキャップを抱えているひとには不都合が発生します。外見だけじゃなく、相手の状況や背景を慮る余裕を周囲が持つことが、彼/彼女らにとって最適な気遣いのひとつでしょう。
 

私は、そもそも優先席というシステム自体が、周囲への無関心を増幅させる装置だなと感じます。困っている人がいれば助ける、手を差し伸べるということは小学生のうちに習うようなこと。それが車内であれば、席を譲るという行為につながるはず。障害者、高齢者、妊婦、乳幼児といったひとたちの安全を気遣うことを、優先席というシステムで補っているあたりが、日本人の弱点であり、事なかれ主義、一歩踏み出せない国民性につながる一因ではないかと思います。
 

最後に余談ですが、都内を走る電車で流れる「降りるひとが済んでから電車に乗りましょう」とか「ドア付近の方は降りるひとのためにスペースをお空けください」などのアナウンス。こんなことまで指示されないと動けない日本人の感性っていかほどのものなのでしょう。
 

【参考イベント】
2014年8月3日13時半より、「調布市での豊かな暮らし」をテーマに、バリアフリーや街づくり、市民の意識づけなどに関して意見を交わすイベントを実施します。ご興味ある方は以下のサイトから。このイベントは、Plus-handicap編集長佐々木、ライター重光のふたりが進行役を務めます。

調布のまちと生きやすさを考える【ワールドカフェ】
http://kokucheese.com/event/index/179519/

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。